■節子への挽歌3684:人生のど真ん中が空洞
節子
投票日が朝早くから出かけなくてはいけなくなったので、期日前投票に行ってきました。
例年以上に混んでいました。
今回の選挙は、戦争と原発を受け入れるかどうかの選挙ですので、投票先ははっきりと決められます。
大義がないとかどこに投票していいかわからないなどという報道が多いのですが、何も考えない人たちはその報道の言葉を言い訳にして、いつものように何も考えていない気がしていましたが、期日前投票者の多さを見て、ちょっと状況が変わって来たかなという気がしました。
もしそうならばうれしいことです。
節子がいなくなってからの私は、あまり誠実に生きているとは言えませんが、その私から見ても最近の日本人は、自分の人生を生きていないような気がしてなりません。
幸いなことに、私のまわりにはまだ、生きている人間がいるので自分の生き方がむしろ恥ずかしいですが、新聞で見る限り最近の日本にはしっかりと自分を生きている人は少なくなったように思います。
それが証拠に、最近は企業にしろ行政にしろ、学校にしろ施設にしろ、信じがたい問題が多すぎます。
どうしてこんな社会になってしまったのでしょうか。
節子がもし元気だったら、都会とはすっぱり縁を切れたかもしれませんが、私一人ではそうする勇気はありません。
人と会うことで、なんとなく生きている気になっていますが、人と会うと必ずと言っていいほど、心が乱れます。
つまり、社会ともっと関わりたくってしまい、煩わしいことを引き受けてしまうのです。
奇妙な話ですが、これはたぶん確固たる自分がないからでしょう。
人が嫌いなくせに、人に会わないとさびしくなる。
人生のど真ん中が空洞のためかもしれません。
今日は投票に行った後、英国のクライムドラマを5時間も見てしまいました。
39年前の殺人事件を掘り起こし解決するというドラマです。
とても暗くて、惨めな気持ちになるドラマですが、最後はさわやかな終わり方になっています。
心に響くセリフもいくつかありました。
生きるとは何か、家族とは何か、愛するとはどういうことなのか。
そんなことを考えさせられるドラマでした。
シリーズ2もありますが、さて見ようかどうか迷っています。
最近はドラマや映画を観ると、なんだか自分の人生を問い質されるような気がするようになってきました。
今日もまた寒い1日でした。
| 固定リンク
「妻への挽歌18」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌4500:東尋坊からのお餅(2019.12.28)
- ■節子への挽歌4499:歯医者さんと節子(2019.12.27)
- ■節子への挽歌4498:年末のお接待(2019.12.26)
- ■節子への挽歌4496:年末の相談つづき(2019.12.24)
コメント