■節子への挽歌3681:自分を生きるということ
節子
一昨日、アイヌをテーマにしたサロンを湯島で開きました。
アイヌの島田あけみさんが参加してくれましたが、彼女は「45歳からアイヌになった」といいます。
つまり、それまでは自分がアイヌであることをできるだけ隠して生きていたということです。
たしかにそういう時代でした。
それから16年、先日お会いした島田さんにはオーラを感じました。
自分に戻れば、人は生き生きとしてくるのです。
しかし、自分をしっかりと生きることはそう簡単なことではなさそうです。
社会に合わせて生きていくのが一番楽かもしれません。
しかし、そうできない人もいます。
私は、それなりに自分を素直に生きてくることができました。
それがよかったのかどうかはわかりません。
節子がもし今も隣にいたら、よかったといえるでしょうが、いなくなった今となっては、そう確信することもできません。
しかし、私が私らしく生きることができたのは、節子のおかげです。
私のことを信頼し、理解してくれた、たぶんただ一人の人ですから。
感謝しなければいけません。
人は、自分を無条件に信頼してくれる人がいる時には、自分に素直に生きていけるものです。
節子がいなくなってから、それがよくわかります。
いまの私は、時にちょっと自分らしくないような気がするのです。
今日は寒い日でした。
寒い日は、節子を思い出します。
| 固定リンク
「妻への挽歌18」カテゴリの記事
- ■節子への挽歌4500:東尋坊からのお餅(2019.12.28)
- ■節子への挽歌4499:歯医者さんと節子(2019.12.27)
- ■節子への挽歌4498:年末のお接待(2019.12.26)
- ■節子への挽歌4496:年末の相談つづき(2019.12.24)
- ■節子への挽歌4495:孫へのクリスマスプレゼント(2019.12.23)
コメント