■富山には悪い人はいない
富山市の路面電車ライトトレールが「信用降車方式」を採用したそうです。
いわゆる信用乗車方式と同じですが、後者の際に支払う乗車賃の確認を省略することによって、降車時間を減らしスムーズな運行を可能にするためです。
テレビで報道されていましたが、取材された富山市民は口をそろえて、富山には悪い人がいないので無賃乗車など誰もしないと言っていました。
このテレビを見た直後に、友人から電話がかかってきたので、富山には悪い人がいないそうだという話をしたら笑われてしまいました。
でも私は富山には悪い人はいないと信じます。
いや世界には本来は悪い人などいるはずもない。
悪事を働く人はいるかもしれませんが、それはそれぞれに事情があるのでしょう。
しかし、悪事に手を染めてしまうと、いつの間にか「悪い人」になってしまうおそれがないとは言えません。
ところで、「悪い人がいない」という前提で仕組みをつくるのと、「悪い人がいる」という前提で仕組みを作るのかで仕組みは全く違ってきます。
悪い人がいることを前提にして仕組みをつくると、たぶん仕組みは複雑になり、管理コストも大きなものになるでしょう。
そのコストは、何ら価値を生み出すことのないコストとも言えます。
つまり「無駄」が発生するわけです。
そのコストを負担する料金も高くなりますから、料金を支払わないという思いを持つ人も増えるかもしれません。
負担能力のない人で、どうしても電車に乗る必要がある人は、もしかしたら「やみなく」無賃乗車をしてしまうかもしれません。
そして悪循環が回りだしてしまう。
いまの日本の社会は、そんな方向で、無駄なコストがどんどん膨れ上がり、それに便乗して不当に利益を得る人も生まれてきます。
そして、生活には無縁な「経済成長」が実現していきます。
最近の「経済成長」は、いかに無駄を多くするかで実現される面が大きくなっています。
幸いに富山市はまだ、そうした悪循環に飲み込まれずに、悪い人がいない社会を維持しているのでしょう。
言い換えれば、無駄の少ない社会と言ってもいい。
社会の仕組みの設計は、人を、善い人にも悪い人にもします。
政治の対立軸に関連して、社会構造原理の話を書きましたが、私が考える「システム vs 人間」の「人間」は、すべて「善い人」です。
つまり、「善い人」を基点にして政治を考え、社会や組織を構築していくということです。
そうしたベクトルからは、地方分権などという発想は出てきません。
分権は、人間からシステムへの、あるいは人間から中央に向かう方向ですから、むしろ「中央分権」です。
言葉の意味が全く変わってしまう。
つまり私が使っている言葉の意味は、ほとんどが誤解されてきたのかもしれません。
そのことに最近ようやく気づきだしました。
今日も友人と電話していたら、私が白を黒と言いくるめると言われてしまいました。
私にとっては最初から黒は白なのですが、どうもそれが伝わりません。
困ったものです。
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