■節子への挽歌3682:歯がないだけでも日常に戻れません
節子
前歯がないと気分が落ち着きません。
欠けた部分を残っているところに押し付けたのですが、話しているとはずれてしまいます。
うっかり飲み込んで窒息したら大変です。
それで無理してくっつけるのはやめました。
今日は2つのミーティングと3人の人に会う予定だったのですが、ミーティングの一つは延期になりましたので、少しほっとしています。
午前中のミーティングもなんとか終わりましたが、どうも気が入りません。
来週開催のイベントの相談でしたが、まあジャムセッション風にやろうということになってしまいました。
歯がないための結論とは言いませんが、まあ企画を詰める気力が出てきませんでした。
歯がないだけでも、人間はこんなに落ち着かなくなるのです。
伴侶がいなくなったら、それが10年続いても、まあおかしくないなと思います。
ところで歯ですが、意識しなければいいのですが、どうもはがないと唇や下の感触が違い、ますます意識してしまいます。
困ったものです。
思考がそこに向いてしまう。
明日は歯医者さんに予約ができたので、それまでの辛抱です。
今日はこれから2組の人がやってきます。
まあ最初の人はよく知っているのでいいのですが、続いてくる人は久しぶりの人で、私のことを必ずしもきちんと知っているわけではありません。
歯がない私を見て、笑うわけにもいかずに悩むかもしれません。
その人と最初は食事でもしようかと思っていたのですが、食事にしなくてよかったです。
歯は大事にしなければいけません。
欠けるかどうかやってみようなどと、馬鹿な考えを起こしてはいけません。
まあしかし、私の人生は、もしかしたらそんな感じだったのかもしれません。
笑われるようなことばかりしてきたような気もします。
今日は湯島ですが、めずらしくランチタイムがとれたのに、食事をする気なれません。
結局、ポタージュスープを飲んだだけです。
さてこれから2つのミーティングをうまく乗り切れるでしょうか。
おなかが鳴らなければいいのですが。
チャイムが鳴りました。
お客さまがきました。
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