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2017/10/01

■カフェサロン「呼吸器の子・重い障害を生きる意味」の報告

15人のサロンになりました。
医療関係者の参加が少なかったのが残念でしたが、さまざまな話題が出て、たくさんの気づきをもらえたサロンでした。
松永さんは60枚にもわたるパワーポイントをつかって、在宅で人工呼吸器をつけている凌雅くんとその家族の生活ぶりを紹介してくれました。

物語の始まりは、凌雅くんのお母さんが発した「在宅人工呼吸器の今の生活が楽しい」という一言への松永さんのひっかかりからでした。
寝たきりの最重症、介護疲れ、不自由不便、自宅での孤立… なぜ「楽しい」と言えるのか?
それが松永さんの疑問だったそうです。
そうして、凌雅くん一家との交流が始まり、松永さんは自分の思い込みの間違いに気づいていくのです。
今回のサロンに参加した人も、松永さんのお話を聞いて、たぶん納得、というよりも、共感できたのではないかと思います。

凌雅くんは生後5か月の時に、ゴーシェ病と診断されました。
患者数は日本で10~20人しかいないという病気で、余命は2歳までと言われていました。
それを知った時、凌雅くんのお母さんは、「障害児として生きるのであれば、受け入れることができるが、短命ということには耐えられない」と思ったそうです。
そして、「何のために生まれてきたのか? 早く死ぬために生まれてきたのか? 残りの命はあと1年しかない。生きる意味は何なのか?」と、地獄の底に落ちた心境だったと言います。

凌雅くんは、1歳半の時に自発呼吸ができなくなり、人工呼吸器を装着することになりました。
そこで家族は選択を迫られます。
一生を病院で過ごすか、それとも自宅で呼吸器をつけて暮らすか。
家族は迷うことなく後者を選択します。
病院は病人を治療する場所。これから生きていくには、その場所が病院でいいはずがないと考えたのです。

そこから家族の生き方が変わっていきます。
凌雅くんの世界も大きく広がっていきます。
そしてまわりのたくさんの人たちに喜びや幸せを広げていくのです。
その話は、ぜひ松永さんの書いた「呼吸器の子」(現代書館)をお読みください。
とてもここでは紹介しきれませんし、正確に伝えられる自信もありません。
凌雅くんはいま中学校に通っています。

最後に松永さんは、「私が学んだこと」と言って3つのことを話してくれました。
3つ目だけを紹介します。
不自由なこと、不幸なことはイコールではない。
なぜならば、人間とは、人間とは何かをつねに決定する存在だ。

パワーポイントの最後は、凌雅くん一家がアクアパーク品川に行った時の写真でした。
両親と凌雅くんの姉、みんなとても幸せそうな笑顔でした。
この笑顔を見れば、今の生活が楽しいというお母さんの言葉に納得できるでしょう。
私は、こんなに素晴らしい笑顔の家族はそう多くないかもしれないとさえ思いました。
同時に、この家族を幸せにしているのは、まさに凌雅くんだと確信しました。
長年、身近で接してきた松永さんは、そのことをもっと強く実感しているでしょう。

松永さんは、凌雅くんの看護師の言葉を紹介してくれました。
「苦しみの中にちょっとした楽しさや前向きの気持ちを見つけて、それにすがって生きていかざるを得ない。楽しさを見つけてキャッチする、障害児の母はそういう能力を自ら開発している」。
とても考えさせられる言葉だと思います。
私たちが忘れてしまっていることかもしれません。

話し合いは、いつものようにさまざまな話題が出ました。

凌雅くんは他者とどういうコミュニケーションをしているだろうかという話から、凌雅くんの生活を支えるためのいろいろな人たちを元気にし、言語ではないコミュニケーションをしているという話が出ました。
松永さんは、みんなも凌雅くんに支えられているとも話してくれました。
まさにケアの本質がそこにあります。

凌雅くん家族は、余命2歳の「医療界の常識」を否定しましたが、そうした事実によって、その後、障害児医療はどう変わったのでしょうか。
医師たちの考え方は変わったのでしょうか。
残念ながら大きく変わった事実はないようでした。
たぶん凌雅くん家族のことを知っているかどうかで、医師の考え方は変わるのではないか。
だからこそ、松永さんは本書を医療関係者に読んでほしいと思っているのです。
医療関係者だけではありません。
凌雅くん家族の幸せは社会を変えていく大きな力を持っているように思います。
医療を変えるのは、医療関係者だけではありません。
一番の当事者である患者、つまり私たち生活者もまた、医療を変えていく存在なのです。
それに、障害者のとらえ方も変わってくるでしょう。
そうした話から、医療のあり方や医師教育のあり方にも話は広がりました。

ちなみに、なぜ凌雅くんは余命2年の常識を変えられたのか。
ここに私は医療の本質が示唆されているように思います。
いつか、そんなテーマのサロンを企画したいです。

出生前診断の話も出ました。
これに関しては賛否ありますが、それを考えるうえでも凌雅くん家族の話は大きなヒントになるでしょう。

凌雅くん家族はすごいのかという話も出ました。
たしかにそうかもしれませんし、恵まれていたのかもしれません。
でも、そうしたくても、そうできなかった家族はどう思うでしょうか。
松永さんは、本の中ではそうしたことに関してとても誠実に心配りしていますが、だれもが凌雅くん家族のようにできるわけでも、なるわけでもありません。
でも大切なのは、どんな場合にも、それには十分の意味があると思うことかもしれません。

電車の中などで、障害者を見てしまうことも話題になりました。
その時に、「可哀そう」だと思うことの意味も話題になりました。
凌雅くんの父親は、「見られるのは当たり前。だって呼吸器を付けているのだから。これも人生」と言っているそうです。
実に自然体で、誠実に生きていることが伝わってきます。

障害児の自立についての父親の考えはとても共感できます。
「児童が好きなものを見つけていく。好きなものが見つかれば、仲間ができる。仲間が増えれば、その児童は幸福になれる。夢・目標に向かっていく姿勢を自立と呼びたい」。
私も、はっと気づかされた言葉です。

医療費は限られているのだから、重度障害児治療よりも、もっと大勢の子どもたちのための治療に向けたほうがいいのではないかという発想から、重度障害児治療に消極的な人も多いそうです。
これは大きな、そして実に悩ましい問題です。
それに関して、「海外での心臓移植治療のための巨額な費用の募金活動の呼びかけを受けた時に、ほかの同じような子供のことを考えると募金すべきかどうか迷ってしまった」という発言がありました。
つながっている話だと思いますが、書き出すときりがないので、今回はそうした話も出たことだけを報告しておきます。
いろんな視点に気づかされるのが、湯島のサロンの魅力なのです。

身体的ではないが、精神的な障害で、今日、このサロンに来るのもやっとだったという参加者の発言もありました。
彼女も、凌雅くんからたくさんの気付きをもらったようです。
精神障害は身体障害と違って、外からは見えにくいこともありますが、だからこそ大変な面もあります。
今回、松永さんのお話を聞いていて、私は改めて、障害観に関する大きな示唆をもらった気がします。

生きるとは何か、幸せとは何かを、考えさせられるサロンでした。
いろんな気付きがあって、この報告がなかなか書けず、夜になってようやく書く気力が出てきたため、遅くなってしまいました。
長くなったのですが、書き足りない報告になっています。

サロンの映像記録を近藤さんに撮ってもらいましたので、もしかしたら公開させてもらえるかもしれません。
その場合は、またご案内しますが、ぜひ松永さんの著書「呼吸器の子」(現代書館)を読んでもらえればうれしいです。
松永さんは特に医療関係者に読んでほしいと言っていますが、すべての人に読んでほしい本です。
松永さんはその本の最後に、「本書は、私たちの中に潜む差別思想に対するカウンターブローにしたい」と書いていますが、間違いなくそうなるでしょう。
だからこそたくさんの人に読んでほしいのです。
残念ながら本書はまだ重版に至っていません。
ぜひみんなで購入して重版に持っていきたいです。
社会をもっと住みやすくしていくためにも。

なお、「呼吸器の子」は、私のサイトに少しだけ紹介しています。
http://cws.c.ooco.jp/books.htm#170709

Matsunaga1709


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