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2017/10/13

■国の責任とは何なのか

10月10日、福島地裁は原発事故に関して国の責任認め賠償命じる判決を出しました。
原発事故をめぐる集団訴訟は全国18の都道府県で1万2000人余りが訴えを起こしていますが、今回の福島地裁の判決は3つ目の判決です。
原発事故を防げなかった国の責任を認めたわけです。
原告代表は、「国の責任が認められたことは評価できる」と話しています。
私は当然だと思いました。
賠償金ももっと払ってもいいのではないかと思いました。

ところで、こういう「国の責任」を認める判決が出た時、私は「国」とは何なのだろうかといつも悩みます。
政府という意味でしょうか。
それなら理解できますが、では政府とは何なのか。
私を含む国民が、社会統治を委託している人たち、つまり行政府ということでしょうか。
その政府の責任が問われ、賠償金を支払うということは、統治を委託した私たちの税金で賠償するということです。
ということは、実際には政府を構成する統治者たちが賠償金を負担するわけではありません。
賠償金を負担するのは、被告(被災者)を含めた国民であって、責任が問われる行政府の人ではありません。
これはおかしいのではないのか。
いつもそう思うのです。
国の責任とか政府の責任などと言わずに、行政府の誰かを被告にすべきではないかと思うのです。
政府の責任が問われて賠償金が認められたのであれば、賠償金は政府のトップである首相や管理責任者が払うべきではないかと、私はいつも思うのです。

神戸製鋼が今回とんでもない不祥事を起こしました。
昨今の企業は一体どうなっているのかと思うのですが(私の考えでは1980年代頃から日本の企業はおかしくなりだしています)、株主訴訟で経営者の責任が問われ、場合によっては賠償金の請求が個人にも行くでしょう。
不祥事があれば、社長が謝罪に出てきます。
しかし、国家の場合は、そういうことはほとんどありません。
それがどうしても理解できません。

もう一つ理解できないのは、賠償金額が低すぎることです。
もし自分が被害当事者になったなら、こんな賠償金で生活が戻るはずはありません。
少なくとも私の感覚では一桁は違います。
被災者とそうでない人との感覚の違いでしょうが、あまりにも低すぎます。
そして、こういう問題が起きても、相変わらず原発はコストが安いなどと言っている人が多いことも不思議です。
さらに、原発再稼働を支持している人がいることは、私には信じがたい話です。

こうした裁判の被告は、「国」などという制度対象にするのではなく、首相や行政官僚にすべきではないかと思います。
もし国にするのであれば、賠償金は国民全員で均等に負担するようにすべきです。
もちろん原告も含めてです。

得をする人と損をする人。
誰かが得をし、だれかが損をするための制度が国家なのでしょうか。
そんな国家は変えていかなくてはいけないと思います。
国の責任と言われて、自分の責任につなげて考えられない人は主権者ではありません。
国に責任があり、賠償金を支払わなければいけないということは、国民一人ひとりが問われていることです。
でもほとんどの人は、国の責任を認めた判決を読んでも、自分とは無縁だと思うでしょう。
どう考えてもおかしな話ではありませんか。

ともかくこうした判決が出ると、私はいつも悩んでしまいます。
頭がこんがらがって仕方がありません。

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