■政治家の演説を聴いてはじめて涙が出ました
政治家の演説を聴いてはじめて涙が出ました。
日本の政治に、そして日本の未来に、期待と信頼が戻ってきました。 是非見てください。
https://www.youtube.com/embed/dmqT-ICLeTE
昨日も湯島で政治を考えるサロンをやっていました。
参加者全員、いまの政治を変えたいと思っているようでしたが、無力感が強いです。
まずはその無力感やあきらめを捨てないと何も始まりません。
改めてそう思います。
昨日も話させてもらいましたが、いま政治は大きな転換期を迎えてきています。
経済も同じように、パラダイム・シフトを求めていると思います。
今と言っても、私の認識では30年くらいまえからです。
1989年は、その目に見える転換点でした。 私もその年に組織を離れて、個人で生き出しました。
しかし、その後も、政治も経済も従来の延長でしか動いていないために、さまざまな混乱や閉塞状況が生じています。
しかも残念ながら私の感じでは、別の方向へと転換しようとしている気がします。
つまり、経済も政治も人間を部品化する方向へと向かうような気がしています。
その先に見えるのは、AIによる「平和な世界」です。
世間で広がっているAIによるシンギュラリティ信仰は、それへの憧れと畏れ(それは同じものだと思いますが)を示唆しています。
シンギュラリティ信仰に帰依し喧伝する人たちは、人間であることを放棄したがっているとしか思えません。
今年のノーベル文学書がカズオ・イシグロに決まったことにも、そうした予兆への不安が現れているようにさえ思います。
私が考える政治や経済のパラダイム・シフトの方向は、システムから人間へ、です。
私のホームページ(CWSコモンズ)もこのブログ(CWSプライベート)も、そしてささやかな活動や私自身の生活も、すべてこの原則に従っています。
政治でいえば、その対立軸は「統治側の視点」から「生活者の視点」への転換です。
その視点からは、これまでのような政党制度や議会制度は役割を終えたと思っていますが、しかし一挙には変わりようがありません。
そうした制度の中で、どうしたら枠組みの転換は可能になるのか。
唯一の方法は、人間が人間であることに気づくことではないかと思っています。
湯島で毎週のようにサロンをやっているのは、そういう思いと無縁ではありません。
もう少しきちんと書かないと伝わらないかと思いますが、湯島のサロンは勉強会ではないのですが、いまも「勉強会」だと思っている人もいます。
大切なのは、勉強ではなく、自らで考えることです。
自らで考えるために勉強するのであって、制度やシステムに合わせるために勉強するのではありません。
そういう、私が考える人間ではない人たちに、人間に戻ってもらおうというのが、私の意図なのです。ますます誤解されそうになってきたのでやめます。
枝野さんのスピーチに涙が出てしまったのは、まさにそうした人間からの政治の再構築の思いを感じたからです。
システムの部品として原発事故の後、活躍した枝野さんの口からです。
枝野さんは人間に戻ってきた、そう感じたのです。
枝野さんはどうも好きになれなかったのですが、彼の決意に元気をもらいました。
枝野さんに感謝します。
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