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2017/10/01

■私は共和主義者です

私は共和主義者です。
最近の政治状況を見て、目指すべきは共和制だとますます考え出しています。

それに関して、最近、自分の考えを確信させてもらった本があります。
内田樹さんと姜尚中さんの対談「アジア辺境論」(集英社新書)です。
そこで内田さんが「民主か独裁か」のスローガンはカテゴリーミステークだと話しています。
つまり民主制と独裁制は親和性が高いというのです。
同書の44ページです。
そして内田さんも「共和制」の話をしています。

独裁者たちの饗宴がますます広がりだしています。
民主党が解党するのは、民進党に改組された時から期待していましたが、残念ながら解党ではなく企業のM&Aさながらの大安売りになったのには驚きました。
政治も今や市場化されてしまっています。
松下政経塾が始まった時の感じていた懸念は、その後、現実のものになってきています。

しかし、前原さんがこれほどの独裁者だと思ってもいませんでした。
その政治政策の考え方には、賛成しがたいものがありましたが、生活への誠実さを感じていました。
いやそれ以上に、もう少し賢明だと思っていました。
目的のために手段を選ばないのは、自らの目的を否定することです。

異論が出てこない自民党を批判していた民進党も、自分たちもまた異論を出せない状況になっていたのにも驚きました。
昨日になって、辻本さんが私は希望の党へは行かないと明言しましたが、いまとなっては遅いでしょう。
なぜ異議申し立てをしなかったのか。
残念です。

「アジア辺境論」で内田さんは、「国会議員の質の劣化というのは、これは明らかに意図的に作られた状況ですよね」(75頁)と話していますが、みんなすでに部品になってしまい、人間であることを捨てています。
安保法制に強烈に反対していた若者議員が、安保法制支持に回っている姿を見るとなんだか悲しくなりますが、原発推進派(核武装のための原発は不可欠です)の小池さんが「脱原発」を標榜したりしているのですから、政治家の言葉はもはや営業トークでしかありません。
独裁者の信念は「私が法」ということなので、原理原則などないのかもしれません。
そして、独裁者のまわりには阿諛追従族が集まるのでしょう。
これも内田さんがわかりやすく話してくれています。

簡単に読める本ですので、22日の投票日までには第1章だけでも読んでもらえるとうれしいです。

ちなみに政局に関しては、山本太郎さんのような若者が出てきて、生活寄りの政治を打ち出せば、日本は変わっていくのでしょうが、マスコミに洗脳され過ぎた国民は、希望の党に投票し、日本はますますの右傾化を進めるでしょう。

韓国とどうしてこんなに違うのか。
何が欠けていたのでしょうか。

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