■節子への挽歌3691:他者を思いやる余裕がありませんでした
節子
再開したはずが、今日もバタバタと1日が終わってしまいました。
なにやら宿題が机の上に山積みで、そこからどうも逃げたくなるのです。
困ったものです。
昨日、私よりも若い友人がサロンに参加してくれたのですが、9月2日に奥さんを亡くされたそうです。
そういえばしばらくサロンに顔を出さないなと思っていましたが、思ってもいなかったことです。
四十九日を終えたところなので、私の体験から言えば、実感が強まっている時でしょう。
この時期の過ごし方は大切かもしれません。
注意しないとそのまま後を追いかけたくなりかねません。
だから無理をしてでも外に出たほうがいい。
彼もそのことを知っているようで、昨日もサロンに来てくれたのです。
しかし、彼から話し出さなければ、そのことに気づきませんでした。
もしかしたら、そうやって私のまわりで起こっている伴侶との別れに気づいていないことも少なくないのかもしれません。
他者の痛みをわかるということは本当に難しい。
そして、わかっても、どう対処していいかがわからない。
この10年の私の体験はなんだったのか。
自分だけが悲劇のど真ん中にいるような、そんな大きな勘違いをしていたのかもしれません。
彼と話していて、少し10年前のことを思い出しました。
あの時は世界が全くと言っていいくらい見えなくなっていました。
悲しさとか寂しさも、あまりリアルではなかった気がします。
あれから10年。
いろいろと思うことが多いです。
今日、挽歌が書けなかったのは、それとは関係ありません。
ある人が、挽歌を再開しましたね、とメールをくれました。
そうやって気にしていてくれる方がいる以上、挽歌はやはり書きつづけようと思います。
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