■日馬富士事件の報道に思うこと
つづけて書きたくなりました。
あいかわらず日馬富士の暴力行為がテレビで語られています。
相撲協会の世界とは切り離して、これは純然たる暴力行為(犯罪)だという人が圧倒的に多いです。
でもそうでしょうか。
フランスの社会学者ブルデューは、「およそ教育的働きかけは,恣意的な力による文化的な恣意の押しつけとして、客観的には、一つの象徴的暴力を為すものである」と、教育を恣意性による押しつけという象徴暴力的行為としてとらえています。
教育は「暴力行為」だなどと言うつもりはありませんが、教育に「暴力性」があることは否定できません。
そもそも、社会の秩序を維持していくためには、「暴力性」は不可欠なのです。
問題は、どういう場合にどういう「暴力」がゆるされるかです。
それは時代によって変わってきましたし、これからも変わっていくでしょう。
ともかく「暴力が悪い」という人が多いですが、果たしてそうなのか。
たしかに「暴力のない社会」を目指したいですが、時に暴力が必要なこともある。
そう考えれば、事件の背景や状況や関係者と切り離して、純粋に「暴力行為」を評価すべきではないと私は思います。
日本はまだ、近代を超克していない。
そう思いながら、コメンテーターたちの「正論」を苦々しく聞いています。
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