■節子への挽歌3705:目が△になってますよ
節子
先日、あるイベントを開催する前に一緒にやっていた女性が、「佐藤さん、目が△になっていますよ」と笑いながら注意してくれました。
私の目は細いので、△になどならないのですが、怒り過ぎですよという皮肉です。
そのイベントは、当初の話と違って、なかなかうまくいっていなかったので、準備のためのミーティングで毎回私はかなり怒っていたのです。
実はその人は、私の友人から紹介されてそのミーティングに参加してくれるようになったのですが、運悪く、彼女が参加しだしたころから毎回、私はイライラして怒っていたのです。
怒るとついつい顔と態度に出るのが私の弱いところです。
彼女は「佐藤さんは神様のような人だ」と友人から聞いていたそうなのですが、実際の佐藤さん(私です)は怒ってばかり。
それを皮肉られたわけですが、幸いにその時には私は怒ってはいなかったのです。
少しだけ余裕があったので、「オリンポスの神様もいつも怒っているでしょう」と言い返すことができました。
しかし、その頃、つまり1~2週間ほど前ですが、私はかなり怒っていました。
イベントだけではありません。
周り中のすべてに怒りを感じていました。
周りが悪いと言いたいところですが、まあ悪いのは私自身なのでしょう。
すべては自業自得なのが人の常ですが、それでも怒りは収まらない状況にいたのです。
イベントはまあ何とかうまくいきました。
近隣の市からわざわざ参加してくれた人はとても良かったと言ってくれましたし、我孫子の人も元気が出て来たとか私のメッセージがよかったとか言ってくれました。
でも私には充実感は全くないのです。
どうも私の思いは、なかなか伝わらないようです。
だから終わった今もなお、怒りはおさまりません。
それに日馬富士の事件も腹立たしい。
私は日馬富士に対して腹立たしいのではありません。
世間が腹立たしい。
価値観がずれているせいか、最近はともかく怒りたくなることが多いです。
そういう時は、何かをする気になりません。
困ったものです。
明日から12月。
今月中に連絡すると約束したことも果たせずにいます。
さらに恥ずかしいことに、見舞いに行こうと思っていた友人から、見舞いに来てくれないので、自分が行くことにしたと電話が来ました。
いやいや怒ってばかりいるうちに、怒られるようなことを積み重ねているような気がしました。
まだまだ未熟な老人です。
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