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2017/11/30

■状況と行為

日馬富士事件は、日馬富士の横綱引退表明という、私にとっては一番想定されていた、しかし一番避けたかった結果になってしまいました。
日馬富士という若者の無念さを思うと、私自身も無念になります。
彼がまだ33歳の若者であることをみんな忘れているのではないかとさえ思います。

「暴力が悪い」という言葉ほど、暴力的な言葉はありません。
もし本当にそう思っているのであれば、国家に戦争という暴力を認めることはおかしいはずです。
集団安保法制や北朝鮮への圧力支持者は、みんなそういう自覚があるのでしょうか。
暴力はたしかに悪い。
しかしすべての暴力が悪いのか。

念のために言えば、私は、すべての暴力が悪いと思っています。
ですから、先日のサロンでも話しましたが、もし戦争に駆り出され相手を殺害せざるを得なくなっても私は殺害せずに相手に殺害されることを選びたい。
鶴見俊輔さんの考えに共感します。
http://cws.c.ooco.jp/blog7.htm#150630
しかし、その時も笑われましたが、鶴見さんの考えに賛同する人は私のまわりにはほとんどいません。
つまりみんな「暴力」を条件付きで認めている。
だとしたら、状況もわからないまま、「ともかく暴行は悪い」というのはおかしいのではないか。
そういう「ジャスティス・ハラスメント」には違和感を覚えます。

日馬富士の「暴力する行為」をみんな非難します。
しかし、「暴力する行為を起こした状況」をきちんと知っているのか。
それを知らないで、行為だけを問題にするのはどう考えてもフェアではありません。
状況から切り離して暴力「行為」だけを議論することなどできるはずはありません。
大切なのは、行為ではなく状況であるというのが、私の信条ですが、「行為」だけで議論する最近の風潮にはあやうさを感じます。

大切なのは、「行為」という事実から「状況」を読み解くことです。
そして正すべきは「状況」です。
それをしないから、同じようなことが繰り返し起こってくる。
念のために言えば、ここで言っている「状況」は、今回事件が起こった飲み会の「状況」ではありません。
彼らが生きている相撲界の状況であり、それを見ている世間一般の状況であり、それを介在するマスコミの状況です。

マスコミがつくる「事件」は、加害者と被害者がいつも明確です。
でも実際の社会は、加害者と被害者は紙一重の違いであり、少し視点や基準を変えると立場が逆転することもあります。
行為だけをみれば、加害者と被害者は見えやすくなりますが、状況次第ではそれも逆転しかねません。
そのために、裁判でも情状酌量という仕組みがありますが、しかしそれは「行為を裁く」という近代の思想にとっては補助的なものでしかありません。

さらに、状況に関して大切なことは、状況は主観的な要素が強いということです。
しかし、加害者や被害者が状況をどう捉えているかなどは当事者以外にはわかりません。
であればこそ、状況を構成している人たちが、みんなで状況を見えるようにしていく必要がある。
その努力なしに、行為はもちろん、人を罰することはできません。

その意味では、事実を隠している貴乃花親方の暴力性は極めて大きな問題です。
正装して謝罪に来た伊勢が濱親方や日馬富士を無視して走り去った貴乃花親方の行為は「暴力」といえないのか。
子どもたちのいじめの世界で、「無視」することがいかに人を気づつける暴力行為なのかが盛んに言われたことをみんな忘れているのでしょうか。
そういう行為が、いかに多くの人の精神を傷つけ死にまで追いやることをみんな忘れたのでしょうか。

貴の岩や日馬富士の思いが抑圧されているような状況こそが、そもそもの問題です。
伊勢が濱親方の気持はわかりますが、日馬富士の発言を制するのはフェアではありません。
貴乃花親方の信念はわかりますが、たとえ「自らの子」であろうと貴の岩を世間と遮断しているのは非難されるべきです。
そんな権利は、たとえ親といえどもありません。
貴乃花親方は自らが批判している相撲協会の他の理事たちと同じことをやっているとしか私には思えません。

私は、自殺の問題やケアの問題にささやかに関わってきていますが、そこで学んだのは「行為」よりも「状況」だということです。
時に、被害者よりも加害者のほう被害者に見えることもある。
事件の報道によって、被害者がさらなる被害者になることもある。
さらに部外者が、加害者になることもある。

私はこれまで以上に、「行為」よりも「状況」を見ていきたいと思っています。
他者の行為は私の関われないことですが、他者と共に生きている状況であれば、私も少しは、自らの影響を通して、影響を与えることができるかもしれません。
いまの社会がこのまま続くのであれば、来世は人間ではない存在に生まれたい気分です。

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