■節子への挽歌3696:変えていく人生と変えないままの人生
節子
福岡の玉井さんが湯島に来てくれました。
10数年ぶりです。
2時間しかなかったのですが、玉井さんはしばらくぶりだったので、来た途端に話し出し、ともかく話し続けました。
玉井さんのキャリアは書きだすときりがないのですが、そもそもは都市計画の専門家で、20年ほど前にジェーン・ジェイコブスの話題で意気投合して以来のつきあいです。
福岡在住なので滅多に会えないのですが、なぜか先月の西川さんにつづいての福岡からの来客です。
湯島の私のオフィスは30年近く変わっていません。
ですから時々とんでもなく久しぶりに来てくれる人もいます。
私は、自分の居場所は一度決めたらできるだけ変えないのが方針です。
オフィスもメールアドレスも、まったく変えていません。
電話番号も変えたくなかったのですが、電話料金を払えなくなったことがあり、変わってしまいましたが、そうでもない限りは変えません。
変えてしまうとつながりが切れてしまうからです。
特に湯島は私の人生にとってはとても重要な場所になっています。
湯島の部屋は小さいし、あんまり掃除も行き届いていませんが、それでも来てくれた人がゆっくりとしてくれて、居心地がいいと言ってくれます。
すべてを真に受けているわけではありませんが、私自身も居心地がいいので、たぶんいろんな人が、この部屋に「気」を置いていってくれているのだろうと思います。
ここには、私たちの30年の人生が積もっているのです。
30年も経過すると、椅子もかなり壊れだしていますが、なんとか使いこなしています。
カーペットや壁を改装しようとした途中で節子は病気になったため、カーペットだけは張り替えましたが、壁は結局、最初のままです。
節子の計画は途中で終わっていますが、それもまた私には思いがあるのです。
椅子はさすがに痛んできたので、買い替えようかと思ったこともありますが、経済的にもちょっと苦しいのでやめました。
本当は費用の問題ではなく、面倒くさいのが一番の理由なのですが。
節子がいたら、新しい椅子に変えてよと一言でいいのですが、いまはそういうわけにもいきません。
それにふたりで苦労して探した椅子でもあるのです。
私が節子を今もなお、自分の伴侶にしているのも、理由はほとんど同じです。
つまり自分の居場所を変えるのが面倒だからです。
まあこんな言い方をすると誤解されそうですが、変えていく人生と変えないままの人生とがあります。
いまの私にとっては、変えない人生が向いているようです。
今日も昨日のように過ごせた幸せに感謝と言っていた、節子を思い出します。
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