■語らないことの罪
日馬富士の「暴行」事件が連日、テレビを賑わせています。
私自身は、日馬富士にとても同情的です。
テレビが盛んに煽り立てているような気がしてなりません。
たしかに「暴力」はいけないかもしれませんが、スマホを見ながら相手を無視するのも「暴力」の一種です。
ビール瓶と聞いた時にはさすがに私も揺らぎましたが、平手でも力士の平手は「凶器」になるという発言を聞いて、逆に考えれば、ビール瓶も力士には「凶器」にならないかもしれないとも思いました。
一方で、元貴の花親方が協会を相手にせずに、警察に届けたという行動にもとても共感します。
しかし、その後の沈黙にはまったく共感できません。
今日、書きたかったのは、日馬富士事件ではありません。
「語らないことの罪」です。
私の数少ない信条の一つは、「嘘をつかないこと」です。
自らに嘘をつかないという意味ですが、他者への嘘もよほどの事情がなければついてきませんでした。
そのために、逆に「嘘をついている」と思われたこともあります。
嘘をつかないことはとても難しいことですが、それ以上に難しいのは、語るべき時に語らないことかもしれません。
幸いなことに、私自身は「語るべき時」にあまり出合したことがないのですが、今回の事件に限らず、語るべき時に語らない人があまりに多いことが気になっています。
いままた話題が再燃している森友学園事件で言えば、語るべき人で語ったのは前川さんと籠池さんくらいで、後の人はほとんど「語るべきこと」を語っていないように思います。
語らないことのほうが、たぶん生きやすいのでしょう。
語らないまま、そして証拠物件を隠ぺいしたとさえ思われながらも、国税庁長官に抜擢された佐川さんのような人もいます。
彼は、語らないまま人生を終えるのでしょうか。
私には実に惨めな人生のような気がします。
安倍首相夫人の昭恵さんは、付き合いのある友人たちからは、とても素直な善なる人だとお聞きしていましたが、その昭恵さんもまた「語るべき時」に「語るべきところ」で語っていません。
とても残念です。
語らないといえば、前の太平洋戦争のことを体験者はあまり語りたがらなかったようです。
それほど強烈な体験だったのでしょう。
しかし、少しずつ、語りだす人が増えています。
私も何人かの方から体験談を書籍にしたものをもらっています。
それを読むと、語りたくなかったことがよくわかります。
でも語らなければいけない。
私はそう思います。
体験した当事者が、辛いだろうが語ることが大切だろうと思います。
そしてその内容がどんなものであろうが、感情的にではなく、冷静に聞いて判断していく寛容さを聞き手は持たなくてはなりません。
当事者たちがもっと素直に語りだしたら、いい方向に解決していくことはとても多いように思います。
語るべき人が語らなかったために、真珠湾攻撃も実行され、避けたかった日米開戦に至ってしまった。
語るべき人が語らなかったために、チャレンジャー号は爆破し、福島原発は悲惨な事故を起こした。
「語らないことの罪」を、私も改めて心に留めようと思います。
語るべきことを、語らないまま墓に持っていくことは、決して美徳ではない。
みんながもっと語りだせば、社会はきっといい方向に向かっていくでしょう。
ますます語らない時代に向いているなかで、改めてそう思います。
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