■節子への挽歌3694:朝の3時に起きる勇気
節子
最近、深夜の3時とか4時に目が覚めることが多くなりました。
そして、そのまま眠れなくなり、読書をしてしまうことも少なくありません。
昨夜も3時に目が覚め、なかなか眠れなかったの、枕元に会った「森の生活」を読むことにしました。
ところが、なんという偶然! こんな文章がありました。
私は、冬季の間、除雪機を使って、快活で、元気な仕事にたずさわる堅実な人々に心を打たれる。こういう人々は、ナポレオンもめったに考えなかったような、午前3時に起床するという勇気を持っていたばかりか、その勇気によって夜はそんなに早く就床せずに我慢しているのだ。
なんということはないことですが、午前3時に起床というところが、私と同じだったので、ついついそのまま読んでしまいました。
その先は「孤独」と章された文章でした。
ソローはそこで、「孤独」について体験的に語っています。
大自然に包まれていることを実感していたソローには「孤独」などと言うことはありえなかったのです。
最近、私もそのことを感じます。
もっとも私の場合は、「自然」ではありません。
いささか気恥ずかしいのですが、「節子」なのです。
いつもすぐそばに節子を感じられるようになった、どのくらいたつでしょうか。
それ以来、孤独感はないのです。
もちろん「さびしさ」はありますが、少なくとも「孤独」ではありません。
3時に目覚めて、読書をすることが週に1回はあります。
読書と言っても1時間弱で、その後、また眠ってしまうので、その日は寝坊をしてしまいます。
今朝も7時半過ぎに目が覚めました。
メールが届いていました。
相談が有るというのです。
運慶展に行こうか行くまいか迷っていましたが、相談があると言われれば、断るわけにはいきません。
そういえば、今日、相談に来る人は、運慶のなにかの像に似ている人です。
運慶が私のところに来てくれると考えればいいでしょう。
いや、事実そうなのかもしれません。
なにしろ突然のことですから。
さてそろそろ出かけなければいけません。
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