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2017年12月

2017/12/31

■節子への挽歌3734:無事に年を越せそうです

節子
人間の心身は実に微妙です。
前に書きましたが、娘からわが家の「10年ルール」を聴いて、冗談を言い合っていたのですが、話をしたりフェイスブックなどに書きこんでいたりしていたら、本当に心身が少しずつ変調を来たしだしました。
頭痛と心臓に変調が起きたのです。
自己予言の充足ということがよく言われますが、思っているとそれが現実化するということはよくある話です。
あと30時間を切った昨日、どうも調子がよくなく、血圧を測ったら、かなり高かったのです。
まあこれも自らの期待に反応していたのかもしれません。
でもここにきて10年ルールが現実化するのは避けたいので、昨夜は入浴もせずに、9時に寝ました。
寝ればいいというものでもないですが、安静にこしたことはありません。

夢を見ました。
いい夢でした。
そういえば最近見る夢は、いずれもかなり理屈っぽい内容のことが多いです。
夢の中で、何かとてもいいことを語っている自分がいるのです。
昨日は道徳と倫理の関係でした。
おかしな話ですが、貴乃花事件の核心がなんだか一挙に見えてきたような気がしました。
目が覚めた後思い返すと、なんだかとても退屈な見解なのですが、夢の中では何か充実感がありました。
まさか夢でこんな議論をしているとは、私にも意外ですが。

6時に目をさまし、朝風呂にゆっくり浸かりました。
体調はもどり、これなら10年ルールは跳ね返せるでしょう。
しかし、あることに気づきました。
その気になれば、自分の心身、つまり生命は、かなりコントロールできるものだと。
節子もたぶん最後の1か月は、自らの生命をコントロールしていたのだろうと、改めて実感しました。

ところで血圧ですが、やはりチョコレート療法は限界がありそうなので、来年からまた降圧剤を飲もうかと思います。
最近調子がよくない一因は高血圧のせいかもしれません。

今日は最後の日ですが、私の役割のトイレ掃除と庭の掃除がまだです。
困ったものですが、あいにくの雨が降りそうな天気なので、もしかしたら1日、遅らせようかと思っています。
節子がいたらきっと怒るでしょうが。

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2017/12/30

■節子への挽歌3733:恒例のお餅

東尋坊から恒例の「わたしの気餅」が届きました。
毎年、東尋坊の茂さんや川越さんや、仲間のみなさんたちが一緒になってつくお餅です。
早速、節子にも供えさせてもらいました。

このお餅を最初に食べたのは、節子と一緒に東尋坊に行った時でした。
節子との最後の旅行でした。
吉崎御坊にお参りに行ったのですが、その途中に立ち寄った東尋坊で偶然にも茂さんたちに出会い、お店でご馳走になったのです。
私は前にもおふたりには会っていましたので、もしかしたら会えるかもしれないと思っていましたが、自動車を降りたら、なぜかそこに茂さんたちがいたのです。
それは、後で考えるととても大きな意味をもっていました。
単なる偶然ではありません。

それはそれとして、電話に出た茂さんも川越さんも声が輝いていました。
茂さんたちの活動で、東尋坊で人生を取り戻した人たちはすでに600人を超えていますが、今年は出会いも被害者も少なくなってきたそうです。
とてもうれしいことです。

それにしても今の東尋坊は寒いでしょう。
茂さんたちの活動に役立つことは最近できていませんが、来年はもう一度、東尋坊に行きたいものです。

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■節子への挽歌3732:読書三昧から読書惨敗へ

節子
昨日は年末を読書三昧に充てようと決意しましたが、初日で諦めました。
読みだしたのが「世界の共同主観的存在構造」という難解そうな書物でした。
しかし、そのタイトルに魅かれるものがあり、また著者の廣松渉さんにも魅かれたのですが、やはり私の手には負えませんでした。
一応3時間かけて目は通しましたが(読んではいません)、歯が立ちそうもなく、あきらめました。
読書三昧のはずが読書惨敗です。

ただデュルケームに関する論考だけは少しだけ心に入ってくるところがありましたの、何内にもう少しきちんと読んでみようと思います。

それで今日は読書ではなく、仕事場の整理を始めました。
これがまた読書よりも大変です。
読みかけの書類や懐かしい書類などいろいろと出てきます。
捨てがたいものもありますが、やはりここは思い切っての処分が必要です。
たぶん私にはとても価値のあるものなのですが、私以外の人にはゴミの山でしかありません。
そう考えると不思議な気がします。
「価値」とはいったい何なのか。

年末はいろいろと考えることが多いです。
片づけ仕事が疲れたので、ちょっと気分転換に挽歌を書いてしまいました。
なにしろ1か月以上、遅れてしまっているのです。
年内に追いついて年を越そうと思っていたのですが、もう不可能です。

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2017/12/29

■節子への挽歌3731:10年ルールの危機をとりあえず乗り越えました

節子
今朝の危機は無事乗り越えられました。
実はまた1時間ほど寝てしまいました。
頭痛が少し残っているような気もしますが、それはテレビで久しぶりにまた貴乃花事件の話を見たからかもしれません。
どうも問題の捉え方が違っていて、蹴飛ばしたくなるほど違和感があります。
もう少しまともな問題をまともに捉えて、まともな論評をしてほしいと思います。
テレビがますます嫌いになってきています。
それでいささかムッとして、時評編やフェイスブックに怒りを書いてしまいました。
今年もついに未熟な人間をさらけ出しながら、終わりそうです。
困ったものですが。

気を取り直して掃除を再開。
寝室の掃除をやりだしたら、これがまたひどいもので、こんな中で寝ていたのかと驚くほどです。
でもまあ、それもほどほどにしたのは、電話がかかってきて呼び出されたからです。
昼食に誘われてしまったのです。
昨日は遠くでしたので断れましたが、今日は我孫子市内なので、断れずに、お付き合いしました。
でもご馳走になってしまいました。

しかし、体調はなかなか戻りません。
10年ルールに呪縛されているのかもしれません。
いや今朝、寒い中をパソコンをやっていたので風邪をひいてしまったのでしょうか。
早めに自宅に戻りました。
娘が階段のワックスがけをしたから上に上がってくるなというので、仕方なく1階でテレビを見ました。
ニュs-を見るとまた血圧が上がりかねないので、録画していた「こころの時代」を観ました。
今月初めに放映された「紛争の地から声を届けて」。
一度見ていますが、また見たくなったのです。
ユダヤ人ジャーナリストのアミラ・ハスさんを徐京植さんがインタビューしたところが、とても共感できるのです。
そこでは「ピープル」という言葉が効果的に語られています。
また「ディアスポラ」に関しても語られています。
いずれも最近、私が引かれている言葉です。
それにしてもなぜ人は傷つけ合い殺し合うのか。
また相撲協会のことを思い合思想になったので、テレビはやめました。

お金がないのに気が付いたので、ATMにお金をおろしに行きました。
しかし、この寒い中、たくさんの人が並んでいたのでおろせずに帰ってきました。
並ぶのはどうも苦手です。
お金がなくてもどうにかなるでしょう。
さすがに、お賽銭くらいはありますので。

ところでお賽銭は、自らの穢れを捨てるために奉納するとテレビでだれかが語っていました。
私の場合、あまり穢れはないはずので、お賽銭は不要かもしれません。
いや、そう思っている人ほど、穢れは多いのでしょうね。
あれ、また貴乃花事件を思い出しそうです。
挽歌など書くのをやめて、読書三昧に入りましょう。
今週は「世界の共同主観的存在構造」という、なにやら難しい本に挑戦することにしました。
読了できるでしょうか。
なにしろ場合によっては、あと58時間しかないのですから。

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■隠し立ては諸悪の根源

久しぶりに貴乃花問題のことをモーニングショーで見ました。
論調がどうも変わって来ているような気がします。
しかも、何を論じているのかが全く分からない議論が行われていました。

しかし、相変わらず貴乃花人気はなくなっていないようですし、相撲協会も公益法人として扱われているようです。
私には相撲協会はブラック企業とは言いませんが、金銭目的のショービジネスとしか思えません。
勝負に100万円もの賞金をつけていることがすべてを語っています。
勝負の勝ち負けがお金でやりとりされているという話があるそうですが、それは当然の帰結でしょう。
ショービジネスとはそういうものです。

貴乃花を応援するコメンテーターが多いですが、貴乃花は人の道に反しているように思います。
約束も果たさずに、自分の弟子だからと公職の任よりも身勝手な行動を正当化する。
知っていることも語らず、謝罪に来た人を無視し、声をかけてくれている人も無視する。
なぜ「今は話せない」という一言が発せられないのか。
子どもたちに、人を無視することを奨励してしまうような行動です。
信念があるのであれば、もっと正々堂々と行動できるはずです。
見ていて私には不様にしか見えません。

貴乃花は、相撲協会の改革に取り組もうとしていると報道されていますが、もし本気であれば、改革の内容を社会に公言すべきです。
公言する勇気もなく、しかもその組織の役員に就任しているのであれば(それは「改革すべき組織の責任」を負うということです)、自らこそが一番の元凶ではないのか。
内部告発者になる勇気さえないのでしょうか。

まずは潔く、組織の役員を辞任し、問題を明らかにするのが筋ではないかと思います。
そしてそうした組織の役員であったことを、まずは謝罪すべきです。

もし協会に問題があるのだとすれば、協会の問題を隠蔽しているという点では、貴乃花も同罪です。
関係者がテレビでよく「問題を公言したら大変なことになる」ともったいぶって話していますが、知っているのであれば明らかにすべきです。
知っていて明らかにしないということは、自らもその問題に荷担しているということなのです。
知ったものの責任を果たす勇気もない貴乃花には失望です。
それをかばう人たちには、哀しさを感じます。
どうしてみんなもっと堂々と生きないのでしょうか。

評議員の池坊委員長の素直な姿勢に共感を持ちます。
隠し立ては諸悪の根源です。
この問題は、単に相撲協会の問題ではなく、いまの日本の社会を象徴しているように思います。

また貴乃花ファンからお叱りのメールが届くでしょうが、やはりここは私の意見を書いておくことにしました。
お許しください。

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■節子への挽歌3730:早く目が覚めてしまいました

節子
5時にまた目が覚めてしまいました。
今回はそのまま起きてしまいました。
寒いです。
なにしろ私の仕事場には、こわれかけた電気のヒーターしかないのです。
たっぷりと厚着をして、パソコンを開きました。
最近、私からの発信もあまりしていないからか、メールもフェイスブックメッセージも少なくなってきていますが、いろんな端末でチェックするようになったので、見落とすことも少なくありません。
基本は机のパソコンで受けているのですが、なぜか時々見落とします。

数日前に電車の中で、スマホで確認したメールがあります。
後で読もうと思っていたのを忘れてしまい、探しましたが、見つかりません。
あのメールは私の幻想だったのでしょうか。
たしか25日か26日にもらったメールで、
私の考えが少しわかったという書き出しでした。
最初だけ読んだだけなので、どうわかったのかをきちんと読んでいません。
気になりながら、今日まで放置していました。
私の考えがわかったとは嬉しいと思いながら、そのメールを探しましたが、見つかりません。
念のために最近バックアップするようにしているgmailを探しましたが、見当たりません。
可能性のあるところを探しましたが出てきません。
あのメールは、私の願望が創作した幻想だったのでしょうか。
ますます現実と幻想がまじりあってきてしまったようです。
まあいずれにしろ、すべては幻想なのでしょうが。

そもそも私の考えは、自分でもよく整理できていないので、なかなか分かってはもらえません。
最近それを痛切に実感しています。
もしかしたら、私の人生そのものが幻想なのかもしれません。
そうした私の幻想と現実の乖離が生まれているのかもしれません。
最近読んだ、バウマンの「ソリッド・ライフ」にこんな文章がありました。


この社会では、使い捨てが普遍的なルールであり、例外措置はない。たとえどんなもので  も、歓迎期を過ぎたら、それ以上長居することは許されない。

私はちょっと「長居」しすぎているのかもしれません。
私自身の認識と他者の受け止め方は違っていて、私の役割は終わっているのに私が気付いていないのかもしれません。
一昨日届いた友人からのメールに、「佐藤さんのように年齢を重ねても活躍できる人間になるのが目標です」と書いてありましたが、どうも活躍の仕方が間違っているのかもしれません。

そんなこともあって、来年から少し生き方を変えようかと思い出しているところです。

外は少し明るくなってきましたが、日の出はまだまだです。
いささか早く起きてしまいました。
身体がふるえそうなほど寒く、頭がちょっと痛くなってきました。
心筋梗塞にならないように気をつけなければいけません。
またベッドに戻ることにしました。
でもまあ眠れないので本でも読もうと思います。

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2017/12/28

■節子への挽歌3729:穴のあいたセーター

節子先日、ジュンの家族といっしょにクリスマスの会食をしました。
孫のにこに、大きなブロックをプレゼントしました。
先日、一緒におもちゃを買いに行ったお店の子どもの遊び場にあったのですが、それがとても気に入ったようなので、プレゼントしたのです。
とても喜んで早速遊びだしました。
ジュンが、私と孫が一緒に巨大なブロックで家をつくる様子を写真に撮りました。

今日、ジュンからせっかくいい写真を撮ったのに、お父さんの来ているセーターの袖に穴があいていて、公開できないよといわれました。
写真を見たら、たしかに穴があいていました。
気が付きませんでした。
そのセーターは最近お気に入りでよく来ていたのですが、いろんな人に気づかれてしまっていたかもしれません。
わが家の経済的貧しさが露呈してしまいました。

まあ考えてみると節子がいなくなってから、セーターを一度も買っていないのです。
節子がいた時には、年末に必ず新しいセーターを購入して新年を迎えるのが、恒例行事だったのです。
節子がいなくなってから、そのセーターを着続けているわけです。

穴があいているくらいでなんだ。
最近の若者は穴のあいたジーンズを着ているのだから、セーターの穴もいいじゃないかと、言い返したかったのですが、どうもジュンとは相性が悪いので、やめました。
ユカには、そう言ったことがありますが、はいはいとスルーされたこともあります。
つまり、このセーター以外にも穴があいているセーターがあるのです。
実は今日も、もう1枚の穴あきセーターを着ていました。

しかし、やはりセーターは穴のない方がいいので、セーターを買いに行きました。
穴のあいたセーターの上にコートを着て、です。
お店に行ったら、私好みのジャケットが目に付きました。
半額セールでした。
それでセーターではなくジャケットを買ってしまいました。
経済的に貧しいと、ついつい半額などと書いてあると買ってしまいます。

身体に合うかどうか来てみようとコートを脱ぐ段になって、穴のあいたセーターを着てきたことに気づきました。
いやはや困ったものです。
でもまあ、だいたい大丈夫だろうと思って、ジャケットを買ってしまいましたが、しかし買った後、似たようなジャケットがあったなと気づきました。
まあそんなものです。
穴のあいていないセーターを着ていたら、試着してみて、その途中で似たジャケットがあるのを思い出したでしょう。
そうしたら目的通り、セーターが買えたかもしれません。
ジャケットを買ってしまったので、セーターを買うのはやめてしまったのです。

やはりセーターには穴があいてないほうがいいようです。
穴が気になると、堂々とできませんから。

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■節子への挽歌3728:お正月料理食材の買い物

節子
ユカと一緒にお正月のおせちなどを買いに行きました。
節子がいた頃は、これはわが家の年中行事でしたが、節子がいなくなってからは、家族も減ったり来客もあまり来なくなったりしたこともあり、単なる日常業務になってきています。
私も時にはついていきますが、最近は買い物をするよりも、雰囲気を見に行く程度になってしまいました。
それに今年は大掃除をがんばったので、ユカは迷惑しているようですが、結局、大掃除も手が回らずに、いつものように中途半端に終わっています。
まあそうした性格は直りそうもありません。

蟹や肉などご馳走はたくさんありましたが、いずれも通り過ぎたので、今年は質素なお正月になりそうです。
それでもまあ一揃い購入したようです。
最後にはお箸を買いました。
最初の食事にだけ使うのだそうです。
これは誰の文化なのでしょうか。

昔はお正月は、わが家においてもハレの日でした。
ですから料理も節子ががんばって作っていました。
しかし今は、ハレの気分はあまりありません。
今年は特にそんな気がします。
なぜでしょうか。
いつもと違う雰囲気の売り場に行って、私自身の気分が大きくずれてきているのを感じました。
最近のわが家は、どうも暗いです。

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■節子への挽歌3727:幸福の4条件

節子
一昨日、巡礼者の鈴木さんが、年末のあいさつだと言って湯島に来てくれました。
鈴木さんからは週に2~3通のハガキが届いています。
そこにいつも、鈴木さんが歩いた巡礼の時の写真がついています。
ゆったりした鈴木さんの生き方が、伝わってくる手紙です。

今回、鈴木さんはある本で読んだという「幸福の3条件」を教えてくれました。
「人との交わり」「親切のやりとり」「今ここがあること」
この3つが、巡礼にはそなわっている。だから巡礼に行きと幸せになるのだと鈴木さん話してくれました。
そして、いずれも「ちょっとした」と、軽いものだと付け加えました。
たとえば、行き合った人と、かるく声をかけあうのは、この3つのいずれにも当てはまる。
それが、都会ではなかなかしにくくなっているというのです。
私は、そうは思っておらず、3つともその気になればやれることだと思ってます。
やりづらくなってきているのではなく、やらなくなってきているだけの話のような気がします。
でも、そうした「みんなの気分」が、鈴木さんの言うように、「しにくくなっている」実態を創りだしているのかもしれません。

鈴木さんは、気が枯れると巡礼に出かけます。
また来春にはサンチアゴに行くようですが、私には湯島があるので、巡礼に行かなくても気が枯れません。
鈴木さんも、湯島で佐藤さんは巡礼しているというようなことを言ってくれましたが、ここには、「人との交わり」「親切のやりとり」「今ここがあること」の3つの条件が備わっています。
大げさに言えば、ここは距離のない巡礼道なのです。

時々、ここにいると時間があっという間に過ぎてしまうという人がいます。
湯島では、もしかしたら時間の流れ方が違うのかもしれません。

ところで、幸福の3条件ですが、幸いに私はその3つ共に恵まれています。
ただ、この3つに私はもう一つ追加したいです。
それは「いささかの不安と不幸」です。
矛盾しているかもしれませんが、幸福を実感するためには、不幸もないといけないのではないか。
そんな気がしています。
不安や不幸のないところには、幸福もないのではないか。
最近ずっとそう考えてきているのですが、実はまだ納得はできていません。
もっとも最近は少し、その「いささかの不安と不幸」が膨れだして、少し気が枯れそうな気配がないでもありません。
さてさて、人生にはいろんなことがあるものです。
まあそれが人生なのでしょうが。

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2017/12/24

■「わが事」を「われわれ事」にする

外からはなかなか見えませんが、人はみな、それぞれにドラマをかかえています。
昨日は3人の人と湯島で会いました。
それぞれに、思ってもいなかった「体験」に巻き込まれ、人生を変えてきた人たちです。
その体験をする前に持っていた、「常識」や「知識」は、その体験を通して、崩壊しました。
「常識」とは、信じていれば、とても安心で平安なのですが、その「常識」に裏切られないとは限りません。
「常識」はむしろ、現実を覆い隠すこともある。
それに気づいた途端に、世界の風景は変わり、自らの人生も変わってしまいます。
ある時には良い方向に、ある時には苦難に向けて。

昨日集まった3人の場合は、信頼していた「常識」に裏切られ、そこから日常的な苦難がはじまってしまいました。
私が、3人の人たちと出会ったのは、いずれも今年になってからです。
しかも、その内の2人は、つい1か月前に知り合いました。

私が、その3人に共感したのは、自分が味わった辛さや苦難を他の人には体験させたくないという思いから、社会に実態を伝えるとともに、そういうことが起きないような活動をしていこうと決意したことです。
それぞれ自らの生活も大変なはずなのに、自分の問題を社会の問題に捉え直して、活動に取り組む。
これこそが、私が考える「社会性」「市民性」です。
自らの体験として、知った以上は行動を起こす責任がある。
それが3人に共通する姿勢です。
その生き方に触れれば、私としても、看過するわけにはいきません。
私もまた、知ってしまったわけですから。
私に何ができるかを考えて、少し動いてみましたが、その問題の壁の厚さに改めて驚きました。
しかし、できることはあるはずです。

そんなわけで、顔合わせも含めて、4人で会いました。
3人には、共通するテーマがあったからです。
私自身は問題の当事者ではありませんが、同じような被害に合った人は、これまでも何人かいますし、私自身も疑問に思っていることのあるテーマです。
テーマは「司法」。
取り組むには、かなりリスクのあるテーマです。
しかし、知れば知るほど、後には引けなくなっていく。

先日の湯島のサロンで、政治のパラダイム転回に関して問題提起させてもらいました。
そこで、「わが事」を「われわれ事」にすることが、生活につながる「大きな政治」の出発点だと話させてもらいました。
そしてそのためにこそ、NPOやボランティアグループがあると思っていましたが、残念ながらその世界も今や「市場化」に向かっています。
市場化に向かってしまえば、「われわれ事」は、むしろ「わが事」になってしまいます。
それではせっかくのNPO活動も、政治のパラダイム転回にはつながりません。
ナチス時代のドイツと同じく、ただただ「小さな政治」のサブシステムになってしまい、パラダイム延命につながりかねません。
善意が、大きな悪事を支えかねないのです。

人は、それぞれにドラマをかかえています。
それを「私のドラマ」にとどめるか、「私たちのドラマ」にしていくか。
最近話題になっている、性的被害に関する「Me Too(私も)」発言の動きは、まさに「わが事」を「われわれ事」にしていこうという動きです。
セルフヘルプ活動やグリーフケア活動とは違ったベクトルとパースペクティブを持っています。
そうした動きが、政治のパラダイム転回につながっていくかどうか。
そこに期待と不安があります。

ところで、司法問題に関心のある人がいたら、ぜひご連絡ください。
権力のための司法から、生活のための司法に、というのが、大きな方向です。

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■節子への挽歌3726:人はみな、それぞれにドラマをかかえている

節子
外からはなかなか見えませんが、人はみな、それぞれにドラマをかかえています。
昨日は3人の人と湯島で会いました。
それぞれに、思ってもいなかった「体験」に出会い、人生を変えてきた人たちです。
その体験をする前に持っていた、「常識」や「知識」への信頼は、その体験を通して、崩壊しました。
信じていれば、とても安心で平安なのですが、その信頼は事実とは異なり、むしろ現実を覆い隠すものであったことに気づいた途端に、人生は変わっていきます。
ある時には良い方向に、ある時には苦難に向けて。

昨日集まった3人の場合も信頼していた「常識」に裏切られ、そこから日常的な苦難がはじまってしまいました。
私が、3人の人たちと出会ったのは、いずれも今年になってからです。
しかも、その内の2人は、つい1か月前に知り合いました。

私が、その3人に共感したのは、自分が味わった辛さや苦難を他の人には体験させたくないという思いから、社会に実態を伝えるとともに、そういうことが起きないような活動をしていこうと決意したことです。
自分の問題を社会の問題に捉え直して、活動に取り組む。
これこそが、私が考える「社会性」「市民性」です。
自らの体験として、知った以上は行動を起こす責任がある。
それが3人に共通する姿勢です。
その姿勢に触れれば、看過するわけにはいきません。
私もまた、知ってしまったわけですから。
私に何ができるかを考えて、少し動いてみましたが、その問題の壁の厚さに改めて驚きました。
しかし、できることはあるはずです。

そんなわけで、顔合わせも含めて、4人で会いました。
私の知らないことが、またたくさん出てきました。
知れば知るほど、後には引けなくなっていく。

長いミーティングでした。
しかも終わった後、一人の人から話したいことがあると言われて話を聞きだしたら、それがまた長い話になりました。
みんな私よりもかなり若い女性です。
人はみな、それぞれにドラマをかかえている。
そのドラマの重さに、昨日はつぶされそうでした。
私自身のドラマなど吹き飛ばされそうな、そんな思いで帰宅しました。

冗談も言いながら、苦難を笑い飛ばしていた彼女が、帰り際に少しよろけるように歩いていた気がします。
気のせいかもしれません。
しかし、人はみんな元気そうに生きていても、弱さに包まれて生きているのかもしれません。
元気そうに見える人ほど、弱いのかもしれません。

私自身のきっとそうなのでしょう。

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2017/12/23

■節子への挽歌3725:プレゼントをもらいました

節子
胃がんが発見されて手術した友人がやってきました。
発見直後、かなり心が動揺していたのでしょうが、いろんな相談を受けました。
一番の関心事は、「死後のこと」でした。
突然に胃がん宣告を受けると、やはり「死」を意識してしまうのでしょうか。
子どもがいないために、残された資産をどうするかがまず頭に浮かんだのか、その相談でした。
こういう場合、正常には頭が働かないことを体験的に知っていましたのですが、誠実に受け止めて、問題の整理をするだけにしました。
親族に残すか社会に寄付するか。
私への寄付まで彼は口にしましたが、彼の心の揺らぎが伝わってきました。
しかし大切なのは、死後のことではなく、生きることだと伝えました。

手術は無事終わり、その後の経過も順調のようですが、単身生活のためいろいろと考えてしまうようです。
それで定期的に会うことにしました。
少しずつ落ち着き、死後の話はしなくなりました。
苦労して稼いだお金なので、自分で納得できる形で使い切ることを勧めましたが、幸いなことにそういう気分になって来たようです。

こういうことを体験すると、やはり「お金」のすごさを感じます。
彼は、お金にはきわめて淡泊な人です。
でも死を意識した時に、それを考えてしまう。
もちろんお金がなくて必要な医療処置を受けられないということもあるでしょう。
しかし、一方で、残ったお金をどうするかという悩みもあることを気づかされました。
改めてお金の支配されている社会を実感させられました。
お金が個人のものでなく、みんなのものになれば、こんな悩みも起こらないのですが。

彼は今週も湯島に会いに来てくれました。
彼から連絡があれば、その日は基本的には用事を全く入れないことにしています。
後ろが詰まっていたら、落ち着いて対応できないですから。
前に向かいだした彼の話を聞いて安心しました。
その一方で、どうして私はそうなれずに長い間、過ごしているのだろうかと思いました。
やはり一番わからないのは、自分なのです。

彼から心のこもったプレゼントをもらいました。
実は50年前にも彼から心のこもったプレゼントをもらったことがあります。
うっかりそれを落としてしまい、彼の目の前で無駄にしてしまったことがあります。
今度はそうならないように大事に使いたいと思いますが、実は今の私にはあまり使うチャンスがないものです。
しかし、無理をしてでも使わせてもらおうと思います。
今日は早速使う予定です。
今日も湯島です。
相談事は絶えることがありません。
まだしばらくは旅立てそうもありません。


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2017/12/22

■節子への挽歌3724:10年ルール

節子
冬至です。
ようやく春への始まりです。

わが家には10年ルールというのがあります。
娘が教えてくれたのですが、10年ごとに家族が一人減るのです。
30年前に父を見送り、20年前に母を見送り、そして10年前に節子を見送りました。
そして今年が、10年です。
ルールに従えば、私が旅立つ年なのです。
娘は、自分かも知れないと言っていましたが、まあ事の順序としては私でしょう。

娘が言うには、最後までわからない・
以前、2年ほど続いて、年末最後の日に私がおかしくなって緊急病院に行ったこともあります。
いずれも大事にはなりませんでしたが、一度は三が日をずっと寝ていた記憶があります。
ですから予断はできませんが、まあ定めには従うのがいいというのが最近の心境ですので(この数年の心境です)、定めには従おうと思います。
ですから注意などはしませんが、交通事故にだけはあいたくありません。

なぜ定めに従うことにしたのか。
それは定めにはそれなりの意味があると考えたからです。
最初に旅立った父は、10年後に母を呼びもどしたのかもしれません。
節子びいきだった母は、10年後に節子を呼び込んだ。
母は私よりも節子に心を許していましたから。
しかし、節子はなぜか私を10年たっても呼び込まない。
ということは、節子は彼岸できっと心豊かな状況にあるのでしょう。
私が先に旅立っていたら、たぶん今年は節子が旅立ったことでしょう。
私がいなくても節子は大丈夫ですが、私は節子がいないとあんまり大丈夫ではないからです。
困ったものですが。

しかし最近思うのは、私も今や節子がいなくても大丈夫そうだということです。
きっと節子もそれに気づいてきたのでしょう。
そんなわけで、わが家の10年ルールは終わったのです。
たぶん、ですが。

しかしあと10日。
まだ確実ではありません。
さてさて、私は此岸で新しい年を迎えられるかどうか。
まあどちらでもいいのですが、なにかワクワクするような10日間です。

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2017/12/20

■節子への挽歌3723:無言で問いかけると無言で答が戻ってくる

節子
塩野七生さんの「ギリシア人の物語Ⅲ」が出版され、一昨日届いたので、それを読んでいたため挽歌を書く時間が全くありませんでした。
このシリーズは、手元に届いて3日以内に読了するのが私のルールなのですが、この3日間、いろいろと用事があったため、時間の合間を読書に向けたためです。
今回が塩野さんの最後の作品になるというので、これまでのルールを守りたかったという、それだけの理由でしたが、最後の100頁ほどは特に面白かったので、やるべきことよりも読書を優先してしまいました。
読了後、感じたことを時評編のほうに書きましたが、そこには書いていないですが、人を愛するということの素晴らしさもまた、感じさせてもらいました。
節子とのことを、思い出す場面も少なくありませんでした。

アレキサンダーが愛したのは、幼なじみのヘーファイスティオンだと言われていますが、ヘーファイスティオンが亡くなった後のアレキサンダーの行動に関しては、とても共感できるものがありました。
その一部をちょっと長いですが、そのまま引用します。

若き王はまだ、ヘーファイスティオンがいないことに、慣れることができないでいたのだった。以前ならば、視線を向けただけで、眼で答えてくれる人がいた。言葉を交わさないでも、理解し合える人がいた。あって当然の存在が、今では無いのである。
アレクサンドロスには子供の頃から、少しだけ頭を左にかしげる癖があったが、その彼が視線を向ける方向には、常にヘーファイスティオンがいた。そして友は、無言で問いかけるアレクサンドロスに、無言で答えてくれていたのだった。
あまりにも長きにわたってそばにいるのが当り前になっていたので、アレクサンドロスもつい、頭をかしげ視線を向けてしまう。だがそれが、もはやむなしい行為であることを、視線を向けるたびに悟らされる。

無言で問いかけると無言で答が戻ってくる。
伴侶とは、そういう存在なのだと思います。
そういう存在がいるかいないかで、生き方は全く変わってきてしまう。
アレキサンダーが32歳で死んだのは、やはりそれに耐えられなかったのかもしれません。
彼はあまりに深く愛しすぎたのでしょう。

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2017/12/19

■塩野七生さんの「ギリシア人の物語Ⅲ」を読みました

昨日届いた塩野七生さんの「ギリシア人の物語Ⅲ」を読みました。
塩野さんの作品は、最初の歴史長編の「ローマ人の物語Ⅰ」から出版されるとすぐに読んできましたが、これで終わりかと思うと少し残念です。

塩野さんの作品の面白さのひとつは、現代につながっているメッセージがたくさんあるからです。
今回もたくさんのメッセージを感じましたが、面白かったのはやはり後半のアレキサンダー大王の話でした。
歴史は人がつくりだすことを、改めて実感しました。

昨日の朝日新聞に、「最後は一番若い男を書くぞ」という塩野さんのインタビュー発言が出ていましたが、20代のアレキサンダー大王がまるで生きているように伝わってきました。
若いということの「やさしさ」と「素晴らしさ」を、改めて感じましたが、それはそれとして、今回は最近の大企業の「惨状」を打開するためにいつも私が思っていることが、実にわかりやすく語られているのに驚きました。
大企業の経営者や管理者の人たちにぜひ読んでほしいと思いました。

たとえばこんなエピソード。
高熱を出したアレキサンダーに、医師フィリッボスが飲み薬の調合を始めた時の話です。
フィリッボスが飲み薬の調合を始めた時、兵士が、副将パルメニオンからの緊急の知らせだという手紙をアレキサンダーに届けます。
「若き王は、その手紙を読み始める。医師が、調合した飲み薬を杯に入れ終わったとき、王も、手紙を読み終えていた。その手紙には、アレクサンドロスの毒殺を狙うペルシア王ダリウスが、多額の報酬を約束することで主治医フィリッボスの買収に成功したという噂を耳にしたので伝える、と書いてあったのだ。医師が差し出す飲み薬の入った杯を右手で受けとりながら、アレクサンドロスは左手で、パルメニオンからの手紙を医師に手渡す。王が薬を飲むのと、医師が手紙を読むのが、同時進行で進んだ。薬を飲み干していく王と、手紙を読みながら蒼白になっていく医師。それは、2人の間でくり広げられた、無言のうちに進んだ緊迫のドラマでもあった。」

私はこういう場面が一番好きです。
その後、どうなったかは本書を読んでください。
信頼とはどういうものか。
人を信頼したことのない人にはたぶんわからないことでしょう。
塩野さんは、別のところで、「裏切り」についても書いています。

なぜペルシアはアレキサンダーに勝てなかったのか。
その理由も塩野さんは明確に指摘しています。
まずアレキサンダーは兵士(だけではありませんが)を人間として扱った。
これに関する感動的なエピソードもたくさん出てきます。
だから、アレキサンダーは連戦連勝だったのです。

私は、ほとんどの不幸は「人を人として扱わないこと」から起きていると思っていますので、アレキサンダーの生き方に心底ほれぼれとしますが、その一方で、そういう生き方ができたアレキサンダーに大きな嫉妬も感じます。
そういう生き方ができるほどの自信を持つことは、なかなかできることではありません。

塩野さんはまた、「アレクサンドロスは、自国を捨て他国の傭兵になるという当時のギリシア世界に広まっていた傾向を嫌っていた。ギリシア民族の傭兵化こそがギリシア世界に害をもたらした、と信じて疑わなかったのである」と書いています。
さまざまなメッセージを感じますが、最近の日本の大企業が元気のない理由にもつながっているように思います。
いや、私たちの生き方にもつながっているかもしれません。

信頼、人間性、そしてコモンズ感覚。
それが希薄になった組織(社会)は快適でも生産的でもありません。
アレキサンダーの物語は、それを示唆してくれます。

情報の話も示唆に富んでいます。
「情報とは、すべてでなければ情報にはならない。下にいる者がふるい分けたものを上にあげるのでは、真の意味の情報にはならない」という塩野さんの私的に共感します。

知らないこともたくさんありました。
たとえば「テオリコン」。
これは今でいうベーシック・インカムですが、それがこの時代にあったとは驚きました。
アレキサンダーの後、なぜヘレニズム時代が3世紀もつづいたのかも含めて、ヘレニズムの意味があまり理解できていなかったのですが、この本を読んでようやく理解できました。
アレキサンダーがペルセポリスを焼き払ってしまったことだけは許せませんでしたが、本書を読んでやっとそれが理解できました。

民主主義やデモクラシーに関しても、いろいろと考えさせられました。
塩野さんは、「より多くの人の頭脳を結集すればより良き政治が行えると思うほど、「デモクラシー」は単純には出来ていない」と言い放ちます。
アテネには、デモクラシーはあったとしても民主主義はなかったと私は考えていますが、塩野さんの次の指摘にはちょっとうれしい気がします。
先日のサロンで、私が伝えたかったことの一つだったからです。

「デモクラツィア」と「オリガルキア」に対し、貴族と平民の間で抗争が絶えなかったローマは、「レス・プブリカ」と名づけた新しい概念を創り出したのである。「パブリック」を考えれば、「対立」よりも「融合」で行くべきだ、と。

いずれにしろ実に面白かったです。
ところで、塩野さんの文体が、これまでのものとはちょっと違っているような気がしたのは、私の気のせいでしょうか。

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2017/12/17

■政治を考えるサロン「統治から協治へ」報告

今年最後の政治サロンのテーマは「統治から協治へ」。
政治のパラダイム(捉え方)を転回させようという提案です。
政治改革の話ではなく、政治概念の話です。

ポイントだけの問題提起にしようと思い、2枚のチャートを用意しておいたのですが、始まる前の約束がキャンセルされ時間ができたので、ついつい追加したくなってしまい、10枚を超すパワーポイントになってしまいました。
困ったものです。
あんまり内容を欲張ったので、30分の問題提起を早口で話しすぎて、あんまり伝わらなかった気がします。
話し終わったらすぐに突込みが来るはずなのですが、一瞬の間がありました。
大いに反省しなければいけません。
暇があると、俗人は余計なことをしてしまい、元も子もなくしてしまうことを体験しました。

話の内容は省略しますが、どんな話をしたかは、次のところにパワーポイントがありますので、もしご関心があれば、見てください。
http://cws.c.ooco.jp/lcsalon20171216.pptx
もし開かないようであれば、連絡いただければ、別途送ります。
最初に映画「マトリックス」と「もう一つの彼岸移住プロジェクト」という意味不明の文字が出てきますが、これはスルーしてください。
はじまる30分前に、魔がさして追加してしまったものです。
実際には、これが常日頃、私の一番言いたいことではあるのですが。

話の枠組みだけ書きますと、現在の「国家統治権力(ガバメント)の内部の政治(「小さな政治」)」を超えて、そろそろ「国民主体の協治(ガバナンス)政治(「大きな政治」)」に移りませんか、という話です。
その先に「国家を超えた協調政治(「もっと大きな政治」)」、そしてさらにその先には「自然を含めたエコロジー政治(「さらに大きな政治」)」がありますが、今回はそこまではさすがに広げませんでした。

理念は良いとして、それをどう具現化するのかという指摘がありましたが、理念が定まれば、具現化は必ず可能になるはずで、それは時間をかけてみんなで考えればいいというのが私の考えです。
そもそも理念のない改革はあり得ませんし、理念が間違っていたら、改革は単なる「変化」でしかありません。

他にも、法治国家とか、ベーシックインカムとか、税金の話とか、いろんな話し合いがありましたが、今回は私が質問の「受け手」だったため、応えるのに精いっぱいで、記憶が残っていません。
ですから報告がいつも以上に書けません。
すべて省略。

私が言いたかったのは、自分の生活につなげる形で政治を考えようということだったのですが、参加者の女性のおひとりから、もっと生活の言葉で話し合わないのかとお叱りを受けました。
返す言葉もなく、まさにその通りなのです。
そこに今の政治の一番の問題があるようにも思います。

民主主義の古典の一つ、トクヴィルの「アメリカのデモクラシー」によれば、アメリカの政治は仲間の話し合いから積み重ねっていったのが出発点です。
あるいは民主主義といえばスイスを思いだしますが、スイスの政治もまた生活からの積み重ねです。
政治の起点をどこにおくか。
国民主権を実現したいのであれば、いまの政治体制は根本から変えなければいけません。

ところで、映画「マトリックス」は、システムと生きた人間の戦いの物語です。
その世界は、「生きた人間」よりも思考しない機械の部品的な「人間もどき」がほとんどなのですが、もしかしたらこの世界も「マトリックスの世界」になっているのではないかという気が時々します。
目を覚まして、システムに挑みましょう。
来年からリンカーンクラブはもう少ししっかりと活動します。
関心のある人はぜひご連絡ください。

報告にならずにすみません。


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2017/12/16

■節子への挽歌3722:「幸せな奥様」

節子
先日、ある集まりで会った女性から、こんなメールが来ました。

佐藤さんの奥様へのラブレターのようなブログも少しだけ拝見しました。
胸が詰まるような思いがしました。
幸せな奥様だなとも思いました。

時々、アンケート調査などで、「既婚」「未婚」という欄があります。
私は節子がいなくなってからもずっと「既婚」と書いてきました。
しかし、ある時、死別した場合は「未婚」にチェックしてくださいと書かれていることに気づきました。
たしかに市場調査の場合は、単身か夫婦かで区別する方が合理的なのでしょう。
いささか複雑な気持ちになったことを覚えていますが、いまも私は「既婚」に〇を付けています。

今回もらったメールでは、「幸せな奥様だな」と書かれています。
この人は、節子をいまなお「奥様」と認めてくれているわけです。

忘れられずにいることは「幸せ」なのかどうか。
「忘れられない人」という場合、その「られない」は受動と可能のふたつの意味があります。
そのいずれかで、主体が変わってきます。
私は、一人称的な生き方が大事だと思っていますので、受動的な「(だれかに)忘れられない」よりも、「(自らが)忘れられない」に価値を感じます。
つまり、私に忘れられずにいる節子よりも、節子を忘れずにいる私のほうが、「幸せ」だと思っています。

人はさまざまな人と遭います。
私にとっては、たとえわずかな時間であっても、人生において遭った人は誰でもが「大切な人」ですから、忘れないようにしています。
そして、実はすべての人が、「忘れられない人」を持っているはずです。
ということは、だれもがたぶん「忘れられずに誰かの記憶世界に生きている」ということです。
でも多くの人は、そのことを忘れてしまっている。
それで「孤独」とか「孤立」とか感じてしまう。
誰かの記憶に必ず自分が生きていることに気づけば、人はもっと豊かに生きられるでしょう。
そして、そのことに気づけば、できるだけ「良いかたち」で記憶を残しておきたいと思うでしょう。
そうなれば、社会はとても住みやすくなるはずです。

40年ほど一緒に暮らした節子のことは、忘れようにも忘れられないのは当然ことでしかありません。
しかし、この挽歌を書きつづけていることで、人は必ず誰かの記憶に残っていて、忘れられずに生きていることに改めて気づかせてもらっています。
同時に、誰かを忘れずに思い出せることの「幸せ」にも気づかされています。

誰もが誰かに忘れられずにいる。
みんなとても「幸せ」なのです。

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2017/12/15

■緒方修さんの「青い眼の琉球往来」を読みました

16世紀半ばのポルトガル製の世界地図には、中国大陸の東に横たわる列島が描かれ、その列島全体の名として、「琉球」を意味するポルトガル語が記されていた、ということを加藤陽子さんの「戦争まで」という本で知りました。
その列島の一つの島の名が「日本」だったそうです。
日本は、琉球(沖縄)の一部だとの認識が、当時の世界にあったということになる、と加藤さんは書いています。
言うまでもなく、当時の琉球は日本とは別の国家でした。
このことを知って、改めて沖縄のことを調べたくなった時に、沖縄在住の緒方さんから『青い眼の琉球往来』(芙蓉書房出版)が届きました。

不思議なほどのタイミングなので、一気に読ませてもらいました。
そして、1793年に出版された初版の『アメリカン・エンサイクロペディア』や1797年の『エンサイクロペディア・ブリタニカ』には、「琉球とはアジアの強大かつ広大な帝国を成す島々の名前である。その国民は文明開化され、アジアに広がる他の野蛮国と混同してはならない」と書かれていたことを知りました。
ますます沖縄のことを知りたくなりました。

本書は、19世紀に琉球にやってきた“青い眼”の人たちの航海記や遠征記などの記録を読みながら、現地を訪問してまとめた、緒方さんの歴史紀行エッセイです。
単なる記録の紹介ではありません。
緒方さんも、あとがきで、「ところどころ逸脱して原文から離れ、想像の世界に遊んだ」と書いていますが、緒方さんの人柄や考え方が素直に出ていて、エッセイとしても面白い。
時に横道に外れながらも、現代の沖縄問題への鋭い目線も感じさせるメッセージも込められています。
気楽に読める本ですが、読み終えると現在の沖縄の状況への共感や理解が深められるような、そんな緒方さんの思いが伝わってきます。

日本を開国させたペリーは、日本に来る前に琉球に寄っていますが、そのことを私は本書で初めて知りました。
ペリーは、琉球をとても重視していて、日本には2回しか寄港していませんが、琉球には5回も寄稿していたことも、初めて知りました。
本書の副題は「ペリー以前とペリー以後」とあります。
その視点は山口栄鉄さんの著書から学んだ、と緒方さんは書いていますが、それにつづけて、「乱暴な言い方をすれば、ペリー以前、バジル・ホールの航海記は紳士的(英国の狡猾さはあまり見えない)、ペリーは乱暴者(砲艦外交)。沖縄にいると、ペリーのやり方が今でもまかり通っている、と感じる」と書いています。
私は、この短い文章に緒方さんの強い思いを感じます。

緒方さんは、クリフォードの「訪琉日記」を踏まえて、琉球が「香港」と並ぶ自由貿易港になっていた可能性を想像し、もしそうなったら、100年後の日米戦争では琉球国内に英米軍基地がつくられ、そこから日本への爆撃機が連日飛び立っただろうと言います。
そしてその後で、「米軍の嘉手納基地から日本本土に対する核攻撃がいつでも可能という現状を思い出させる」と書いています。
誰もあまり口にしないことですが、私にはとても真実味を感じさせられる言葉です。
沖縄の基地は、中国や北朝鮮ばかりでなく、「日本本土」にも向けられていることに気づかなければいけません。

面白いエピソードもひとつ紹介しておきます。
1816年、琉球王国に寄港、那覇に40余日間滞在した英国人バジル・ホールは、帰国途中で、セントヘレナに流されていたナポレオンのところに立ち寄ったそうです。
バジル・ホールの父は、士官学校でナポレオンと同窓でした。
彼の『航海記』には、「琉球では武器を用いず、貨幣を知らない、また皇帝の名前も聞いたことがない、とホールが語ると、ナポレオンは大笑いし、笑い声が隣室まで聞こえたという」と書かれているそうです。
そしてナポレオンは、こういったそうです。
「そのような嘘は止めてもらいたい。自分が生きているこの世の中に武器を持たない民族がいるはずがない。武器がなければ、その民族はどのように戦争をするのだ」。

沖縄から学ぶことはたくさんありそうです。

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■節子への挽歌3721:「生きる生」と「死までの生」

節子
今日もまた寒い日です。
今日は思い切り寝坊をしてしまいました。
目が覚めたら7時半。

最近どうも挽歌が書けません。
ということは、私自身があまり生きていないということかもしれません。
もししっかりと生きていたら、書くことが自然と出てくるはずです。
先日のサロンで、ある人から、やはり人生には、めくるめくような、息をのむような、そんな感動が大切だと言われました。
エラン・ビタール。
生命の躍動。
時には法を犯してまでの逸脱は、生きることの醍醐味です。
最近、私にはそれがありません。
ただただ平板な生命を生きながらえている。
だから挽歌も書けなくなってきているのでしょう。
生命が枯渇しているのかもしれません。

今朝も、テレビでタレントの不倫問題が取り上げられていましたが、こうした風潮は理解できません。
そもそも「不倫」などと言う捉え方は、生きていない人たちの発想です。
それに「不倫」と騒がれた当事者が、謝罪するなどと言うのは、実に情けない風景です。
そこには、エラン・ビタールなど微塵もなく、死臭さえします。
堂々と愛を語ればいい。
それこそが誠実な生き方です。
語れない愛は、愛ではありません。
愛のないところに、「不倫」などあろうはずもない。

昨日、テレビで「あなたは何が欲しいですか」というインタビュー風景が出ていました。
たまたま私が見た時には、80代の女性が、「愛が欲しい」と応えていました。
80代とは思えない雰囲気の女性でした。
生命の躍動に従って、生きている証かもしれません。
彼女には、たぶん「不倫感覚」はないでしょう。

法や規範に従って、自らを生きていない人が多いのが現実です。
しかし、そんな人生には「輝き」はありません。
社会の家畜としての安心はあるかもしれませんが、それは「生きる生」ではなく「死までの生」でしかない。

挽歌が書きつづけられたのは、もしかしたら、節子との生の躍動の余波だったのかもしれません。
その躍動感が枯渇してきてしまったのだとしたら、それこそ「死までの生」になってしまいかねません。
それではこの場なんかが書きつづけられなくなってしまう。

さてさて、困ったものです。
エラン・ビタール。
暇で暇で仕方がない生き方から、引きだしてくれることはないでしょうか。

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2017/12/14

■ゆる~いみんなのカフェ・湯島の報告

今年最後の「みんカフェ・湯島」は、いつものように「ゆる~い」ながらも、とても「つよ~い」主張もあったりして、最後にふさわしい、湯島サロンらしいサロンになりました。
2回目に参加した人は、前回とはまたまったく雰囲気が違いますねと終わった時に話してくれましたが、たしかに湯島のサロンは参加者によって雰囲気が変わります。
今回、私の記憶に残っているのは、「インド」と「農業」。
それとフィギュアスケートの評価をAIで行おうとしている話やみんなお金をどこに使っているのだろうかという話もありました。

最後の話は、使いたくても使えるお金がない人が増えているのではないかと思いますし、AIの活躍分野が広がる話に関しては、そろそろ人間の役割は終わったなという気もします。
農業の話が出たのは、20年ほど前から「半農生活」を提唱している野菜栽培のレッスンプロの増山さんが10数年ぶりに参加してくれたおかげです。
偶然にも、これも久しぶりに参加してくれた企業の方が、定年後の生活で農業にも関心があるようで、いい出会いになったかもしれません。
ほかにも、アスペルガー的な人が増えているとか、コンビニでバイトをやる日本の若者がいなくなったとか、ともかく「ゆる~い」カフェなので、いろんな話が出ましたが、私も「ゆる~い」参加なので、頭もゆるくなっていて、あまり覚えていません。

もっと伝えるべき価値のある話もあったような気がしますが、思い出せません。
困ったものです。

そもそも「ゆる~いカフェ」の報告などする意味はあるのでしょうか。
そこに問題がありそうです。
報告はやめようかとも思ったのですが、まあこれも湯島サロンの習慣なので、報告させてもらうことにしました。

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2017/12/12

■節子への挽歌3720:会社時代の友人からのメール

節子
会社時代の2人の知り合いからメールが来ました。
ひとりは私のアシスタントをしていた女性で、最近メールを始めたといってきました。
会社時代の同じ職場の女性たちと会うことがあれば湯島にどうぞと誘っておきました。
もう30年近く経ちますので、みんな変わっているでしょう。
会社時代は、私は女性には軽く扱われていたか人気があったか、どちらかわかりませんが、たぶんちょっと変わった存在だったような気がします。
節子も見ていますが、正月初出勤日には、和服姿の女性たち10人ほど(つまり職場の全女性です)と私だけが皇居前かどこかに行って写真を撮っています。
当時は初出勤日は女性はみんな和服だったのです。
すでに節子とは結婚していましたが、まあだからこそ誘い出されたのかもしれません。
メールをくれた女性も、その中にいたと思いますが、彼女は少し変わった私のアシスタントで苦労したようです。
退社後は、専業主婦として、たぶん豊かな生き方をしてきているでしょう。
毎年年賀状をくれますが、会社時代とほとんど変わらない暮らしぶりのようでした。

もう一人は、会社時代、一緒にトップへのレポートを書いたりしたこともある友人ですが、いまは経団連の会長をやっています。
私が会社を辞めた後、彼を通して、仕事を頼まれたこともありますが、私からNPO支援のお願いをしたこともあります。
最近、私がいた会社の不祥事が新聞で話題になっているので、さぞかし苦労していると思い、メールしてしまったのですが、その返事です。
きわめて多様な状況でしょうから、まさか返事が来るとは思っていませんでした。

さて、平凡な主婦になるのと財界のトップになるのと、どちらが豊かな人生でしょうか。
それは一概には言えませんし、いずれも比べられないそれぞれの豊かさがあるということも言えるでしょう。
しかし私が最近思うのは、組織人を長くやっていると、思考の幅が狭められ、そこからなかなか抜け出せなくなってしまうような気がします。
もちろんそれが悪いわけではなく、むしろそれによって生きやすくなるとも言えるのですが、私のように、中途半端に組織で生き、組織外で生きてくると、逆にその狭間で、両方への違和感が生まれてしまい、生きにくくなってしまっているのかもしれません。
いずれの世界にも通じているという言い方もできますが、たぶんそうではなく、どちらつかずの居心地の悪さのほうが強い気がします。
まあ、それに気づいたのも、最近なのですが。

来年はもしかしたら、ふたりに会えるかもしれません。
経団連会長という要職にある間は会えることもないでしょうが、彼もいつか普通の人になるでしょう。
主婦として忙しい間はなかなか時間が取れないでしょうが、子育ても終わり、時間ができてきたら、彼女も会いに来られるかもしれません。

そういえば、先日、湯島に来た会社時代の後輩は、私のことを「超人のようだった」とほめてくれましたが、会社時代は優秀ではなかったおかげで、敵はあまりいなかったようです。
辞めてからもいろんな人たちが湯島に来てくれることに感謝しています。

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■節子への挽歌3719:千葉市で86歳のお年寄りに会いました

節子
昨日は久しぶりに千葉の市民の集まりに参加しました。
最近の市民の集まりはどうも波長が合わないのであまり参加しなくなっているのですが、昨日は事務局の協力もあって、講演だけではなく、みんなで話し合うスタイルにしてもらいました。
そこで86歳の男性に会いました。
歩いていても時々ふらふらする、耳もよく聞こえないといいながらも、講演の時には一番前で真剣に聞いてくれました。
そして話し合いのセッションでは、もうこの歳だと何もできないのが残念だと話し出しました。
最後のみんなでのラウンドセッションにも参加してくれました。
終わった後、少し話しました。
今回の集まりで、私が一番共感できる人でした。

言うまでもありませんが、「社会のために何もできない人」などいるはずもありません。
みんなそれぞれに違った形で社会に役立ち、意識していないかもしれませんが、だれもが社会活動をしています。
生きるということは、そういうことですから。
最近ますます感ずるのですが、「私はボランティア活動をしている」という人ほど、私には「しないほうがいい活動」をしているような気がしてなりません。
そもそも「ボランティア」などと自分で言う人は、私とは別世界の人です。
もちろん別世界の人とも私は付き合いますが、そこを改めていかない限り、社会は変わりません。
みんなでの話し合いの途中で、ちょっと私も感情的に持続可能を出しかけてしまいましたが、いまの市民活動の方向性は、私には違和感があります。
社会活動とは結果も大切でしょうが、それ以上にプロセスに意味があると私は思っています。
そうしたことは、なかなかわかってもらえません。
いや私の考えが少し逸脱しているのかもしれません。
しかし30年の長さで考えれば、私が危惧していることは現実化していることが多いように思います。
もし30年前に、会社を辞める決断をしなかったら、いまのような考えにはたどり着いていなかったかもしれません。
会社を辞めることに反対するどころか、後押しして、その後、付き合ってくれた節子にはやはり感謝しなければません。

最近あまり出なくなっていますが、今回久しぶりに参加して、いろんな刺激をもらいました。
やはり出て行かなくては世界は広がりません。
昔の生き方をもう少し取り戻そうかと思い出しています。

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2017/12/10

■企業を考えるサロン「コーオウンド・ビジネス」報告

難しいテーマにもかかわらず、15.5人のサロンになりました。
0.5人と端数があるのは、なんと1歳9か月のお子さんと一緒に参加してくださった方がいるのです。
湯島のサロンの年少記録がまた更新されました。

話題提供者の細川さん(従業員所有事業協会代表)は、何時間でも話せる材料をお持ちですが、今回は60分に絞ってもらい、その後みんなで話し合いました。
話の内容は、とても充実したものですが、報告は細川さんの書籍「コーオウンド・ビジネス」に任せたいと思います。
とても読みやすく面白い本なので、ぜひお読みください。
http://cws.c.ooco.jp/books.htm#170910

とても印象的だったのは、コーオウンド・ビジネスの会社はどこを訪問しても気分がいいという細川さんの体験談でした。
また「顧客第一」などと言わずに、堂々と「社員第一」を打ち出していること。
そのくせ、顧客からはとても愛されて大切にされていること。
ジョークやいたずらが大好きで、ともかくオープンマインドであること。
などなど、いいことばかりなのですが、細川さんによれば、そうしたことがデータなどによって実証されているのです。
私は、データなどなくても、素直に考えれば当然のことだろうと思います。
他者のために働くよりも、自分(たち)のために働く方が、効率も充実感も良いに決まっているからです。
そういってしまったら実も蓋もありませんが、そういうことが「問題」になるところにこそ、私は問題の本質があるような気がします。

会社をコーオウンド化(従業員が株式を所有)すると、コミュニティ的側面が強まってくるという話も出ました。
それに関連して、アソシエーションとコミュニティの関係が話題になりました。
これも、これからの企業のありようを考える時のポイントの一つです。
金銭を基準にした合目的的なアソシエーションの性格の強いアメリカ型の企業と金銭以外の要素も配慮されたコミュニティの性格の強い、50年ほど前までの日本型の企業との違いを、改めて考え直してみる時期かもしれません。
この議論に関連して、NPOの齋藤さんから終了後、「コミュニティは ウチ/ソト といった排他性を帯びることはないのでしょうか」という質問をもらいましたが、それを回避するために「弱いネットワーク」とか「オープンコミュニティ」の概念が広がっているように思います。
アソシエーションとコミュニティの議論と実際は、マッキ―バーの時代からかなり進化しているように思います。

コーオウンド型の会社を仲間と立ち上げた坪田さんが自社の話をしてくれました。
坪田さんの会社は、コーオウンド・ビジネスであると同時に、ホラクラシー(階層のないフラットな組織構造)をとっているそうですが、これも論点としてはとても面白いです。
つまり、所有組織と執行組織が日本の場合、混同されがちですが(最近かなり整理されてはきましたが)、細川さんは、経営は経営者の専権事項であることを強調しています。
コーオウンドはコーマネジメントではないのです。

コーオウンド・ビジネスモデルは、会社経営の思想を大きく変えていくだろうと思いますが、「現場的」に長年、たくさんの企業の経営にかかわってこられている高橋さんの、現場に根付いた新しい企業経営思想を創りだしていかなくてはいけないという話にはとても共感しました。
日本では数少ない「コーオウンド・ビジネス」の日本レーザーの近藤さんは、自らの実践を踏まえて、世界に向けて新日本型経営を打ち出していきたいとお話しされていたことがありますが、コーオウンド・ビジネスにはそのヒントがたくさんあります。

企業をコーオウンド化することで、従業員が社員になり、その結果、問題の捉え方が変わっていくことで、会社ももちろんですが、個々の従業員が組織の矛盾を自己消化していくことで、大きなエネルギーが生まれてくるという話も興味深い視点です。
これに関しては、参加者の近藤さんがとてもいい総括をしてくれていましたが、メモしていないので、正確に報告できないので省略します。
近藤さんがフォローしてくれるかもしれません。

細川さんは、来年こそは日本も「コーオウンド元年」になるだろうと話されていましたが、すでに上場企業がコーオウンド化に動き出しているそうで、来年はきっと大きな話題になっていくでしょう。
コーオウンド・ビジネスのことがもっと話題になっていけばと思っています。
コーオウンド化は、私たちの働き方にもつながっています。

コーオウンド・ビジネスに関心のある人は、細川さんが主催する研究会もありますので、ぜひコンタクトしてみてください。

細川さんは、終始楽しそうに話していました。
来年はきっともっと楽しそうに話すことになるでしょう。
「コーオウンド元年」の到来は間違いありません。

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2017/12/09

■節子への挽歌3718:生きていることへの感謝

節子
今日も寒い朝です。
陽光のおかげで外は暖かそうな感じがしますが、温度は低く、挽歌を書いている私の仕事場は凍えるような寒さです。
それで書きだすのが遅くなりました。

一昨日、宮司の弟が、宮司を殺害し自殺するという事件が起きました。
いずれも50歳代。
こういう事件を聞くたびに、どうして人は人を殺せるのだろうと不思議に思います。
もしかしたら、殺害者はほんとは生きていなかったのではないかとさえ思います。
もし自らが生きているという実感をもっていれば、人を殺めることも自らの命を絶つことも、できないのではないか。
そう思います。
おそらく、殺害に追い込まれた人は、追い込まれた時点で、たぶん生きることを放棄してしまったのでしょう。
殺人事件とは、死者が生者を自らの世界に引き込む事件かもしれません。
そう考えなければ、私には殺人ということが理解できません。
ちなみに、戦争は生者たちの活動ではなくシステムに取り込まれた死者のゲームでしかありません。
いずれにしろ、あまりにも「安易」に生きられる状況の中で、私たちは「生きる意志」を鈍化させているのかもしれません。

その一方で、交通事故死の報道に接すると、人のいのちは実にはかないものだと気づきます。
一瞬にして、いのちが断ち切られる。
そういう死が、日本だけでも毎日10人以上起こっているということは、これもまた驚くべきことです。
システムのバグとしか思えません。

考えてみれば、私がいま生きていることは、幸運に恵まれた結果なのでしょう。
人を殺めることもなく、自らを殺めることもなく、意図せぬ死にも遭うことなく、いまも元気でいる。
そのことに感謝しなければいけません。

今日は元気が戻ってくるといいのですが。
湯島でまた10人を超える人たちに会いますから、元気を装っているうちに元気になるといいのですが。

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2017/12/08

■国民のための報道と国家のための報道は違います

沖縄の友人から「先日、辺野古の海上座り込みに参加しました」と手紙が届きました。
「本土」にいると、そんなことはまったく伝わってきません。
保育園に飛行物体から空から落下物が落ちてきたというようなニュースは流れますが、本当に大事なことは伝わってきません。
友人は、海底の状況から考えても、とても上に建築物ができる状態ではない、とも書いてありました。
しかし、すでにサンゴ礁をはじめとして、辺野古の海はずたずたに壊されだしているのでしょう。
もう2度と回復はしないでしょう。
やりきれない気がします。

大相撲の話よりも、こういう現場情報をテレビは流してほしいです。
国民のための報道とはそういうものではないのか。
NHKの受信料に関する最高裁判決が出ましたが、国民のための報道をしてもらえるのであれば、受信料はもっと高くしても喜んで祓います。
しかし、国家のための報道のためには、受信料は払いたくありません。
不払い裁判が多いことの意味をしっかりと受け止めてほしいです。

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■節子への挽歌3717:あまりの寒さに心が不安です

節子
今日はジョン・レノンの命日です。
ジョン・レノンの「イマジン」はいまも歌い続けられています。
まだ世界に「平和」がやってこないからです。
そのせいではないのですが、私にもなかなか平和がやってきません。
前世の行いがよくなかったのか、どうも心やすまらない毎日です。
いや、前世の行いではなく、今生の生き方がよくなかったのでしょうね。
まあ心当たることは山のようにあります。
元気の時は、トラブルや心配事がある方が豊かな人生だ、などと言えるのですが、元気がない時にはそんなことさえ思いつきません。
要するに軽い躁鬱傾向があるのでしょう。

数日前、『礼道の「かたち」-人間道、80年のあゆみ』が送られてきました。
北九州市のサンレーの会長の佐久間進さんの新著です。
佐久間さんとはもう20年ほどお会いしていませんが、息子さんとの交流が続いているので、息子さんが送ってきてくれました。
佐久間進さんの著書は何冊か読ませてもらっていますが、タイトルの「人間道、80年のあゆみ」が気になって、読みだしました。
いまさら気づくのも遅いのですが、佐久間進さんが取り組んでいる活動は、私が目指していることとかなり重なっていることに気が付きました。
見事な展開です。
もっとも、佐久間さんの場合は、しっかりした「人間道」を踏まえての活動ですが、私の場合は、ただただ流れに任せてですから、比べようもありませんが。

何事も陽にとらえて、明るく楽しくいきいきと生きる。そこには必ず道がひらける。
これが佐久間進さんの信条であり、会社の経営理念でもあるそうです。
私もそう思っていたはずなのに、最近はどうも実践できていません。
明るく楽しくいきいきと生きていけない人たちとの接点が多すぎたのかもしれません。
そしてどこかで、少しいじけながら、私自身も被害者意識を抱え込みだしているのかもしれません。

佐久間さんは、この本の中で、日本の「和の文化」について洞察されています。
佐久間さんの「人間道」にも共感できますし、私の生き方にもかなり重なっています。
佐久間進さんの、あくまでも明るい、ぶれることのないメッセージを読んで、少し反省しました。
そういえば、昨年久しぶりに会った宅間さんも「和」の話をしていました。

佐久間さんが80歳で到達した人間道の心境。
80歳までもう少ししかない私にはたどり着けそうもありません。
目標を持って生きてこなかった、当然の結果かもしれません。
困ったものです。
どうも最近、私は反省することが多くなっています。
精神が弱くなっているためかもしれません。

いや、今日の寒さのせいかもしれません。
今日は実に寒くて、震えあがっています。
平和のためには、あたたかさも必要です。

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2017/12/07

■節子への挽歌3716:歳をとるにつれて自分がよく見えてくる

節子
Nさんからまた冬の林檎が届きました。
お礼の電話をするのがどうも気が重いです。
明日に延ばしてしまいました。
Nさんは、今もまだ記憶が完全に戻ってきてはいないようです。
夫としては、ご苦労も多いでしょう。

Nさんは節子が尊敬していた友人の一人です。
私も何回かお会いしていますし、節子が逝ってしまった後も何回かわが家にも来てくれています。
ご主人にもお会いしていますが、それはもう善良そのものといった方です。
その後、Nさんは階段から落ちてしまい、それが原因で記憶を喪失してしまった。
そして認知症を発症。
あの「しっかり者」の野路さんが、と思うと複雑な気持ちです。
しかし、しっかり者であるが故の大変さもあるのかもしれません。
長年連れ合った伴侶としては、どんな感じでしょうか。
節子がもし元気だったら、たぶん少しは役に立てたでしょう。
4人仲間の、あとのおふたりは岡山と福岡ですから、そう簡単には横浜には行けません。
まあ彼岸に行ってしまった節子よりは、近いかもしれませんが。
いずれにしろみんなもうそれなりにお歳ですし、それぞれに問題も抱えているようです。

伴侶がどういう状況になろうと、そこに居たほうがいいのかどうか。
それは一概には判断できませんが、居なくなってしまった者の立場としては、うらやましいことです。
しかし、当事者にとってはそれはそれでまた、いろいろと大変なのでしょう。
幸か不幸か、節子は62歳で歳をとるのをやめました。
もしかしたらそのおかげで、私も歳をとるのを忘れているのかもしれません。
そしてある時に、浦島太郎のように、一気に老化に気づいて人生を終えるのかもしれません。
伴侶がいないと、どうも自分の位置がわからない。
これはたぶん、なってみないとわからないことでしょう。
そして先に逝ってしまった伴侶を、自分にとっての理想の姿にどんどん編集してしまい、それに伴い自らをもまた編集してしまいがちです。
ところが時々、そのことに気づいて、自らの愚行を恥じることもしばしばです。

もし節子が元気だったら、いまのように良好な夫婦関係を続けていられたかどうか。
そんなことを時に考えることもあります。
幸せな老夫婦になっている自信はありますが、どうも私は自分で思っているほど、性格がいいわけではないようです。
老化に伴い、悪い性格が強まる恐れもないわけではない。
時々、娘からも言われますが、自分で思っている以上に、私にはどうも常識も良識もないようです。
その上、自分勝手さも、これまた思っていた以上です。

歳をとるにつれて、自分がよく見えてきます。
あまりうれしいことではないのですが。

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■節子への挽歌3715:誘拐犯?

昨日から目いっぱい仕事をしています。
まあパソコンに向かっての仕事なので、仕事といえるかどうかわかりませんが。
そんな合間に、娘から一昨日の写真が届きました。
「誘拐犯に間違われないでよかったね」というメッセージもありました。
写真を添付します。
たしかに疑われておかしくありません。
実は孫と一緒に休憩していたのですが、退屈して2人で店内の散歩に行ったのです。
そこを見つかって写真に撮られてしまったわけです。

誘拐犯と言えば、昔、私の友人が誘拐犯の嫌疑をかけられて、湯島にまで公安警察が私に話を聞きに来たことがあります。
もちろんそんなことはなく、親権で争っていた外国人の友人の子どもを預かったのが原因だったのですが、まあ湯島にはいろんな人がやってきました。
刑事事件の調査で警察官もやってきました。
ある時は4人もの警察官が来て、私も少し緊張しました。
緊張するとおかしなことを発言してしまい、それが事態を複雑にしてしまうのだろうなとその時感じました。
その事件はいまだに未解決ですが、年末になるとよく話題にされるので、毎年思い出します。
付き合いが広くなると、まあいろんな事件に巻き込まれるものです。
最近はそういう刺激的なことが少なくなってしまいましたが、逆にいささか憂鬱な事件は増えています。
困ったものです。

ところで少し頑張ったおかげで、延び延びになっていた課題は何とか追いつきました。
延ばしてもいいものは、さらに延ばしてしまいました。
本当は収入につながることをしないと、今度は経済的に辛くなるのですが、どうしてもそちらは後回しになってしまいます。
まあ今年はそう苦労なく年を超せそうですし。

少し疲れたので、「宝くじ」でも買いに行こうかと思います。
仕事をもう少し七気分になってきているので、お金が少し欲しくなっているのです。
実はさきほど、「お金がなくてもできることはたくさんある」というような話のパワーポイントをつくっていたんです、最近は私もかなり成長し、「おかねがあるともっとたくさんのことができる」といえるようになってきました。
でもまあ、お金がたくさんあるとたぶん生き方は変わるでしょうね。
でもそれを試してみる価値はあります。
みなさん、私に宝くじが当たることを祈ってください。
祈ってくれた人には、美味しいコーヒーをご馳走します。
まあ当たったらの話ですが。

さて寒くなる前に出かけましょう。

20171205


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2017/12/06

■節子への挽歌3714:「お前は強いな」

節子
昨日は、友人の奥さんからの伝言を受けて、孫のじいちゃん役をやりました。
それも近くの子供向けのお店に行って、クリスマスプレゼントを選ぶことまでやりました。
私はまったく不得手な話ですが、プレゼントは決まりました。
全身でブロックという、大きなブロック玩具です。
孫の「にこ」は、いま1歳半ですが、その笑顔を見ていると、人間はみんなほんとはこういう笑顔なのだなあといつも思います。
どうしてみんな忘れてしまうのでしょうか。

孫との付き合いに疲れたわけではないのですが、昨夜も今朝も挽歌を書き忘れました。
なかなか習慣化できません。

なんとなく最近は精神的な安定感を取り戻せないのです。
原因はいろいろありますが、人はみんな苦労しながら生きているのだなと思うことが多すぎます。
子どもの頃の笑顔で過ごしたいのに過ごせない。

大学の時の同窓生に電話しました。
社会的にとてもしっかりした活動をしてきた友人です。
私が尊敬する人のひとりです。
彼に私がある問題に取り組むことへのアドバイスを先日メールで頼んでいたのです。
電話に出た彼の声は、辛そうでした。
電話口から伝わってきました。
気になっていたが、どう返事しようか悩んでいた、というのです。
私が伝えた「問題」は、彼も同じように認識していました。
彼は、その改革のために長年取り組んできているのですから、当然です。
問題の意味を、私よりも深く知っています。
しかし、同時に、その難しさもよく知っている。
そしてたぶん無力感も持っている。
そんな感じのやり取りをしました。
彼は協力するとなったら、中途半端には成れないのでしょう。
自分だけではいかんともできない状況もあるようです。
無理押しをするのはやめました。
でも気が変わったらアドバイしてほしいと伝えました。

電話の最後に彼がこうつぶやきました。
「お前は強いな」
2回繰り返しました。

孫はまだ「いのち」を育てているところですから、危ういところがあります。
しかし、育つべき「いのちの強さ」がたぶんその笑顔に出ているのでしょう。
笑こそが「いのち」の強さの核かもしれません。
でも大人になって、社会の一員になると、笑ってばかりもいられない。
むしろ笑顔は失われていく。

親鸞は「悲泣せよ」と言っていると、五木寛之がどこかで書いていました。
悲泣するよりも、笑顔を取り戻したい。
この頃、強くそう思います。
私は強いどころか、最近は、悲泣さえできないほど弱くなっています。
それが自分でもよくわかります。

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2017/12/05

■「なんで貴ノ岩は非難されないの」へのコメント

日馬富士暴行事件に関する、私の投稿には、もしかしたらパッシングの洪水かと思っていましたが、個別のメールは全くありませんでした。
これからかもしれませんが。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2017/12/post-8dcd.html
フェイスブックにも書きましたがいろんなコメントが届きました。
そこで今朝、まとめてコメントを返しましたが、ここにも再録しておきます。
私のフェイスブックは公開していますので誰でも読めます。
https://www.facebook.com/cwsosamu/posts/10204046724004281?pnref=story

最初のコメントが、横山さんからの「私もほぼ同じ意見」だったので実はホッとしました。
その日は安心して眠れました。
一松さんの「ここは反対」も予想通りでしたが、ついついそれに乗じて蛇足を書いてしまいました。

畑さんの指摘も同感で、私は一松さんへの蛇足投稿でわかるよう日本の大相撲は格闘技ビジネスに堕したと思っています。
あの懸賞金がそれを象徴しています。
協会は二重の顔でごまかすのではなく、割り切るのがフェアだと考えています。
ちなみに各地に残る相撲行事は神事だと考えています。

新谷さんのご指摘の通り、貴ノ岩のこれからは一番気になるところですが、往々にして子どもをだめにするのは親だということを改めて痛感します。
大嶽さんのコメントには元気が出ます。

Hashidaさんの指摘にはちょっとめげるところがありましたが、私も一番問題にしているのはマスコミなのです。
そのことを問題にしているのであって、日馬富士の暴行を騒いでいるのではないのです。
ただこの種のおかしなマスコミや世間の動きに関しては、大いに騒ぐべきだとも思っています。
モチベーションは湧きませんが。
ちなみに、地方の小さな会社の話でもマスコミは大問題に持っていけます。
そこにマスコミの暴力性を感じています。

中島さんのコメントにも共感します。私自身は格闘技ショービジネスに八百長は付き物だと思っていますので、何の違和感もありません。
それが悪いとさえ思っていません。

念の為に一言追加します。
私は、貴ノ岩が一番悪いと書きましたが、だからと言って彼を罰しようなどと言っているわけではありません。
悪いことをしっかりと認識させることこそが、貴ノ岩のこれからの人生にとって価値のあることであり、それを日馬富士と白鵬は、自分たちのネイティブな作法で教えたのだと思います。
怪我をさせるほど殴ったことも、私はあまり気にはなりません。
しかし、貴乃花の行動は、たぶん貴ノ岩のこれからの人生を壊したような気がします。
人を育てるということの重さよりも、自分の正義感や信念を優先させた、身勝手な行動のように思えます。
また少し書きすぎてしまったかもしれませんが。

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■カフェサロン「病院の歴史から日本の医療を考える」のご案内

湯島での医療関係のサロンを不定期的ですが、これからも継続したいと考えています。
というのは、医療の世界に人間社会の本質があらわるのではないかという気がしてきているからです。
ここで言う「医療」とは、かなり広義なものです。
今年は松永さんや本田さんにサロンをやってもらいましたが、お話をお聴きして、ますますその思いを強めています。
ところで、いずれのサロンでも、間接的にですが、日本の「病院」の話が出ました。
そこで、来年最初の医療サロンは「日本の病院の歴史」を取り上げることにしました。

話題提供をお願いしたのは『日本病院史』(ピラールプレス社より出版)の著者の福永肇さんです。
私は昨年、その本を読ませてもらったのですが、専門書でありながら、私のような部外者が読んでも、とても面白く考えさせられることが多かったので、ぜひサロンで話してもらいたいと思ったのですが、福永さんは石川県の大学の教授ですので、諦めていました。
しかし、出版元の高橋さんや中村さんに、そんな思いを伝えたら、福永さんにお話ししてくださり、福永さんからまさかの了解が得られ実現しました。

『日本病院史』の紹介に「初めての本格的な病院の歴史」と書いてありましたが、まさに日本の病院通史です。
それも、その時々の社会の状況を踏まえながら、広い視野と歴史的な時間軸で、病院を語ってくれています。
福永さんは、「病院は、その時の政治体制、経済環境、財政状況、社会思想、人口構成、疾病構造といった社会基盤の上に存立している」と書いています。
逆に言えば、病院から政治や経済や社会が見えてくるということです。

福永さんはまた、「医療の現実や医療制度は時代に応じながら常に変化していく。事実を把握し、理解しようという時には、根っこになっている根拠をえぐり出して考えることが必要となる」といい、「日本の医療を考えていくときにも、過去の医療制度の変遷や病院経営の歴史を判断の材料に入れておくことが肝要だ」と書いています。
同書の最後は、「温故知新で、新しい英知(知新)で安心な社会を構築していくために、過去の医療史、病院史を学んで(温故)考えて行きたい」で終わっています。
平和で良い社会を創っていくには、歴史をしっかりと学ばなければいけません。
私がサロンをお願いしたくなった気持ちがわかってもらえるでしょうか。

『日本病院史』の簡単な紹介を私のホームページで書いていますので、ぜひお読みください。
http://cws.c.ooco.jp/books.htm#170705
また福永さんの多彩なご活躍ぶりは次のサイトでわかります。
http://www.fujita-hu.ac.jp/~hnagashi/LDB/open/fukunaga.html 

タイトルは「病院の歴史から日本の医療を考える」とさせてもらいました。
病院という切り口から、医療の問題だけではなく、社会の問題、つまり私たち一人ひとりの生き方の問題にもつながる問題提起をいただけると思っています。

医療関係者だけではなく、多くの人にぜひとも参加していただきたいサロンです。
周りにもし関心を持ってもらいそうな人がいたら、ぜひともお誘いください。
福永さんには、私もお会いしたことがないので、とても楽しみにしています。

〇日時:2018年1月20日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「病院の歴史から日本の医療を考える」
〇話題提供者:福永肇さん(金城大学教授:『日本病院史』著者)
〇参加費:500円
〇参加申込み:qzy00757@nifty.com

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■節子への挽歌3713:精神状態は身の回りに現れます

節子
昨夜も4時頃に目が覚めてしまい、いろいろと考えてしまい眠られなくなってしまいました。
精神が安定していないのでしょう。
最近は夜中に目が覚めると、眠りに戻れなくなることが少なくありません。
それが重なると、目が覚めた途端に、その思いが襲ってきて、逆に眠れない状況をつくってしまいます。
そうなりたくない自分を、自分で創りだしている。
そんな気がします。

これは何も睡眠に限ったことだけではありません。
考えてみると、そういうことは他にもある。
昔からよく言われることの一つはじゃんけんです。
負けると思ってじゃんけんをすると、ほんとに負けてしまうという体験はよくありました。
だからと言って、勝つと思えば勝つかといえば、そうでもありません。

トラブルに悩むことなく明るく前に進む自分に戻りたいと思いながら、最近は「トラブル」を招きよせたり、前に進まずに沈殿に身を任したりすることが、むしろ多いのです。
簡単に解決するだろう問題も、先延ばしにしてしまう。
昔からこんな性格だったのかもしれませんが、最近特にそういう傾向が強いのです。
時々、もし自分が一人で生活しだしたら、ゴミ屋敷タイプになってしまうかもしれないとおもうことが時々あります。
まあ今も私の狭い仕事場はゴミ屋敷のような散らかしようですが、
仕事場だけではなく、寝室もすごい状況で、冬物の衣服や衣装ケースが歩く隙間がないほど散らかっています。
今年はきちんと衣替えもしなかったのです。

精神的な不安定さは、いろいろなところに出ますが、特に他者の目にはつきにくい私だけの空間ではそのまま出るようです。
自分ながらにいやになるほどです。
明日こそは整理しようと思いながらも、その「明日」はいつになっても来ないのです。
明日になったらではなく、今日でもなく、「今」やろうと思わなければいけませんが、それが思えない。
困ったものです。

精神的な不安定の直接的な理由は、かなりわかっています。
しかし、本当はそれが原因ではないでしょう。
たぶん自分を規制してくれる節子という存在がないからです。
人はだれかに見られていないと、自分さえも律することが難しい。

それが、神が生まれた理由かもしれません。
今夜、ベッドで考えていたことはそんなことです。
眠い1日がはじまりました。

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2017/12/04

■節子への挽歌3712:できることを探すこと

節子
昨日の挽歌を書きていた時に湯島にやってきたのは、2人の女性です。
初対面です。
ある人との出会いで私のことを知り、私のブログかホームページかで私のことを確認し、この人だったら大丈夫だろうと思ってもらえたようで、ある相談に来てくださったのです。

そのテーマは、私も以前から気になっていたテーマだったので、私に何かできることはないだろうかと考えることにしました。
しかし、正面から取り組むととてもではないのですが、私の手には負えません。
それにかなり時間もかかるでしょうから、余命わずかな私が無責任に取り組めることでもありません。
でもどんな人にも、できることはあるはずです。

できない理由ではなく、できることを探さなければいけません。
できることを探す。これは節子から教えられたことです。

彼女たちは、ある意味では世間の常識に裏切られたとも言えます。
信じていた制度や人に裏切られることほど、やりきれないことはありません。
友人知人に話しても、わかってもらえない。
体験しなければわからない事実は少なくないのです。

彼女たちから、

私たちと同じ問題で苦しんでいる人がたくさんいる。
そういう人たちのためにもどうにかしなくてはいけない

といわれると、何かしないわけにはいきません。
世間には、その問題以外にもひどい状況に追いやられ苦しんでいる人はたくさんいます、などと言っても、納得してはもらえません。
みんなそれぞれに苦しみ、悩み、辛い思いの中にいる。

この数年、そうしたことにいろいろと触れているためか、今やどんなことを言われてもあまり驚かないのですが、その反面、世間の常識への反発はどんどん大きくなってきています。
そうした状況に陥っている人たちには共通することがあります。
それは今の「社会のあり方」です。
その社会を変えていかないと大きな問題は変わらない。

そうした根っこにある問題に気づいた人たちの横のつながりが生まれれば、と思いますが、それが難しい。
何ができるか、やはり考えなければいけません。

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■なんで貴ノ岩は非難されないのか

フェイスブックに、テレビを見ていて、腹立たしくなってしまいついつい、フェイスブックに投稿してしまったので、ブログにも残しておくことにしました。

腹立たしの勢いでの投稿です。
やはり書き残しておきたくなりました。
後で後悔するかもしれませんが。

日馬富士暴行事件ですが、私は一番悪いのは貴乃花であり、貴ノ岩だと思っています。
そこをあまり指摘しない世間の風潮に大きな違和感があります。
特に貴ノ岩を「一番の被害者」だといってかばう人が多いですが、どこかおかしい。
どうして誰も責めないのか。
あの傷は、そうたいした傷ではないと思いますが、それをあまりいう人はいません。
私も頭も切って血だらけになったことはありますが、医者にもいかずに治しました。

もし報道の情報が大きく間違っていないのであれば、事の発端は貴ノ岩の態度でしょうし、それを甘やかせて正せなかった貴乃花の責任ではないかと最初から思っています。
甘やかすのもいい加減にすべきです。

それと貴乃花の言動を木鶏に例える人が多いですが、どこが木鶏でしょうか。
木鶏とは心の問題であって、表面的な行動ではないはずです。
私には小賢しさしか感じません。

この記事は、私の不明さを露呈し、後で削除したくなりそうですが、正直な気持ちをどこかに書いておきたかったものですから。

毎日、テレビでこの事件を詮索している関係者には驚きます。
どうして出演拒否しないのでしょうか。

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■節子への挽歌3711:冬眠

節子
人は夜には眠るのに、なぜ冬には冬眠しないのか。
ふとそんな疑問が、起きました。
最近、私の気力が萎えているのは、冬眠すべき時期だからではないのか。
冬眠すべき時に、無理に起こされて活動するのは、自然のルールに反するのではないか。
人はいつも、自分の都合の言いように、物事を解釈するものです。

植物は身をひそめて冬を過ごし、春になると花を咲かせます。
そして、身体を変えながら、いのちをつづけています。
花のいのちは限られていますが、花を生み出す草木のいのちは、時に数百年を超えます。
どの単位で「いのち」を捉えるかで、生命観や人生観は変わってきます。

庭の琉球朝顔はいまもなお花を咲かせています。
霜でだめになるまで、この朝顔は花を咲かせるのです。
しかし、同時にこの朝顔は蔓をどんどん周りに広げ、他の花木にからみつきます。
自らのいのちのために、他の花木の都合は考えない。
しかし、そのために、落葉樹に花が咲いたような風景をつくりだします。
さびしくなって命を感じさせない庭に、華やかさをもたらしてくれるのです。
まあ、だから何だという気もしますが。

昨日、いささかハードな研究会を立ち上げました。
節子もよく知っている杉本さんの発案です。
杉本さんとの出会いも、節子と一緒でした。
ですから杉本さんに会うたびに、節子も一緒している感じです。
その杉本さんの最後の仕事に誘われたのです。
友人に声掛けをして、研究会を立ち上げました。

若い世代を巻き込みたくて、40代の社会学史の研究者を誘いました。
帰りの電車の中で、彼の奥さんからの伝言を聞きました。
彼の奥さんは、私の娘の友人です。
湯島でサロンばかりやっていないで、たまには孫のところに行って、おじいちゃん役をやるように、という伝言でした。
彼女はよく娘のところに遊びに来てくれているようです。

私の歳にしては、私の生き方は少しおかしいのかもしれません。
しかし孫は週に数回、わが家に来ています。
私との関係はとてもいいです。
私に育てさせたらと思うこともありますが、私の人生観はどうも常識から外れているようなので、子育てには向いていないでしょう。
娘たちを見ると、それがよくわかります。
困ったものです。

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2017/12/03

■組織と個人の存立基盤を考える研究会スタート

組織と個人の存立基盤を考える研究会が正式にスタートしました。
1回目のテーマは「団体組織の法への入口」です。
提案者の杉本さんが用意してくださったレジメに沿って、人の集合の2つのタイプ(パートナーシップと社団)を確認したあと、団体組織に関するこれまでの民法の定説となぜそうした定説が形成維持されてきたのかを図解をつかってわかりやすく説明してくれ、それへの批判(問題点)を話してくれました。
そうしたテーマに沿いながら、時に寄り道しながら、いささかハードな話し合いが行われました。
メンバーは、湯島のサロンにもよく来るメンバーですが、一応、このテーマで連続して参加してもらえそうな人に声をかけさせてもらいました。
それぞれの関心領域や視点も違うので、何が出るかわからない面白さもあります。
それぞれに専門性を持っている人ばかりで、専門性のない「ただの放浪者」は私だけなので、少し心配していたのですが、まあなんとか進行役はつとまりそうです。
ついていくためには、私も改めて少し勉強しなければいけませんが、それもまた刺激になります。今回だけでも、いろんな気付きをもらいましたし、前に読んだ本も読み直してみたくなりました。

記念すべき初回だったので、みんなで写真を撮りました。

杉本さんは、今回お話していただく内容を書籍にすべく、すでに書き下ろしています。
これからおいおい説明していただく予定ですが、民法の根幹にもつながる「大きな問題提起」が含まれているのです。
惜しむらくは研究会のメンバーに「民法」の専門家がいないことです。
また右脳発想の女性や若い世代もいると話し合いは広がるだろうなと思っています。
どなたか参加してくれませんか。
もし追加で参加してくれる人がいたら、杉本さんに別途「補講」をしてもらいますので、民法(会社法でも組合法でも歓迎です)と右脳系の女性、そして頭脳の若い世代の人で、参加したい人がいたらご連絡ください。
毎月開催の研究会に、連続参加できることが条件です。

20171203


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■節子への挽歌3710:人生はいろいろ

節子
今日は日曜ですが、湯島に来ています。
私が好きな冬の青空がきれいです。
気になっている友人に電話しました。
一人は元気でしたが、一人はかかりつけのお医者さんの待合室でした。
今日は日曜日なのに、お医者さんはやっているのかと聞いたら、やっていてしかも混んでいるそうです。
メールした友人からは、これからコンサートに行くと返信がありました。

ちなみに3人とも私と同世代です。
同じ世代でも生き方や生活はいろいろです。
さらにちなみに、3人とも独り暮らしです。
人生はいろいろです。

来客が来るまでの時間、久しぶりにゆっくり外を見ていました。
あたかそうな日差しですが、外はかなり寒いです。
ビルの合間を数羽のカラスが、優雅に飛んでいます。
そういえば、このオフィスのベランダに昔はよくハトがやってきていました。
最近は姿を見かけません。
カラスに追い払われたのでしょうか。
それにしても滑空するカラスは美しいです。

この風景ももう30年近く見ていますが、だいぶ高層ビルが並んでしまい、空が小さくなってきています。
そろそろお客様が来るでしょう。
コーヒーでも淹れておきましょう。

今朝はうっかりして朝の挽歌をさぼってしまいました。
朝、パソコンをやらないというルールにしたら、そうなってしまいました。
人生はなかなかうまくいきません。

あ!
お客様が来たようです。
急いでアップしましょう。


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2017/12/02

■節子への挽歌3709:死へのおそれが理解できません

節子
雲のない空からまぶしいほどの陽光が射しています。
おだやかな日です。
挽歌をもう一つ書きます。

「無痛文明論」の森岡さんとやはり起点が違うことがわかりました。
森岡さんの論の起点には「死への恐怖」があるようですが、私にはそれがないのです。
小学生のころ、一度、死への恐怖を感じた記憶はあります。
しかしそれも自分の死ではなく、両親が死んだらどうなるのかという不安でしかありませんでした。
それは「死への恐怖」ではなく、むしろ「生への恐怖」というべきでしょう。

よく若いころにはだれもが自殺を考えたことがあるなどと言われますが、私は自殺など一度も考えたことはありません。
あまりにもぼんやりと生きてきたとしか言えませんが。

昨日、胃がんの手術をした友人と話していて、彼がいろいろと身辺整理をしなくてはといったので、死へのおそれはあるのか、とぶしつけな質問をしたら、そんなものはないと即答されました。
そういう会話の後で、森岡さんの死へのおそれの文章を読むと、やはり大きな違和感を覚えてしまいます。
しかし、最後のほうでの彼の論の展開に、華厳経のインドラの綱(私は常々それをインドラネットと呼んでいますが)の世界、つまりはホロニックな一即多・多即一の世界観を感じました。
しかもオートポイエシスな、つまり自己産出的な、生きている世界です。
生きている世界に生きるものは、世界とのつながりの中で、個の死は生に回収されます。
死を恐れることなどありません。
死は悲しみ嘆くことはあっても、恐れることはありません。
生の一部なのですから。

あたたかな陽ざしの中にいると、眠くなります。
お昼頃やってきた孫は昼寝の時間です。
私もちょっと昼寝でもしようかと思います。
とてもおだやかな、ゆったりした時間。
久しぶりに、陽ざしの中でまどろむ幸せに浸りましょう。
もしかしたら、死の世界はこんな世界かもしれません。
これは私(たち)が望んでいて、体験することができなかった時間です。

今日は思い切り休んで、明日からまた日常に戻ります。

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■節子への挽歌3708:朝風呂

節子
少し生活リズムを変えてみました。
昨夜は疲れてしまい、お風呂に入る気もなく寝てしまいました。
それで今日は朝風呂です。
策早く寝たので早く目が覚め、1時間以上、ベッドで読書をしました。
一昨日から読みだした「無痛文明論」ですが、やはり気になってしまい、読んでしまいました。
書籍はだいたいにおいて三分の一くらいのなかに、著者の思いが詰まっています。
ですからほとんどの本は、後半は速読ができるのです。
読み終えて、著者と私との共通点と違いがなんとなく伝わってきます。
でもまあ、私なりの勝手な解釈をすれば、華厳経世界が展開されていました。

それはそれとして、7時過ぎに入浴しました。
湯船に30分ほど、何もせずに使っていました。
しかし残念ながら疲労感はなくなりません。
どうして最近こんなに疲労感があるのかわかりませんが、まあこういう時期もあるのでしょう。
結局、湯船につかっただけであがってしまいました。

さてこれから朝食です。
その前にパソコンでメールの確認をしましたが、その関係でついついこの挽歌も書いてしまいました。
しかし考えてみると、朝のメールチェックこそ見直した方がいいのではないかという気がしてきました。
ネットでつながって生き方から解放されるべきではない。
しかしまあ、華厳経が説くように、人は常に世界とつながっています。
ネットから解放されるのではなく、ネットも活用すると考えれば、朝のメール確認も無理に止めることもないでしょう。
幸いに今朝は、気の重くなるものはありませんでした。
きっといい1日になるでしょう。

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2017/12/01

■節子への挽歌3707:「見舞われ」

節子
胃がん手術をした友人がやってきました。
手術してまだ半年もたっていません。
私が見舞いに行く予定だったのですが、どうも見舞いに行く元気が出ずにいたら、彼のほうから「見舞われ」に行くと電話がかかってきました。
電話を受けた時、いささか疲れ気味でボーっとしていて、受けてしまったのですが、電話を切って、おかしさに気づきました。
すぐに電話を掛け直して、見舞いだから私のほうから行くよと言ったのですが、あまり出歩いていないので気分転換がてら行くというのです。
素直に受けることにしました。

実のところ、手術半年後の節子の状況を思い出して、心配していたのですが、やってきた彼は元気そうでした。
それでも医師からもらった血液検査などの資料を持参して、意見を聴かれました。
10年ぶりに見る、腫瘍マーカー値などがかかれた表でした。

実は彼は独り暮らしです。
相談する相手がいないのです。
私とは幼なじみです。
仲間は何人かいるのですが、なぜか私にだけ話してくれています。
いろいろと話を聞きました。
治療方法や薬などの話から、医師の話まで、話してくれました。
お墓の話まで出ました。

食事に行きましたが、私のほうがご馳走されてしまいました。
わざわざ「見舞われ」にやってきて、ご馳走までしてくれたのですが、どうもやっぱりおかしいです。
でもまあ気分転換のために出かけてくることはいいことかもしれません。
定期的に湯島で会うことにしました。
まあ時には私も彼の家に行こうと思いますが。

独り暮らしで、がん宣告されたらどんな気持ちになるか。
とても楽観的でおおらかな人柄なのですが、これまでとはちょっと違った気がしました。
見舞いに行かなかったことを大いに反省しました。
病院や見舞いに対する、どうしようもないほどの複雑な気持ちがいまだに払拭できずにいるのですが、そろそろそうした思いを克服しなければいけません。
しかし、今日は節子の手術後の話を彼にすることで、当時のことをたくさん思い出しました。
そのせいか、彼と別れた後、恐ろしいほどの疲労感に襲われました。

もう寝ます。

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■節子への挽歌3706:自分を開いて生きている人

節子
12月になってしまいました。
早起きしましたが、寒いのでベッドで本を読んでいました。
気が付いたら7時を過ぎていました。
読んでいた本は、昨日から読みだした森岡正博さんの「無痛文明論」。
2日目なのにまだ半分を過ぎたところで、今日中には読み終えられそうもありません。

森岡さんとは面識はありませんが、最初の頃の著書には気づかされることが多く、印象に残っていた方です。
しかし、その後の森岡さんの活動は大きく変わり、そのためでもないのですが、著書を読まなくなっていました。
しかしどこかで気になっている人のひとりでした。

もう20年ほど前になると思いますが、森岡さんの(たぶん)教え子が湯島に来ました。
その人からも少しだけ森岡さんの話を聞きました。
ますます興味を持ちましたが、私自身の関心が違う方向を向いていたせいか、あるいは節子の病気のせいか、いまとなっては思い出せませんが、やはり本は読まないままでした。
数年前に、つまり節子がいなくなったからですが、湯島に来た人の名前をある本で見つけました。
いまはたぶんフェイスブックでつながっていますが、あまり交流はありません。

最近よんだ本の中に、森岡さんの「無痛文明論」が言及されていました。
それで今回、読む気になったのです。
厚くて高いので、最近の私には変えないため。図書館から借りてきました。
図書館から借りた本は2日間で読むのが私のルールです。
読みだして驚いたのは、私がイメージしていた内容とはむしろ真逆の本でした。

そこで改めて知ったのは、森岡さんは私どころではなく、それ以上に自らに素直に誠実に生きているということです。
そして自らを徹底的に開いている。
私もかなり自らのことを包み隠さずにオープンにしているつもりですが、森岡さんに比べたらほんの一部でしかない気がします。
もう一つ感じたのは、私もまたささやかながらも森岡さんが提唱する生き方にどこか通ずるところがあるということです。

肝心の本の内容よりも、そういうことにとても興味を感じました。
本の内容よりも、筆者の森岡さんの生き方がもっとわかってくると思うと、早く読み進みたいのですが、今日は出かけますが、450頁の厚い本なので持っていけません。
気がせきますが、しかたありません。

もっともこの本は15年ほど前の著作です。
いまはさらに森岡さんは先に進んでいるでしょう。
私自身の生き方を問い直す示唆がもらえるかもしれません。
いまの私の生き方は我ながらあまりいいものではありませんから。

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