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2017/12/01

■節子への挽歌3706:自分を開いて生きている人

節子
12月になってしまいました。
早起きしましたが、寒いのでベッドで本を読んでいました。
気が付いたら7時を過ぎていました。
読んでいた本は、昨日から読みだした森岡正博さんの「無痛文明論」。
2日目なのにまだ半分を過ぎたところで、今日中には読み終えられそうもありません。

森岡さんとは面識はありませんが、最初の頃の著書には気づかされることが多く、印象に残っていた方です。
しかし、その後の森岡さんの活動は大きく変わり、そのためでもないのですが、著書を読まなくなっていました。
しかしどこかで気になっている人のひとりでした。

もう20年ほど前になると思いますが、森岡さんの(たぶん)教え子が湯島に来ました。
その人からも少しだけ森岡さんの話を聞きました。
ますます興味を持ちましたが、私自身の関心が違う方向を向いていたせいか、あるいは節子の病気のせいか、いまとなっては思い出せませんが、やはり本は読まないままでした。
数年前に、つまり節子がいなくなったからですが、湯島に来た人の名前をある本で見つけました。
いまはたぶんフェイスブックでつながっていますが、あまり交流はありません。

最近よんだ本の中に、森岡さんの「無痛文明論」が言及されていました。
それで今回、読む気になったのです。
厚くて高いので、最近の私には変えないため。図書館から借りてきました。
図書館から借りた本は2日間で読むのが私のルールです。
読みだして驚いたのは、私がイメージしていた内容とはむしろ真逆の本でした。

そこで改めて知ったのは、森岡さんは私どころではなく、それ以上に自らに素直に誠実に生きているということです。
そして自らを徹底的に開いている。
私もかなり自らのことを包み隠さずにオープンにしているつもりですが、森岡さんに比べたらほんの一部でしかない気がします。
もう一つ感じたのは、私もまたささやかながらも森岡さんが提唱する生き方にどこか通ずるところがあるということです。

肝心の本の内容よりも、そういうことにとても興味を感じました。
本の内容よりも、筆者の森岡さんの生き方がもっとわかってくると思うと、早く読み進みたいのですが、今日は出かけますが、450頁の厚い本なので持っていけません。
気がせきますが、しかたありません。

もっともこの本は15年ほど前の著作です。
いまはさらに森岡さんは先に進んでいるでしょう。
私自身の生き方を問い直す示唆がもらえるかもしれません。
いまの私の生き方は我ながらあまりいいものではありませんから。

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