■節子への挽歌3732:読書三昧から読書惨敗へ
節子
昨日は年末を読書三昧に充てようと決意しましたが、初日で諦めました。
読みだしたのが「世界の共同主観的存在構造」という難解そうな書物でした。
しかし、そのタイトルに魅かれるものがあり、また著者の廣松渉さんにも魅かれたのですが、やはり私の手には負えませんでした。
一応3時間かけて目は通しましたが(読んではいません)、歯が立ちそうもなく、あきらめました。
読書三昧のはずが読書惨敗です。
ただデュルケームに関する論考だけは少しだけ心に入ってくるところがありましたの、何内にもう少しきちんと読んでみようと思います。
それで今日は読書ではなく、仕事場の整理を始めました。
これがまた読書よりも大変です。
読みかけの書類や懐かしい書類などいろいろと出てきます。
捨てがたいものもありますが、やはりここは思い切っての処分が必要です。
たぶん私にはとても価値のあるものなのですが、私以外の人にはゴミの山でしかありません。
そう考えると不思議な気がします。
「価値」とはいったい何なのか。
年末はいろいろと考えることが多いです。
片づけ仕事が疲れたので、ちょっと気分転換に挽歌を書いてしまいました。
なにしろ1か月以上、遅れてしまっているのです。
年内に追いついて年を越そうと思っていたのですが、もう不可能です。
| 固定リンク
「妻への挽歌18」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌4500:東尋坊からのお餅(2019.12.28)
- ■節子への挽歌4499:歯医者さんと節子(2019.12.27)
- ■節子への挽歌4498:年末のお接待(2019.12.26)
- ■節子への挽歌4496:年末の相談つづき(2019.12.24)
コメント