■節子への挽歌3727:幸福の4条件
節子
一昨日、巡礼者の鈴木さんが、年末のあいさつだと言って湯島に来てくれました。
鈴木さんからは週に2~3通のハガキが届いています。
そこにいつも、鈴木さんが歩いた巡礼の時の写真がついています。
ゆったりした鈴木さんの生き方が、伝わってくる手紙です。
今回、鈴木さんはある本で読んだという「幸福の3条件」を教えてくれました。
「人との交わり」「親切のやりとり」「今ここがあること」
この3つが、巡礼にはそなわっている。だから巡礼に行きと幸せになるのだと鈴木さん話してくれました。
そして、いずれも「ちょっとした」と、軽いものだと付け加えました。
たとえば、行き合った人と、かるく声をかけあうのは、この3つのいずれにも当てはまる。
それが、都会ではなかなかしにくくなっているというのです。
私は、そうは思っておらず、3つともその気になればやれることだと思ってます。
やりづらくなってきているのではなく、やらなくなってきているだけの話のような気がします。
でも、そうした「みんなの気分」が、鈴木さんの言うように、「しにくくなっている」実態を創りだしているのかもしれません。
鈴木さんは、気が枯れると巡礼に出かけます。
また来春にはサンチアゴに行くようですが、私には湯島があるので、巡礼に行かなくても気が枯れません。
鈴木さんも、湯島で佐藤さんは巡礼しているというようなことを言ってくれましたが、ここには、「人との交わり」「親切のやりとり」「今ここがあること」の3つの条件が備わっています。
大げさに言えば、ここは距離のない巡礼道なのです。
時々、ここにいると時間があっという間に過ぎてしまうという人がいます。
湯島では、もしかしたら時間の流れ方が違うのかもしれません。
ところで、幸福の3条件ですが、幸いに私はその3つ共に恵まれています。
ただ、この3つに私はもう一つ追加したいです。
それは「いささかの不安と不幸」です。
矛盾しているかもしれませんが、幸福を実感するためには、不幸もないといけないのではないか。
そんな気がしています。
不安や不幸のないところには、幸福もないのではないか。
最近ずっとそう考えてきているのですが、実はまだ納得はできていません。
もっとも最近は少し、その「いささかの不安と不幸」が膨れだして、少し気が枯れそうな気配がないでもありません。
さてさて、人生にはいろんなことがあるものです。
まあそれが人生なのでしょうが。
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