■節子への挽歌3713:精神状態は身の回りに現れます
節子
昨夜も4時頃に目が覚めてしまい、いろいろと考えてしまい眠られなくなってしまいました。
精神が安定していないのでしょう。
最近は夜中に目が覚めると、眠りに戻れなくなることが少なくありません。
それが重なると、目が覚めた途端に、その思いが襲ってきて、逆に眠れない状況をつくってしまいます。
そうなりたくない自分を、自分で創りだしている。
そんな気がします。
これは何も睡眠に限ったことだけではありません。
考えてみると、そういうことは他にもある。
昔からよく言われることの一つはじゃんけんです。
負けると思ってじゃんけんをすると、ほんとに負けてしまうという体験はよくありました。
だからと言って、勝つと思えば勝つかといえば、そうでもありません。
トラブルに悩むことなく明るく前に進む自分に戻りたいと思いながら、最近は「トラブル」を招きよせたり、前に進まずに沈殿に身を任したりすることが、むしろ多いのです。
簡単に解決するだろう問題も、先延ばしにしてしまう。
昔からこんな性格だったのかもしれませんが、最近特にそういう傾向が強いのです。
時々、もし自分が一人で生活しだしたら、ゴミ屋敷タイプになってしまうかもしれないとおもうことが時々あります。
まあ今も私の狭い仕事場はゴミ屋敷のような散らかしようですが、
仕事場だけではなく、寝室もすごい状況で、冬物の衣服や衣装ケースが歩く隙間がないほど散らかっています。
今年はきちんと衣替えもしなかったのです。
精神的な不安定さは、いろいろなところに出ますが、特に他者の目にはつきにくい私だけの空間ではそのまま出るようです。
自分ながらにいやになるほどです。
明日こそは整理しようと思いながらも、その「明日」はいつになっても来ないのです。
明日になったらではなく、今日でもなく、「今」やろうと思わなければいけませんが、それが思えない。
困ったものです。
精神的な不安定の直接的な理由は、かなりわかっています。
しかし、本当はそれが原因ではないでしょう。
たぶん自分を規制してくれる節子という存在がないからです。
人はだれかに見られていないと、自分さえも律することが難しい。
それが、神が生まれた理由かもしれません。
今夜、ベッドで考えていたことはそんなことです。
眠い1日がはじまりました。
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