■節子への挽歌3730:早く目が覚めてしまいました
節子
5時にまた目が覚めてしまいました。
今回はそのまま起きてしまいました。
寒いです。
なにしろ私の仕事場には、こわれかけた電気のヒーターしかないのです。
たっぷりと厚着をして、パソコンを開きました。
最近、私からの発信もあまりしていないからか、メールもフェイスブックメッセージも少なくなってきていますが、いろんな端末でチェックするようになったので、見落とすことも少なくありません。
基本は机のパソコンで受けているのですが、なぜか時々見落とします。
数日前に電車の中で、スマホで確認したメールがあります。
後で読もうと思っていたのを忘れてしまい、探しましたが、見つかりません。
あのメールは私の幻想だったのでしょうか。
たしか25日か26日にもらったメールで、
私の考えが少しわかったという書き出しでした。
最初だけ読んだだけなので、どうわかったのかをきちんと読んでいません。
気になりながら、今日まで放置していました。
私の考えがわかったとは嬉しいと思いながら、そのメールを探しましたが、見つかりません。
念のために最近バックアップするようにしているgmailを探しましたが、見当たりません。
可能性のあるところを探しましたが出てきません。
あのメールは、私の願望が創作した幻想だったのでしょうか。
ますます現実と幻想がまじりあってきてしまったようです。
まあいずれにしろ、すべては幻想なのでしょうが。
そもそも私の考えは、自分でもよく整理できていないので、なかなか分かってはもらえません。
最近それを痛切に実感しています。
もしかしたら、私の人生そのものが幻想なのかもしれません。
そうした私の幻想と現実の乖離が生まれているのかもしれません。
最近読んだ、バウマンの「ソリッド・ライフ」にこんな文章がありました。
この社会では、使い捨てが普遍的なルールであり、例外措置はない。たとえどんなもので も、歓迎期を過ぎたら、それ以上長居することは許されない。
私はちょっと「長居」しすぎているのかもしれません。
私自身の認識と他者の受け止め方は違っていて、私の役割は終わっているのに私が気付いていないのかもしれません。
一昨日届いた友人からのメールに、「佐藤さんのように年齢を重ねても活躍できる人間になるのが目標です」と書いてありましたが、どうも活躍の仕方が間違っているのかもしれません。
そんなこともあって、来年から少し生き方を変えようかと思い出しているところです。
外は少し明るくなってきましたが、日の出はまだまだです。
いささか早く起きてしまいました。
身体がふるえそうなほど寒く、頭がちょっと痛くなってきました。
心筋梗塞にならないように気をつけなければいけません。
またベッドに戻ることにしました。
でもまあ眠れないので本でも読もうと思います。
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