■節子への挽歌3711:冬眠
節子
人は夜には眠るのに、なぜ冬には冬眠しないのか。
ふとそんな疑問が、起きました。
最近、私の気力が萎えているのは、冬眠すべき時期だからではないのか。
冬眠すべき時に、無理に起こされて活動するのは、自然のルールに反するのではないか。
人はいつも、自分の都合の言いように、物事を解釈するものです。
植物は身をひそめて冬を過ごし、春になると花を咲かせます。
そして、身体を変えながら、いのちをつづけています。
花のいのちは限られていますが、花を生み出す草木のいのちは、時に数百年を超えます。
どの単位で「いのち」を捉えるかで、生命観や人生観は変わってきます。
庭の琉球朝顔はいまもなお花を咲かせています。
霜でだめになるまで、この朝顔は花を咲かせるのです。
しかし、同時にこの朝顔は蔓をどんどん周りに広げ、他の花木にからみつきます。
自らのいのちのために、他の花木の都合は考えない。
しかし、そのために、落葉樹に花が咲いたような風景をつくりだします。
さびしくなって命を感じさせない庭に、華やかさをもたらしてくれるのです。
まあ、だから何だという気もしますが。
昨日、いささかハードな研究会を立ち上げました。
節子もよく知っている杉本さんの発案です。
杉本さんとの出会いも、節子と一緒でした。
ですから杉本さんに会うたびに、節子も一緒している感じです。
その杉本さんの最後の仕事に誘われたのです。
友人に声掛けをして、研究会を立ち上げました。
若い世代を巻き込みたくて、40代の社会学史の研究者を誘いました。
帰りの電車の中で、彼の奥さんからの伝言を聞きました。
彼の奥さんは、私の娘の友人です。
湯島でサロンばかりやっていないで、たまには孫のところに行って、おじいちゃん役をやるように、という伝言でした。
彼女はよく娘のところに遊びに来てくれているようです。
私の歳にしては、私の生き方は少しおかしいのかもしれません。
しかし孫は週に数回、わが家に来ています。
私との関係はとてもいいです。
私に育てさせたらと思うこともありますが、私の人生観はどうも常識から外れているようなので、子育てには向いていないでしょう。
娘たちを見ると、それがよくわかります。
困ったものです。
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