■節子への挽歌3712:できることを探すこと
節子
昨日の挽歌を書きていた時に湯島にやってきたのは、2人の女性です。
初対面です。
ある人との出会いで私のことを知り、私のブログかホームページかで私のことを確認し、この人だったら大丈夫だろうと思ってもらえたようで、ある相談に来てくださったのです。
そのテーマは、私も以前から気になっていたテーマだったので、私に何かできることはないだろうかと考えることにしました。
しかし、正面から取り組むととてもではないのですが、私の手には負えません。
それにかなり時間もかかるでしょうから、余命わずかな私が無責任に取り組めることでもありません。
でもどんな人にも、できることはあるはずです。
できない理由ではなく、できることを探さなければいけません。
できることを探す。これは節子から教えられたことです。
彼女たちは、ある意味では世間の常識に裏切られたとも言えます。
信じていた制度や人に裏切られることほど、やりきれないことはありません。
友人知人に話しても、わかってもらえない。
体験しなければわからない事実は少なくないのです。
彼女たちから、
私たちと同じ問題で苦しんでいる人がたくさんいる。
そういう人たちのためにもどうにかしなくてはいけない
といわれると、何かしないわけにはいきません。
世間には、その問題以外にもひどい状況に追いやられ苦しんでいる人はたくさんいます、などと言っても、納得してはもらえません。
みんなそれぞれに苦しみ、悩み、辛い思いの中にいる。
この数年、そうしたことにいろいろと触れているためか、今やどんなことを言われてもあまり驚かないのですが、その反面、世間の常識への反発はどんどん大きくなってきています。
そうした状況に陥っている人たちには共通することがあります。
それは今の「社会のあり方」です。
その社会を変えていかないと大きな問題は変わらない。
そうした根っこにある問題に気づいた人たちの横のつながりが生まれれば、と思いますが、それが難しい。
何ができるか、やはり考えなければいけません。
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