■「わが事」を「われわれ事」にする
外からはなかなか見えませんが、人はみな、それぞれにドラマをかかえています。
昨日は3人の人と湯島で会いました。
それぞれに、思ってもいなかった「体験」に巻き込まれ、人生を変えてきた人たちです。
その体験をする前に持っていた、「常識」や「知識」は、その体験を通して、崩壊しました。
「常識」とは、信じていれば、とても安心で平安なのですが、その「常識」に裏切られないとは限りません。
「常識」はむしろ、現実を覆い隠すこともある。
それに気づいた途端に、世界の風景は変わり、自らの人生も変わってしまいます。
ある時には良い方向に、ある時には苦難に向けて。
昨日集まった3人の場合は、信頼していた「常識」に裏切られ、そこから日常的な苦難がはじまってしまいました。
私が、3人の人たちと出会ったのは、いずれも今年になってからです。
しかも、その内の2人は、つい1か月前に知り合いました。
私が、その3人に共感したのは、自分が味わった辛さや苦難を他の人には体験させたくないという思いから、社会に実態を伝えるとともに、そういうことが起きないような活動をしていこうと決意したことです。
それぞれ自らの生活も大変なはずなのに、自分の問題を社会の問題に捉え直して、活動に取り組む。
これこそが、私が考える「社会性」「市民性」です。
自らの体験として、知った以上は行動を起こす責任がある。
それが3人に共通する姿勢です。
その生き方に触れれば、私としても、看過するわけにはいきません。
私もまた、知ってしまったわけですから。
私に何ができるかを考えて、少し動いてみましたが、その問題の壁の厚さに改めて驚きました。
しかし、できることはあるはずです。
そんなわけで、顔合わせも含めて、4人で会いました。
3人には、共通するテーマがあったからです。
私自身は問題の当事者ではありませんが、同じような被害に合った人は、これまでも何人かいますし、私自身も疑問に思っていることのあるテーマです。
テーマは「司法」。
取り組むには、かなりリスクのあるテーマです。
しかし、知れば知るほど、後には引けなくなっていく。
先日の湯島のサロンで、政治のパラダイム転回に関して問題提起させてもらいました。
そこで、「わが事」を「われわれ事」にすることが、生活につながる「大きな政治」の出発点だと話させてもらいました。
そしてそのためにこそ、NPOやボランティアグループがあると思っていましたが、残念ながらその世界も今や「市場化」に向かっています。
市場化に向かってしまえば、「われわれ事」は、むしろ「わが事」になってしまいます。
それではせっかくのNPO活動も、政治のパラダイム転回にはつながりません。
ナチス時代のドイツと同じく、ただただ「小さな政治」のサブシステムになってしまい、パラダイム延命につながりかねません。
善意が、大きな悪事を支えかねないのです。
人は、それぞれにドラマをかかえています。
それを「私のドラマ」にとどめるか、「私たちのドラマ」にしていくか。
最近話題になっている、性的被害に関する「Me Too(私も)」発言の動きは、まさに「わが事」を「われわれ事」にしていこうという動きです。
セルフヘルプ活動やグリーフケア活動とは違ったベクトルとパースペクティブを持っています。
そうした動きが、政治のパラダイム転回につながっていくかどうか。
そこに期待と不安があります。
ところで、司法問題に関心のある人がいたら、ぜひご連絡ください。
権力のための司法から、生活のための司法に、というのが、大きな方向です。
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