■カフェサロン「病院の歴史から日本の医療を考える」報告
16人の参加者があり、最近では一番長いロングランのサロンになりました。
それでも残念ながら、話し手にとっても聞き手にとっても、時間不足だったと思います。
話題提供者の福永さんは、著書の「日本病院史」のダイジェスト版の小冊子(なんと51頁)まで用意して下さり、そのエッセンスを話してくださいました。
最初に総論的な話をしていただき、それを踏まえて参加者の関心事を出してもらいました。
テーマがテーマだけに論点も多く、福永さんは大変だったと思いますが、参加者の関心に重点をおいた通史を話してくださった後、今の医療やこれからの医療が抱える問題、たとえば病床数の削減や地域医療構想、地域包括ケアシステムなどについて、いくつかの論点を出してくださいました。
話の内容や話し合いのやりとりは、とても要約できませんが、ぜひ福永さんの著書「日本病院史」(ピラールプレス社)をお読みください。
いろんな気付きをもらえるはずです。
ちなみに、福永さんの通史の紹介で印象的だったのは、単なる文献調査だけではなく、関連した場所を福永さんは実際に歩いて、いろんなことを気づき、発見されています。
写真なども見せてもらいながら、その話を聞かせてくださいましたが、それが実に面白かったです。
いつものように、私の主観的な報告を少しだけ書きます。
最初の総論の話は、とても示唆に富んでいました。
たとえば、江戸時代までの日本の医療は基本的に往診スタイルであり、病院ができたのはたかだか156年前というお話がありました。
医療のあり方、病気との付き合い方に関する根本的な考え方が、そこにあるように思います。
福永さんは、日本に西洋医学を紹介したオランダは、日本に「病院」を教えなかったと話されましたが、これはとても興味深いことでした。
教えなかったこともありますが、当時の日本人は、そういう発想がなかったのかもしれません。
日本最初の本格的西洋式病院は幕府が創立した「養生所」だという話も、私には興味深い話です。
私は、なぜ「ホスピタル」を「病院」と訳したのかにずっと違和感を持っているのですが、養生の思想と医療の思想は、まったく違うのではないかと思います。
つまり、病気観や治療観が違うような気がします。
日本の病院は外来と入院のハイブリッド型に特徴があるという話も、これにつながっているような気がします。
明治以降の近代病院に宗教の基盤・背景が薄いという福永さんの話も、私にはとても重要な意味があると思いました。
日本では宗教というと教団宗教と受け取られますが、宗教を人が生きる意味での精神的な拠りどころと捉えると、それはまさに健康や病につながっていきます。
日本は、世界的にみても、精神医療の隔離傾向が強いように思いますが、これもこのことと無縁ではない気がします。
私には、これは、これからの医療を考える上で、とても大切なポイントだと思えます。
日本の病院数は民間病院が多いこと、にもかかわらず、国家による規制があって、病院の病床増床を病院が自由に決定できないなど、経営の自由度が少ないことも、日本における医療政策の基本にかかわることです。
この辺りも、ていねいに本書を読むといろいろと気づかされることは多いです。
今回のサロンでは、そのあたりを深掘りすることはできませんでしたが、いつかテーマに取り上げたいと思っています。
地域包括ケアシステムに関する話も、とても示唆に富むものでした。
福永さんは、医療での「地域」という言葉には注意しなければいけないと話してくれました。
そして、「地域」は地理的な「場所」(ローカルやリージョナル)ではなく、(人のつながりを軸にした)「コミュニティ」を指していると考えると、地域医療を進めて行くときの概念が明解になると話してくれました。
とても共感できます。
地域は、統治概念ではなく、生活概念で捉える必要があると私も思っています。
そして、豊川市の事例も踏まえながら、地域包括ケアシステムの話をしてくれました。
関連して、参加者から「我が事・丸ごと地域共生社会」構想の話も出ましたが、ここでもだれが主役になるかで全く違ったものになる可能性があります。
他にも紹介したい話はいくつもありますが、ぜひ「日本病院史」をお読みください。
案内でも書きましたが、病院や医療を通して、社会のさまざまな問題、が見えてきます。そしてそれは、私たち一人ひとりの生き方の問題にもつながってきます。
参加者のひとりが、結局、私たち一人ひとりが最後をどう迎えるかという看取りの問題につながっていると発言されました。
私もそう思いますが、まだまだ医療を受動的に捉えている人が多いように思います。
最後に、私も一言、中途半端な話をさせてもらいました。
コミュニティや地域社会の大切さが言われだしているが、それらは「どこかにある」のではなく、「自分の生き方で創りだしていく」ものだと考えることが大切ではないか。
話し合いで異論がぶつかりあった点もありますが、医療問題はやはり言葉の応酬ではなく、問題をしっかりと理解していくために、総論を踏まえて、自分事を踏まえて、個別テーマごとに連続で話し合う場を持たないといけないと改めて感じました。
そういうことができるように、少し考えてみたいと思います。
福永さん
そして参加してくださったみなさん
ありがとうございました。
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