■節子への挽歌3752:「音のない記憶」が復刊されました
節子
黒岩比佐子さんの「音のない記憶」が復刊されました。
コミーという会社の社会活動の一環としての復刊です。
この本にはいろんな思い出があります。
この本の出版を引き受けてくれる出版社が見つからずに、黒岩さんは苦戦していたのですが、湯島のサロン仲間の藤原さんが見つけてきてくれました。
そしてこの本が出版されてからの黒岩さんの活躍は、一挙に広がっていったのです。
その広がり方は、驚くほどでした。
節子が元気だったころ、3人で食事をしました。
黒岩さんはいつも話し出すと止まらないタイプでした。
彼女の頭の中には、たくさんの「書きたいことの構想」が詰まっていたのです。
それをきって、節子派ただただ感心するだけでした。
節子は、黒岩さんの将来に大きな期待、というよりも「あこがれ」を感じていました。
しかし、それを見ることができないと、胃がんになってからは残念がっていました。
節子が亡くなった後、黒岩さんはわが家に線香をあげに来てくれました。
それからの黒岩さんの活躍ぶりはどんどん加速されていき、会う機会も少なってきました。
そんなある日、突然、電話がありました。
がんを宣告されたという電話でした。
しかもすい臓がん。
しかし、そんなことには負けていられない。
しばらくは内緒にして執筆活動を優先したいという内容でした。
まさに阿修羅のような気魄を感じました。
無理をしないようになどとは言えませんでした。
しかしそれはそう続きませんでした。
最後の講演会に行った時も、彼女は辛さを微塵も見せずに、見事な講演をしました。
聞き終わった後に、娘がつくったスペインタイルのお守りのプレートを渡しました。
それが、私が会った最後の黒岩さんでした。
ゆっくりと話す機会がなかったほど、早く逝ってしまいました。
黒岩さんの著作はいろいろとありますが、私はこの本が一番好きです。
出版元が決まらないで、苦労していた黒岩さんの様子と重なっているからです。
その頃は、黒岩さんは湯島のサロンの常連でした。
しかも、節子がとても気にいっていた、というか尊敬していた常連のひとりでした。
一度、食事でもしようと言い出したのも節子でした。
たぶん苦労している黒岩さんへのエールだったのです。
黒岩さんが逝ってしまってからもう7年。
これからという時に旅立ちでした。
記念に、最後の講演会の写真をアップしておきます。
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