■節子への挽歌3741:空に雲がないのは太陽の輝きのおかげ
節子
今日も雲一つない、いい天気です。
昨日は曇天でしたが、今年は穏やかな日が続いています。
今年から生き方を変えようと決意しています。
「寛容に」、そして、できれば「無為」に、です。
まあそういう生き方になるまでには、少なくとも1年はかかるでしょうから、今年は移行期でしかないでしょう。
そういう生き方になれるまでは、できるだけ人に会わないほうがいいので、今年はできるだけ人に会わないことを目指したいと思います。
というわけで昨日も今日も誰にも会っていません。
これはけっこう辛いものがあります。
やはり人は、人と一緒に生きることと定められているのでしょうか。
でも誰かと会うと、ついつい何かを始めたくなる。
できるだけ今年はそうならないようにしなければ、生き方は変わりません。
実家に帰省した友人から、「私物がまったくないという環境を気持ちよく感じています」という手紙が届きました。
「東京に戻ったら、さらにモノ減らしに励みたいと思います」と書いてありました。
彼はできるだけ物を持たないという生き方をしていますが、毎年のようにほとんど物を持たずに旅に出ます。
しかし、豊かな人とのつながりを紡いで戻ってきます。
物がないほど、人のつながりが豊かになることも、いろんなところで実証されています。
しかし多くの人は、物に囲まれていないと安心できないのも事実です。
私も、残念ながら、まだ彼のように、物を捨てていくことができずに、中途半端な生き方に堕しています。
そこから少しずつ抜け出られればと思っています。
「私物」がなくなれば、寛容と無為に近づけるかもしれません。
しかし、それにしては、私のまわりには「私物」が多すぎる。
しかも、その「私物」にはたくさんの「私情」がこもっている。
捨てようと思うと、どうしても捨てがたい「思い」がまとわりついてくるのです。
「物」には必ず「人」がついている。
「物」から自由になるということは、実に難しいことです。
今日の空には、雲がありません。
こういうさやかな心になるには、どうしたらいいのでしょうか。
空に雲がないのは、太陽の輝きのおかげです。
だから、輝く太陽があれば、私物などなくても大丈夫です。
その太陽が消えてしまって以来、どうも私の生き方は迷いだらけで定まりません。
いつになっても不惑をつづけながら、途方に暮れる生き方になってしまっています。
今年は、この生き方を後にしようと思います。
輝く太陽を見つけなければいけません。
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