■節子への挽歌3738:今年も年賀状を出しませんでした
節子
今朝もとてもいい日の出でした。
穏やかな日が続いています。
しかし、どうも血圧のせいなのか、あんまり調子がよくありません。
頭の地の流れがなんとなく詰まっているようで、思考が動き出さないのです。
チョコレート療法はあきらめて、薬を再開したほうがいいかもしれません。
クリニックの遠藤さんのところに行くのはちょっと気が重いですが。
年賀状を読みました。
私は年賀状を出すのをやめてしまっていますが、それでも年賀状を送ってくれる人がいます。
いただいた年賀状への返信も、昨年はしないまま終わってっしまいました。
さらに昨年は、年賀メールもやめてしまいました。
別に深い意味があるわけではないのですが、ただ怠惰なだけでもありません。
書けなかったのです。
たとえ年賀メールでも、心を込められなければ書くわけにはいきません。
節子は年賀状を書くのに、とても時間をかけていました。
その横で、いかにも安直に書いている私には批判的でした。
印刷した文面だけでは心が伝わらないという理由で、手書きで一言二言書き添えていましたが、節子は思いを込めていたら、そんなに早くは書けないでしょうというのです。
多い時には1000通を超える枚数の年賀状を書いていましたから、たしかに一人ずつ心を込めていたら、1週間では終わりません。
私のそういう生き方に対して、節子は別の生き方のモデルを、いつもそれとなく見せてくれていたのです。
それが、節子がいなくなってから、じわじわときいてきたのです。
いまさら気づいたところで遅いのですが、むしろそうした気づきが私の気を削いでしまっています。
錯塩もそうだったような気もしますが、この数年、何もできない年末年始を過ごしているような気もします。
今年は脱却できそうだと思っていましたが、やはり抜け出せません。
むしろ高血圧のせいであればいいのですが。
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