■節子への挽歌3754:春の予兆を感じたい
節子
また寒くなってきました。
寒さは生命を委縮させます。
その先に、生命が躍動する春が来ることがわかっていても、歳とともに、それが感覚的に実感できなくなってくるような気がします。
そこには大きな生命と小さな生命が並行して生きているのを感じます。
庭の鉢植えのアジサイの芽がふくらみだすのも、河津桜のつぼみがふくらみだすのも、冬です。
寒さの中で、生命の躍動の予兆を感ずると、いまでも心は動きます。
しかし、以前のようにはわくわくはしてきません。
なぜでしょうか。
私のなかの、小さな生命は自らを感じているのでしょうか。
今日は寒いです。
寒いからこそ、春の予兆を感じたいですが、だんだんそれは難しくなってきている。
若いころは雪にさえ、春を感じられたものです。
友からの便りにさえ、感じられた。
最近は、どうもそれが難しくなり、まさに現実のなかに呪縛されてしまっているようです。
今日はたくさんの人に会えそうです。
春を感じられるといいのですが。
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