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2018/01/14

■節子への挽歌3750:怒りの矛先

節子
今日、ある件で2人の人と会いました。
お一人は初対面です。
お2人とも、あるトラブルに直面して、怒りをためている方です。
怒りをためている人は、話さないか話が止まらないかのいずれかですが、湯島に来る人は例外なく話し出します。
今日初対面の方も、話し続けました。
怒りの強さと孤立感の強さが伝わってきます。
もうお一人は、おおらかな雰囲気を持っている方ですが、やはり最初に湯島に来た時には、話が止まりませんでした。
いずれも、怒りをわかってほしいという感じです。
相手は誰でもいいのかもしれません。
私を介して、天に向かって怒りを放出しているのです。
しかし、私はそうした怒りを上手く聞く力がありません。
ですから、私に話してもたぶん怒りは鎮まりません。
無力さを感じますが、怒りは無理をして鎮めることもないでしょう。
怒りが生きる力にもなりえるからです。
それに、怒りは他者には伝わるはずもない。

怒りだけでは、大きな力は出てきません。
それで怒りを前に向けたらどうかという話をしました。
念のために言えば、おふたりとも自らの怒りを社会に向けて活動を始めている方たちです。
でもやはり私には、自らの怒りに呪縛され過ぎている気がしたのです。
怒りを呪縛ではなく、支えに変えていかなくてはいけません。
そうしたら、そう考えるのは男性と女性の考え方の違いかもしれないと言われました。
2人とも女性なのです。
性は関係ないと思いましたが、そうかもしれないと、後で思いました。
女性は実に自分に素直ですし、時間軸も違うと思うことが時々あります。
だから女性たちと話していると疲れるのかもしれません。
節子と話していると疲れなかったのは、なぜだったのか。
ふとそう思いました。

ところで、怒りの世界にばかりいると、どこかで怒りから抜け出たくなります。
今日来た人からも、死んでもいいというような自暴自棄な言葉がふと出てしまいました。
でも、死んでもいいはずはない。
死ぬくらいなら、怒りは不要なのです。
彼女も、死んでもいいなどとは思っていないでしょうが、そんな言葉がついつい出てしまうほど、怒りとは疲れるものでもあります。
しかし、そう思いながらも、死んでもいいという言葉にはどうもひっかかります。
節子が聞いたら、怒るでしょう。
ちなみに、その時の「怒る」とは「怒り」とは違うものなのか。

怒りをどう前に向けていくか。
怒りをどう生きる力にしていくか。
今日はそんなことをいろいろと考えました。
節子ならどう考えるでしょうか。

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