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2018年2月

2018/02/28

■コムケアサロン「成年後見制度ってご存知ですか」報告

成年後見制度をテーマにしたサロンには15人の参加者がありました。
最初に、広い視点で成年後見制度にも関わっている、一般社団法人コレカラ・サポートの千葉晃一さんに、制度の概略などのお話をいただき、そこから参加者から出された事例なども含めて、いろんな視点から話し合いが行われました。
http://www.koresapo.com/

千葉さんの話が終わった後、最初に私から問題提起的な質問をさせてもらいました。
この制度は、誰のためにあるのか、そして対象となる人の判断能力の評価は誰がするのか。
制度ができて良かったことと悪かったことは何か。

もちろん建前は、「判断能力が不十分となった成年者のための財産保護と生活支援」となっていますが、今ある制度を受け身的に理解し、利用の方法を考えるだけではなく、制度の利用状況やそこから生ずる問題点などを知ることで、形だけではない福祉のあり方や私たちの生き方を問い直そうというのが、コムケアサロンの目指していることです。
そこであえて、そういう問題提起をさせてもらいました。
参加者の中には、後見人を実際にやっている人や制度利用者の方もいらっしゃいましたし、制度利用を考えている人やまだ関心を持っているだけの人など、いろいろでした。
そうしたいろいろな立場の人が、話し合うのが湯島のサロンの大きな意味です。

千葉さんのお話によれば、成年後見制度を必要とする人は約800万人に対して、現在の利用者累計は18万人(わずか3%弱程度)だそうです。
これは、制度設計に問題があるのか、制度の理解が進んでいないのかいずれかだと思いますが、そのために成年後見制度を利用したことで、逆に問題を抱え込んでしまった人の話も少なくありません。

そうした状況を変えていくには、予備的にこの制度のことを理解するとともに、利用者側からの不備の点を変えるように働きかけていくことが必要です。
そうした動きはないわけではないでしょうが、なにしろこの制度の「受益者」は「判断能力が不十分となった成年者」ですから、問題は悩ましいわけです。
ここに、この制度設計の根本的な問題があるように私には思いますが、しかしすでに制度ができているのですから、それを効果的に活かしていくと同時に、「当事者視点」で不都合なことは問題として顕在化していかなければいけません。
それに、可能性としては誰もが「当事者」や「関係者」になり得ることですから、誰も関係がないとは言えません。

弱い立場の人たちを守る制度が、注意しないと、かつての精神病院制度のように、弱い人たちの人権が損なわれることにもなりかねませんし、さらには、生活支援のための手段だった財産管理が目的になってしまい、生活は二の次というような本末転倒も起こらないとは限りません。
もっと言えば、この制度は、家族のあり方にも大きく関わってきます。
そうしたさまざまな「落とし穴」があるような気がします。

もちろんこの制度で救われた人は少なくないでしょう。
しかしどんな制度も、当事者が効果的に活用して、はじめて生きてきます。
そして、当事者が制度改善に取り組んでこそ、制度は生きたものになっていきます。
その意味では、この制度はまだ「当事者からは遠いところ」に置かれているなというのが、私の今回の感想です。

千葉さんは、救急車なら、どういう時にどうしたらいいかが、誰にも伝わっているが、この制度に関してはそれが難しく、たとえば制度の解説パンフレットなども、制度運営者側の視点が強いために、なかなか社会に浸透しないと話されました。
そういう利用者視点での制度活用の仕組みや場をもっと増やしていくことが大切かもしれません。
ちなみに、コムケアの仲間でもあるNPO法人ユニバーサル・ケアの内藤さんたちは、「市民後見センターきょうと」を運営して、そういう活動に取り組んでいます。
http://www.kyoto-koken.net/about/
今回も、そこで制作した制度案内の小冊子を活用させてもらいました。
内藤さん、ありがとうございました。

いつも以上に主観的な報告になってしまいました。
サロンでは、実際には具体的な体験や事例の紹介やこの制度の活用の仕方などが話されましたが、それを報告するわけにはいきませんし。
千葉さんは、「成年後見制度の利用ありき」ではなく、当事者や関係者の立場に立って、生活支援に取り組まれている方ですが、内藤さんや千葉さんのような人たちが増えていくことが、一番求められているのかもしれません。

なお、成年後見制度に関しては、みなさんからの要望が集まれば、また情報交換や体験交流会のようなものを企画したいと思っていますので、ご要望のある方はご連絡ください。

コムケア活動を始めた時の「大きな福祉」の理念や共創型の相互支援の輪づくりの大切さを改めて思い出したサロンになりました。
千葉さん、そして参加されたみなさん、ありがとうございました。

Seinenkouken18022


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2018/02/23

■リンカーンクラブ研究会がスタートしました

日本の現実をもっと民主主義に近づけていこうという活動に取り組んでいるリンカーンクラブでは、目指すべき国家像、国家体制を議論していく研究会を立ち上げることになり、今日はそのプレミーティングでした。
月に1回、平日の午後に開催する予定です。
いずれも一家言持っているメンバーが集まったため、なかなか議論に入れないので、昔ながらのKJ法的アプローチで、みんなの関心事を整理しました。

次回から具体的な議論に入っていきますが、最初のテーマは「平和」が選ばれました。
国家は戦争をしていいのかというところから議論することになりました。
たぶん9条問題や自衛隊の位置付け、さらには米軍基地の問題などが話題になるでしょう。
ちなみに、戦争放棄は日本だけだと思っている人が多いですが、そんなことはありません。
1928年の不戦条約で戦争はそもそも禁止されていますし、国連憲章2条4項には、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と明記されています。
軍隊のない国などたくさんあります。
「国連憲章2条4項を、国内法でも裏書きしているのが、9条1項だと考えるべきだ」という人もいます(篠田英朗さん「ほんとうの憲法」ちくま新書)。

それはそれとして、しかし相変わらず、「戦争ができる普通の国家になろう」などという言葉が広く受け入れられているいまの状況を考えれば、このテーマから入ることで、国家のあり方が見えてくるかもしれません。

研究会にご関心のある方はご連絡ください。

研究会の成果は、11月に予定しているリンカーンクラブ年次大会で何らかの形で発表できればと思っています。

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2018/02/22

■節子への挽歌3785:ミニ同窓会

節子
湯島で小学校時代のミニ同窓会でした。
節子も知っている何人かも来ましたが、なかには数十年会っていなかった人もいました。

ひとりが胃がんになってしまい、昨年手術したのですが、彼がなんとなくみんなに会いたがっている風だったので、それとなく何人かに声をかけたのがきっかけです。
ところが、本人がまだみんなには言いたくないというので、延期になっていました。
節子との体験もあるのに、まだ私は、病気になった人の気持ちを理解することができずにいます。
困ったものですが。

今年になって、彼が胃がん手術をしたことを何人かに公開したので、それでは集まりをやろうとなったのですが、予想以上に参加者が多くなってしまいました。
たぶんみんなやはり会いたい気分があるのだろうと気づきました。
ここでも人の気持が、まったくわかっていない自分がいました。

集まりでは、彼が胃がん手術を改めてオープンにしました。
初めて聞く人もいて、驚いたでしょう。
久しぶりになつかしい集まりでの最初の言葉が、胃がん手術の報告。
まあ異例な出だしです。
しかし、そうしたら他の人も、いろいろと自分が抱えている事情を話しだしました。
病気のことだけではありません。
実にいろんなことです。
これまであまり話したことのないことを、はじめて口にした人もいました。
幸せなこともつらいことも、語りだしたのです。
幸せなこともつらいことが、何の違和感もなく、絡み合いながら話が進みました。
小学校時代の友だちは、やはりとても不思議なもので、奇妙な信頼関係や安心関係があるのです。

少しは知っていたことも、詳しく聞いて改めて驚いた話もありました。
そうだったのかとはじめて納得した話もあります。
みんなそれぞれにドラマがある。
しかし、なにが幸せで、なにが不幸かはわからない。
そんな気がしました。
一人ひとりからゆっくりと話を聞いて、何かできることはないかをみんなで話し合える場があるといいなと思いました。
家族は大事ですが、家族以外にも、そうした場があってもいいかもしれません。
それに家族のいない人もいます。

参加した一人がメールをくれました。

自分だけが苦労したと思っていましたが 皆様頑張られているのを伺い 明日からは 楽しく頑張ろうと お話から力を頂きました。

彼女は20年近く前に突然夫を亡くしました。
今回、一番元気だったのは彼女でした。
いまは独り住まいだそうです。

前に、死は人をつなげると書きましたが、病いもまた人をつなげます。
おかしな言い方ですが、孤独も人をつなげるかもしれません。
同窓会型サロンを、時々、湯島でやろうかと思います。
そうすれば、誰も孤立しないでしょう。
ある意味のコミュニティもつくれるかもしれません。

私はといえば、幼なじみの気安さもあって、少し、いや、だいぶ失礼な発言を重ねてしまいました。
それこそ「不適切な」発言もしてしまった気がします。
ぎりぎり許してもらえたかもしれませんが、最後に、私が一番信頼している人が、それとなくちくりと注意してくれました。
ありがたいことです。

やはり幼なじみの世界は、ちょっと違います。
それにとてもいい仲間にめぐまれているのです。
驚くことに、最後に私にカンパまでしていってくれました。
有機野菜まで持ってきてくれた人もいます。
お布施暮らしは、たくさんの豊かさを恵んでくれます。

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■節子への挽歌3784:また雪です

節子
朝、起きたら、雪が降っていました。
窓から見える隣家の屋根には雪が積もっています。
今日は湯島に行かねばいけないのですが、いささか心配です。

昨夜はいろいろと考えることがあって、あんまり眠れませんでした。
歳のせいかもしれませんが、深夜に目が覚めると眠れなくなることがあります。
最初に思うのは、いまもなお、節子のことですが、それは私が以前は節子が寝ていた場所で寝ているからかもしれません。
節子の目覚めの世界の中で、私も目覚めるわけです。

ところで、とても不思議な気がするのですが、節子がいた頃に比べて、寝室がいつも明るくあたたかいのです。
真夜中に起きて、以前はこんなに明るかっただろうかと不思議に思うことも少なくありません。
遮光カーテンをていねいに締めていないために隙間ができるせいかもしれませんが、なぜか明るい気がします。
あたたかさも、私の感覚が鈍くなっていて、寒さをあんまり感じなくなっているのかもしれません。
節子がいなくなってから、このほかにもいろいろと変わったことはあります。
たぶん節子が私の中に少し入り込んできているのかもしれません。
そう思うとなっときできることもあります。

雪は、とてもわずかではありますが、まだ降っています。
私の家の隣家は、少し低いところに建っていますので、2階の私の仕事場の窓からは、その屋根が見えるのです。
空も雪雲ですので、窓の外には真っ白な世界が広がっています。
雪の朝は音が雪に吸い込まれて静かですが、今朝もとても静かです。

東京新聞の私の記事を読んだ人から、今朝もまたメールが届いていました。
昨日は、その記事のおかげで、15年ほど交流のなかった人からも連絡がありました。
その人はこう書いてきました。

数年前まで長く組織のなかで守られて仕事してきましたが、 やっと佐藤さんのスタンスが私なりにわかるようになりました。

何かとてもうれしい気がします。
人の生き方や考えは、そう簡単にわかるものではありません。
それを簡単に分かったと言ってくれる人がいますが、そういう人に限って、私の生き方や考え方を真逆に受け止めている人も少なくありません。
しかし、この人のように、わからなかったことにわかってくれる人がいることは実にうれしいのです。
それはたぶん私にも言えます。
私ももしかしたら、他者に「あなたの生き方や考えはわかる」などと言っていることがあるかもしれません。
気をつけなくてはいけません。

外はだいぶ明るくなってきましたが、まだ雪です。
こんなことを書くと笑われそうですが、最近は天気がまるで私の心情を表現してくれるような気がしてなりません。
三寒四温という言葉がありますが、最近の私の心は、まさにそんな状況です。
いろんな意味で、ですが。

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2018/02/21

■節子への挽歌3783:「生きる」と「生きている」は違うなという思い

節子
またいろいろと考えました。
最近は考えることが多くなりました。
いままでほんとうになにも考えずに生きてきたような気がします。
結局は、仏様の手のひらから出られなかった孫悟空を思い出します。

考えなくても生きてこられたのは、たぶん幸運に恵まれたからでしょう。
感謝しなければいけません。
しかし、もしかしたら、それは幸運ではなかったかもしれません。
ただ与えられた人生を疑うこともなく生きて来ただけなのかもしれません。

「生きる」と「生きている」とは違うことに、改めて気づきました。
私は、どちらかといえば、「生きる」に価値を置いていました。
しかし、よくよく考えてみると、節子がいなくなってからは、ただただ「生きている」だけだったのではないか。
そんな気がしてきています。

思いきり、前か上に向かって進んでいる人に会うと、いろいろと考えさせられてしまいます。
私も、節子に最初に出会ったころは、生きることにワクワクしていました。
でも、いまはなんとなく「生きていること」に従っているだけのような気もします。
「生きていること」にワクワクしていた節子のことを思い出すと、少し生き方を変えないといけないかと思い出しています。

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■カフェサロン「改めて協同組合について考えてみよう」のご案内

久しぶりに「協同組合」をテーマにしたサロンを開催します。
私は30年前に会社を辞めた時に、これからは改めて企業は協同組合制度から学ぶことになるだろうと思っていました。
その後、ワーカーズコレクティブや高齢者協同組合など、いろいろな動きが広がりましたし、法制化の動きも起こりました。
しかし残念ながら、いまのところ大きな流れにはなってきていません。
「働き方改革」が話題になっていますが、その視点からも、協同組合から学ぶことはたくさんあるはずです。

そんなことで、久しぶりに、協同組合をテーマにしたサロンを開催することにしました。
話題提供者は、世界の農業協同組合や漁業協同組合に造詣の深い、田中文章さんにお願いしました。
テーマは「改めて協同組合について考えてみよう」。
最初に田中さんの「協同組合」論を少しお話しいただいたうえで、そこから私たちが学ぶべきことやこれからの協同組合の展望などを問題提起していただき、それを踏まえていつものように、参加者みんなで話し合いができればと思います。
たぶん企業にとってもNPOにとっても、あるいは個人にとっても、たくさんのヒントがあると思います。

協同組合運動や賀川豊彦の研究者でもある青山学院大学教授だった本間照光さんにも参加していただく予定です。
いつもとはちょっと開催時間が違いますが、ぜひ多くのみなさんの参加をお待ちしています。

○日時:2018年3月14日(水曜日)午後3~5時
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
○テーマ:協同組合活動の歴史と現在から学ぶこと
○話題提供者:田中文章さん(中小企業基盤整備機構経営支援専門員)
○会費:500円
○申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

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■誰でもサロン事業を始めます

ちょっとまた思いついてしまったのですが、収益目的のビジネスを始めることにしました。
13年ぶりの、お金をもらうことを目指す仕事です。

それは、「だれでもサロン」ビジネスです。
湯島のサロンで話したい人に話をしてもらうというプロジェクトです。
いまやっている湯島のサロンと同じではないかと思われるかもしれません。
それが違うのです。
いまやっているのは話し手への謝礼などは一切ありません(なかには話し手も箱に会費を入れていきますがそれは自発的な行為です)。

ところが今度考えるサロンは、話し手が「講演料」がもらえるのです。
ただし、「マイナス講演料」です。
しかも1万円以上です。
これは私がもらいます。
サロン参加者は、話を聞いてから、自分の判断で、お金を箱に入れます。
箱に集まったお金は、講演者のものです。

いかがですか。
話に来る人はいませんか。

「マイナス」講演料というのは、私の好きな発想です。
これまでもマイナス原稿料システムで、2冊の本を出版しました。
私もきちんと原稿料、マイナス原稿料ですが、もらいました、いや払いました。
できた本は、なかなかいい本だったと思います。
マイナス講演料ははじめてですが、今度のポイントは私の収入になる点です。
まあ、今はやりの不労所得ですが、湯島のオフィス維持のためには役立ちます。

もう一つのポイントは、話し手にとってはとても厳しい場になるということです。
自分の話の評価が、お金という目に見えるもので、明らかになってしまうのです。
誰もお金を入れないと奈落の底に落とされるでしょう。
普通の人は、そんな場で話はしたくないでしょうから、この事業は成り立たない可能性がきわめて大きいです。
だからこそ、私はやりたくなったわけです。

さてさてどなたか手をあげてくれる人がいたら、いつからでも始めます。
問題は、どうやってこの事業を告知するかです。
でもまあ「私の知らない人」を主対象にした「縁カフェ」も少しずつお客様が増えそうですので、何が起こるかわかりません。
なんだかワクワクしますね。

サロンは実に面白い。
もっともっといろんなサロンをしてみたくなりました。
明日は、小学校時代の同窓生たちとの非公開サロンですが、これも発展できるかもしれません。

「だれでもサロン」で話したい人は。私にご連絡ください。
qzy00757@nifty.com

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2018/02/20

■節子への挽歌3782:平和な社会に向けて孤軍奮闘している人に会いました

節子
今日は孤軍奮闘している人のところに、何かできることがないかと行ってきました。
数年前に、平和活動の集まりで、一度、お会いした記憶がありますが、その後、交流はなかったのですが、湯島のサロンに来てくれたのです。

湯島に誰か新しい人が来ると、その人のために自分には何ができるだろうかと自然と考えるようになってきています。
人は素直に生きていると、そうなるものだというのが私の実感です。
よく言われるように、人は誰かの役に立ったと実感できるほど幸せなことはありません。
「助ける」ことのほうは、「助けてもらう」ことよりも、幸せに決まっています。
それで、誰かが湯島にやってきて、私の前に座ると、自然と私の頭の中には、「私にできることはなんだろう」と考えてしまうのです。
自分でも意外だったのですが、これも10年ほど前に、友人が私に「佐藤さんは誰かに会う時に何を考えているのですか」と尋ねられて、即座に「私にできることはなんだろうと考えている」という答えが出てきました。
正直、私自身、あまり意識していなかったのですが、言葉にして以来、自分でも意識するようになったのです。

今日、お会いした人は、私とどこか共通点があります。
生活や思考が、あまり秩序立っていないのです。
心のありのままに、しかし葛藤したり、迷いながら生きている。
彼女も、たぶん私に同じものを感じて、声をかけてきたのです。

彼女は、学校の先生でしたが、数年前に辞職し、自分の家を売ってしまい、その資金で、「平和な社会」を目指す活動に取り組みだしたのです。
新宿にオフィスを構え、そこで寝泊まりすることも多いような過激な生活をしています。
しかしたぶん経済感覚が普通の人と違うので、家を売った資金も底をつき始めたようです。
世間的にはいささか「飛んでいる」ので、なかなか同志も増えていかないようで、まさに孤軍奮闘です。
そんなとき、なんとなく波長の合いそうな私に出会ったわけです。
彼女は激烈に生きています。
ただ私と違って、社会的「権威」への信頼があるようです。
そこが悩ましいところなのかもしれません。
お互いに本音をぶつけ合う話し合いで、気がついたら4時間半もたっていました。

軽い気持ちで、何ができるかを確かめにうかがったのですが、なにやら少し重すぎる宿題をもらってきてしまいました。
お昼とデザートのいちごをご馳走してもらったので、しっかりと考えなければいけません。

さてさて、誰かに会うといつもこんなことになってしまう。
彼女のために何ができるか。
いささか悩ましい課題です。

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2018/02/19

■第2回リンカーンクラブ学習型サロンのご案内

延期になっていた、『無党派市民の究極的民主主義宣言』をテキストにした、学習型話し合いサロン(第2回目)のご案内です。
今回は、前回の概論を受けて、究極的民主主義を実現するための選挙制度を中心に、『無党派市民の究極的民主主義宣言』(ビジネス社)第3部を話し合う予定です。
最初に前回の簡単な復習をしてから、武田さんから究極的民主主義型の選挙制度(国民主権の行使システム)を説明してもらい、それを受けて議論を深めたいと思います。
該当部分をPDFにして、次のサイトにおいていますので、参加される方はダウンロードしてプリントアウトしてください(技術不足でひっくり返ってしまいました)。
http://cws.c.ooco.jp/TEXT31.pdf

学習型ではありますが、みんなで学び合うというスタイルですので、気楽にご参加ください。

みなさんの参加をお待ちします。

●日時:2018年3月10日(土曜日)午後2時~4時
●場所:湯島コンセプトワークショップ(リンカーンクラブ事務局)
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
●会費:500円
●テーマ:「国民主権を実現する選挙制度」
『無党派市民の究極的民主主義宣言』第3部第1~3章
●申込先:リンカーンクラブ事務局(info@lincolnclub.net)

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■節子への挽歌3781:電話疲れ

節子
なにやら今日は電話やメールがにぎやかです。
というのも、東京新聞に湯島のサロンのことが掲載されたのです。
東京新聞の「ひと ゆめ みらい」です。
しばらくは次のサイトから読めると思います。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201802/CK2018021902000103.html

その記事に、湯島でサロンをやっていると紹介されているのです。
それを見た人が問合せをくれるのですが、電話をくれる人はネットをやっていない人が多いので、いちいち説明しなければいけません。
それに私と同じ世代の高齢者も多く、なかには、自己紹介を電話でしてくれる人もいます。
自らの住んでいる場所くらいならいいのですが、なかには生まれたところまで話し出します。
子ども時代の妹さんのことまで話される方もいます。
たぶん見ず知らずの人への突然の電話なので、自分のことをていねいに話さなければと思われているのでしょう。

こうした反響で、話し相手を欲しがっている人がいかに多いかもわかります。
話し相手が欲しければいくらでもいるはずなのに、あるいは見つけられるはずなのに、それが出合わないのです。
そうしたことを「市場化」して「なんとかサロン」をビジネス化したり制度化したりする動きもありますが、たぶんそういうものは見透かされてしまいます。
サロンを続けていて、それがよくわかります。
人のつながりは「市場化」できるはずはありません。
言うまでもなく「福祉」のそうですが。

それはそれとして、今日は長い電話ばかりで疲れました。
まだこれからもあるかもしれません。
私が一番やりたいサロンは、居場所サロンではなく、市民性を深めて社会を住みよくしていくサロンなのですが、そういうサロンへの関心はなかなか広がりません。
勉強会だと勘違いしている人も少なくありません。
人は勉強すればするほど、私の定義では知的でなくなります。
世間的な表現をすれば、バカになるということです。
また「道を踏み外しそうです」ので、やめましょう。

いまのままだとどうも私の現世時代には間に合わないので、宝くじを買うことにしました。
私の信条には反しますが、お金があれば思いの実現を加速できるかもしれないと、ついついさきほど思ってしまいました。
当たるといいのですが。
いつもは「ついでに借金も返せますように」と、いささかの邪念が入っていましたが、今回は自分のためには使わずに、しっかりと「思いの実現」のために使いますと約束して買いますので、当たるかもしれません。
でも、宝くじを買いに行くのを忘れないといいのですが。

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■節子への挽歌3780:宇宙との縁を回復できそうな気配です

節子
私たちは、「知っているはずもないこと」を知っていることに驚くことがあります。
ソクラテスは「メノンのパラドクス」といい、ユングは「集合無意識」と言いました。
私自身は、人間は自分だけで完結したシステムなどとは全く考えていませんので、時空間を超えたあらゆるものとつながっていると考えています。
それを意識に取り込めば、自分の心身は、無限の知であふれるでしょう。
空海は、虚空蔵につながっていたという話もあります。
空海に限らず、宇宙と一体化した人は、たぶん少なくないでしょう。
それをある程度論理的に言語化すれば科学者になり、言語化に興味がない人は宗教者になる。
キリストもムハンマドも釈迦も、きっと宇宙と一体化していた。
だから、彼らの「生」は、現世だけのせいではなかったのだと思います。

そうした不思議な感覚は、たぶんほとんどの人が経験していると思いますが、人は「信じられないものを信じない」ように、育つようになってしまいました。
ですから、みんあ「見なかったこと」「体験しなかったこと」んして、その後の平安な人生を選ぶわけです。
それが「大人になること」なのかもしれません。
つまり、宇宙と縁を切る、ということです。

私が最初に、意識したのは、福岡の大宰府跡に行った時です。
なにやら無性に懐かしさを感じました。
その後、観世音寺の国宝館に入って、雷に打たれたような「畏れ」を感じました。
誰も来ない国宝館で10数体の仏たちとしばらくの時間を共にしました。
不思議な体験でしたが、なぜか私以外の人は、その間、誰も来ませんでした。
その後、観世音寺について少し調べて本も読みましたが、残念ながらなにも感ずることはありませんでした。
その後も何回か行きましたが、あの奇妙な感覚は起こりません。

また話がずれていますが、最近、そうした私が知っていることのないことが、少しずつ形を見せだしています。
そして、それに従って世界の見え方が少しずつ変わりだしているような気がします。
私が考えていたことが、いかに論理に縛られていたかがわかってきました。
知の体系が変わるということは、こういうことなのかもしれません。

最近つくづく自分の無知さ加減がわかってきました。
「知る」ということは「知らないこと」に気づくことだと、ようやくわかりました。

今日は、春を感ずる寒さです。
庭の桜が今年も花を咲かさないようなのが、とても残念です。

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2018/02/18

■3月縁カフェのご案内

2月から月1回開店することにした縁紡ぎカフェですが、名前を単に「縁カフェ」にしました。
たぶん名称はこれからどんどん変わっていきそうですが。
それと毎月最初の水曜日と考えていましたが、これも最初の月曜日にしました。
また開店時間を12時から4時にしました。
ほかは変わりません。
主旨などは前回の案内をご覧ください。
http://cws.c.ooco.jp/info1.htm#1802071

〔ご案内〕
○日時:2018年3月5日12~16時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf

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2018/02/17

■節子への挽歌3779:死前葬儀

節子
宇治に住んでいる節子の従妹のMさんから電話がありました。
Mさんは伴侶を亡くされたそうです。
あまりお付き合いはなかったのですが、先日、その話が耳に入りました。
それで、墓前へとお線香を送らせてもらいました。
ちょっと遅くなったのですが。
今日、電話がありました。
人の死は、やはり人をつなげます。

節子と付き合いだした時に、Mさんの両親の家に遊びに行ったことがあります。
京都の銀閣寺の近くにお住まいで、大文字の文字の見えるところでした。
なぜかその時Mさんには会っていません。
ですから、Mさんに出会ったのも、たぶん節子の父親の葬儀だったと思います。

こんなことを言うと誤解されそうですが、
私は結婚式よりも葬儀に出席する方が好きでした。
結婚式はどうも私には相性がよくないのです。
葬儀のほうが、なぜか落ち着くのです。
これは節子を見送ってからではありません。
しかし、いまは葬儀も好きではありません。

なぜか昨年は、私の葬儀はありませんでしたが、10年後の私の葬儀をどうするか、考えておかねばいけません。
まだ考え出すには少し早いですが、ゆっくりと考えようと思います。
できれば、私も自分の葬儀に参加できるようにしたいものです。
生前葬儀ではなく、死前葬儀が理想です。
さてどうするか。
かなりの難問です。

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■節子への挽歌3778:小さな常識、大きな常識

節子
武田さんから数日前に電話がありました。
「138億年宇宙の旅」を読んだかという電話です。
とても感動したようで、仕方がないので、私も読んでみました。
ブラックホールが専門のイギリスの理論物理学者クリスト・ガルファールの著作です。
難解な物理学の世界を「平易」に書いたものですが、やはり歯が立ちません。
しかし、理解はできないのですが、そこで書かれているマクロ世界やミクロ世界の話は、なんとなく親近感があります。
たとえば、重力を超えた量子的な場や10次元世界、あるいは時間も空間もない世界というのは、なんとなく実感できるのです。
もちろん論理的にわかっているわけではなく、言葉で説明することも全くできません。
超弦理論も出てきますが、これも私にはちんぷんかんぷんです。
これまでも超弦理論の「平易」な解説書なるものにも挑戦したことはありますが、歯が立ったことはありません。

しかし、そういう世界に、なにか奇妙な親近感や現実感があるのです。
時間も空間もないということは、昔から私には違和感がないのです。
というか、几帳面に並べられて一方向に流れている時間というものにはなじめないものがあります。
小松左京の小説に出てきた両方向に流れるヘリウムの話は今でも忘れられません。

節子はよく知っていますが、カレンダー通りの時間の流れには、私はあんまり呪縛されないのです。
だから、カレンダーに従って誕生日が決まるわけではなく、今日を私の誕生日にして食事に行こうなどと言う発言をしてしまう。
まあ、いまもそうで、娘が迷惑していますが、最近は「はいはい」といって無視しています。
節子と一緒ですが、カレンダーに縛られることは苦手ですが、それでも長年、カレンダーに呪縛された生活を続けていると、ついつい今日は何曜日だろうなどと思うことからまだ抜け出られていないのです。
だから、娘につい、今日は水曜日にしてくれないかなどと、ついつい愚痴を言いたくなるわけです。

今日もあることで、娘から「お父さんは常識がないから」と言われました。
しかし、娘の常識など高がこの数十年に育ってきた「小さな常識」ですから、138億年のスケールで考えれば、たいした常識ではありません。
私の常識のほうが、もっと普遍性を持っているでしょう。
そういう「大きな常識」の世界に、節子はきっと苦労したことでしょう。

でも彼岸にいって、きっと私の常識のほうに親近感を持っていることでしょう。
次に会うのが楽しみです。

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2018/02/16

■節子への挽歌3777:人の死は人をつなぐ

節子
今日はまた寒さが戻ってきました。
寒さはちょっとこたえます。
でもわが家は、エアコンをあまりかけなくともなんとなくあったかい。
節子がいなくなってから、なにやら節子がこの家を包み込んでくれているような気がします。
まあたぶん考えすぎでしょうが、時々、そんな気がします。
でも今朝はともかく寒いです。

寒さのせいかもしれませんが、訃報がつづきます。
直接の知り合いではないのですが、その両親や親族の訃報です。

そういえば、私の父親の葬儀の日は今でも思い出すほどの寒い日でした。
31年前の2月11日です。
私にとっては、自らが喪主になった最初の葬儀でした。
父の葬儀で学んだのは、人の死は人をつなぐ、ということでした。
普段は会ったことのない親戚の人との出会いもありました。
普段は開かない心が開いて、人とのつながりが深まることもありました。
もっとも哀しいことに、人の本性が見えてしまい、人の縁が切れそうになることもある。
遺された人に、死者はたくさんのことを気づかせてくれるものです。

節子の死もまた、いろんな人のつながりを生み出してくれました。
いろんなことを気づかせてもくれました。
いまも私は、その恩恵をたくさん受けています。

この寒さの中で、いまも誰かが誰かを見送っているでしょう。
誰かはわかりませんが、その人の冥福を祈りたい。
そんな気にさせられた、寒い朝です。

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2018/02/15

■カフェサロン「半農生活と自分自身の人生経営計画」報告

「都会人の暮らし+農業=半農半X」の生活を実践している菜園クラブの増山博康さん(野菜栽培のレッスンプロ)のサロンは、10人になりました。

参加者のほとんどは、農業にすでに関わりだしているか、関わりたいと思っている人でした。
増山さんご自身のライフストーリーから始まりました。
それが何しろいろいろですので、前半はいささか話がとっ散らかってしまい、農業につながっているようでつながっていない気もして、企画役としてはひやひやしましたが、後からそれが農業と関わる生き方なのだと、気がつきました。
翌日、参加者のひとりから、「農の話はおもしろい、とあらためて実感した2時間半でした」とメールが届きました。
自分の不明さを反省しました。

さて何を報告すればいいか、今回は悩みます。
農業政策や農地政策の話から、農家の人と付き合いの入り口は一升酒という話まで、ともかく広いのです。
専業農家と兼業農家、焼き畑の話。
マリアさんのような購買者の話。
産業としての農業と生業としての農業の話。
さらには種子の話や遺伝子組み換えの話まで出ました。
いやいやもっとめちゃくちゃなほど広がっていたような気もします。
そういえば、なぜか盛んに障害者の話が出てきて、青い芝の会の話まで出ました。
増山さんは、若いころ、そういう分野でもいろいろと活動していたからですが、農福連携という動きが広がっているように、農業は障害者問題と親和性が高いように思います。

増山さんは、「野菜をつくる」「野菜を購入する」「両者をつなぐ」という活動をしていますが、その3つの局面で、いろんな人と会い、いろんな体験をしています。
それは同時に、人の生き方や社会のあり方へのとても刺激的な示唆を与えてくれます。
増山さん自身は、そのど真ん中で、それらを一体として人生していますので、言葉で整理して伝えようとすると増山さんの意図とは違ったようなものになると思いますので、やめます。
増山さんの活動やお考えは、増山さんのホームページにとてもていねいに書かれていますので、それをお読みください。
http://www.saienclub.com/
一言だけ言えば、増山さんは全国に菜園コーディネーターを増やしていって、社会を豊かにしていきたいのです。
豊かといっても、金銭経済的な豊かさではありません。
増山さんのように、いつもにこにこして、明るい人生を広げたいのです。

ちなみに、増山さんは、「半農生活を始めよう」という本を出版しています。
http://cws.c.ooco.jp/books.htm#090920
この本もとてもわかりやすい本です。
増山さんは、野菜栽培の基礎を学ぶ理論セミナーと実習。さらには、農地の確保や農園運営などを応援する活動をされています。
菜園起業サロンもやっています。
関心のある人は、ぜひ増山さんのサイトを見て、増山さんにアクセスしてみてください。
増山さんも言っていましたが、ともかく体験が一番なのです。

農業関係のサロンは、農福連携の動きが広がる前は定期的にやっていましたが、最近は途絶えていました。
どなたかサロンをやってもらえれば、企画します。
よろしくお願いします。

Masuyama18


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■「それがどうしたのか」

前の時評編の記事で、「それがどうした」という言葉を使いました。
それで思い出したのが、前に読んだ、ヴォルフガング・シュトレークの「時間かせぎの資本主義」の序章に出てきた文章です。

問題を問題として記述している人に対して、分析するなら同時に解決策も示せと迫るのは間違いだと考えている。(中略)その解決策が見つからない、あるいは少なくとも、今ここで実現できるような解決策が見あたらないということは十分に起こりうる。では、いったい『前向きなもの』はどこにあるのかと、非難をこめて問う声があるかもしれない。その時こそ、アドルノならば、こんな意味のことを言ったにちがいない。前向きなものがまったくないからといって、それがどうかしたのか、と。

日本の政治に関して、野党は批判ばかりして代案がないという人がいます。
私は、誠実な批判は、それこそが代案だと思っていますので、この種の意見こそが「前向きでない非難」だと思っています。
しかし、「それがどうかしたのか」というのは、私にはとても気にいっている言葉です。
そう言い切れる生き方をしたいと、常々思っています。

念のために言えば、私は「批判」(私自身への批判ももちろん含めて)は好みますが、「非難」は好きではありません。
批判は前向き、非難は後ろ向きだからです。

私のブログも、時に「批判」でない「非難」になっていることが少なくありません。
最近は減っていると思っていますが、まだまだ文章力がありません。
もし誰かを「非難」しているような表現があれば、それは私の未熟さの故です。
まあ、時に意識的に、「非難」してしまうこともないわけではないのですが。
まだまだ未熟さは克服できません。
たぶん最後までそうでしょう。

困ったものです。
はい。

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■節子への挽歌3776:みんなそれぞれの中に生きている

節子
昨日は何とか持ちこたえました。
昨日は半農生活を提唱している増山さんにサロンをしてもらいました。
増山さんとの接点は何から始まったか思い出せませんが、話の中で何人かの友人の名前が出てきました。
久しく会っていない人の名前も出てきました。
人の過去は、いろんな人の中にささやかであろうと、いろいろと刻まれているようです。
でもみんな最近は交流がありません。
人の交流は、なぜ途絶えてしまうのか。
何かとてもさびしいです。

私は、過去のことを振り向くことの少ない生き方をしています。
その生き方にあっては、人を思い出すのは、決して思い出のためではありません。
いま、どうしているかが気になるからです。

昨日も、サロンの前に会っていた人から出た名前の人を思い出して、メールしました。
30年以上前に会った人ですが、その時の若者は、今や社会的にも大きな仕事をする要職についています。
この数年は会っていませんし、交流もありません。
いまも大きな課題に直面しているはずなので、迷惑だろうなと思いながらも、なにか声をかけたくなったのです。
驚くことにすぐに返信が来ました。
あと2年半は「ひどい生活」を送りそうだと、書かれていました。
その後も解放されることはないでしょうが、3年後には湯島にまた来てくれるでしょう。
彼に会うために、あと3年は湯島を維持しなければいけません。
3年半であれば、まあ大丈夫でしょう。

サロンでは、もっとなつかしい名前も、お2人、出ました。
アクセスするにはちょっと遠くに行ってしまった人たちです。
いずれも私の生き方に影響を与えてくれました。
ひとりは雨の日は出かけないことを教えてくれ、ひとりは友だちを選ばないことを教えてくれました。
私の生き方は、そういうさまざまな人たちの一言で創られてきています。
私の中にたくさんの人が生きているように、私もまたたくさんの人の中にささやかに住んでいる。
節子もまた、いろんな人の中にささやかに住んでいるのでしょう。
もちろん私の中には、とても大きく。

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■「与えられた権威」よりも自分の権威を大切にしたい

テレビはオリンピックで占拠されてしまいました。
私はオリンピックには大きな違和感を持っているので、興味は全くありません。
どうしてもそこに、ローマ時代のサーカスを感ずるのです。
もちろん東京オリンピックにも反対ですし、自分の税金がそれに使われることもあまり気分がよくありません。
福島の被災者たちのためにであれば、喜んで税金も収めたいですが、最近は納税のモチベーションはあがりません。

そんな中で、先日、ミシュランの認定を辞退するお寿司屋さんの報道に接しました。
フランスではそういう動きがあるのは前に聞いたことがありますが、日本でもあることを知って、ちょっとうれしくなりました。
そういう動きに対する、ミシュラン側のコメントには、驚くものがありますが、ミシュランは完全にお金の亡者になっているとしか思えません。
ミシュランの星を信仰するお店も、きっと味よりもお金なのではないかと思ってしまいます。

そもそも「評価」するなどと言う発想が、私には違和感がありますが。
評価するのであれば、利用者が中心になって多様な評価をするのがいいでしょう。
星いくつなどという評価は単一尺度での方向付けでしかありません。
よほど想像力のない人の発想だとしか思えません。
それにまたそれを大事にしているお店や施設、さらには利用者がいるというのも、実に情けない。
彼らもよほど、味音痴なのでしょう。
同情するしかありません。

それにしてもどうしてみんな「与えられた権威」をほしがるのでしょうか。
権威は与えられるものではなく、自然に生まれるものではないかと思いますが、いかにも安直な「権威」がはやっています。
私はどちらかといえば、「つくられた権威」には反発するタイプで、ミシュランの5つ星などと言われても、「それがどうした」と思うのですが、多くの人はそれでおしく感じられるのでしょうか。
幸せといえば、幸せなことです。

もっとも、こう言っているものの、私自身も、ついふらふらと権威に吸い寄せられることがあります。
困ったものです。
もっと自分をしっかりと生きたいと、改めてそのお寿司屋さんの話を聞いて思いました。
そのお店に行ってみたい気もしますが、私の経済力ではちょっと無理そうなのでやめました。

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2018/02/14

■節子への挽歌3775:血圧の薬を飲みだしました

節子
もしかしたら、高血圧のことを挽歌では書いていなかったかもしれません。
実はかなりの高血圧のようですが、薬を飲んでいませんでした。
薬の副作用が出たからでもありますが、血圧くらいは薬に頼らずとも低くできるだろうと思っていたのです。
節子はよく知っている通り、私にはそういう奇妙な過信癖があるのです。

それでこの4か月、ポリフェノール含有率の高いチョコレートを食べていました。
血圧を下げる効果があるのだそうです。
残念ながら、目立った成果を得られなかったようで、1週間ほど前からあんまり調子がよくありません。
それで自宅で血圧測定してみたら、なんと下が100を超え、上が200近くでした。
寒いので、機械の調子が悪いのではないかと思いましたが、3日続いてほぼその数値です。
その上、最近は肩こりもあります。
それで昨日、節子もお世話になっていた遠藤さんに行ってきました。

遠藤さんは、数値を見て驚いて、めまいがしてもおかしくないよ、と私に聞きました。
まあ、私の場合、いつも社会の状況にめまいがしていますので、気がつかなかったようです。
社会の揺らぎに比べれば、個人の心身のめまいなどたかが知れていますから。
まあそれでもこれまでめまいで2回ほど緊急病院に行った経験もあるので注意しないといけません。
帰宅してすぐに薬を飲みました。
しかし、遠藤さんに驚かれるといささか気になってしまいます。
それに今朝も薬を飲んだのに、どうも調子がよくないのです。
それで前の記事になっていくわけです。
でもまあ何とか倒れずに今も頑張っていますが、どうも思考力がありません。
今日のサロンは静かにしていましょう。

あと30分の辛抱です。

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■節子への挽歌3774:自由になると見えてくるものがある

節子
血圧の薬を飲みださしたのですが、調子はなぜかよくありません。
首のあたりの血管がどうも詰まった感じで、スムーズではありません。
薬を飲みだすのが遅すぎたのでしょうか。
困ったものですが、如何ともしがたい。
しかしまあ大丈夫でしょう。

今日はしばらく連絡がなかったTさんと会いました。
なんとなくどうしているかなと思って連絡したら、3月で郷里に戻るとのこと。
郷里は愛媛県だそうです。

久しぶりに湯島に来てもらい、食事をしました。
気がついたら4時間も話していました。
Tさんは開口一番、佐藤さんが連絡してくるのはいつも私が遠くに行く直前ですね、といいました。
そういえば、前回はフランス転勤の直前でした。
佐藤さんには気配が伝わるのですね、といわれると、もしかしたらそうかもしれないという気がしないでもありません。
なにしろ最近は、現世と彼岸の境界意識さえ、あまり気にならなくなってきましたから。

Tさんと会ったのは、もう20年以上前になるかと思うのですが、管理職の研修会だったそうです。
なぜそれがいまの付き合いに繋がっているのか、私は思い出せませんが、その一事からもってしても、Tさんはたぶん個性をお持ちの人でしょう。
講師と受講生という関係は、私には基本的にありえないのですが、この15年は、むしろ私のほうがTさんから学ぶことが多かった記憶しかありません。
しかし私と話が合うくらいですから、Tさんもかなり変わっている人かもしれません。

Tさんが愛媛に立つ前に、湯島でサロンをしてもらうことにしました。
時間がうまく合えばの話ですが。
ちなみにTさんは数年前に所属していた組織を離脱しました。
自由になったわけです。
自由になって初めて見えてくるものもある。
そんな話をしていたら、4時間たってしまったというわけです。

今夜は6時過ぎから湯島でサロンです。
それまでの2時間、湯島に一人です。
頭の後ろがちょっと痛いです。
倒れなければいいのですが。
いやはや困ったものです。
こういう不安のなかで時間を過ごすのは、これで2度目です。


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■「釣りにでも出かけるとするか」

以前、「誰が第二次世界大戦を起こしたのか」(渡辺惣樹 草思社)のことを書いたことがあります。
これは渡辺さんが翻訳した、ハーバート・フーバーの「裏切られた自由」の紹介書なので、まあこれを読めばフーバーの原書は読まないでいいと思っていました。
なにしろものすごい厚い上下本なのです。
ところが先日会った友人から、面白いと勧められました。
それで図書館から借りてきて読んでみました。
思った以上に読みやすく、たしかに面白い。

本書は、第二次世界大戦前にルーズベルト大統領に反対して、戦争回避に向かっていたフーバー元大統領が、ライフワークとしてさまざまな資料を集め、整理した大事業の成果です。
結局、フーバーは出版せず、死後も遺族が出版を止めていました。
それが状況の変化の中で、2011年に出版されたのです。
編者は歴史家のジョージ・H・ナッシュ。
最近もトランプ大統領批判で活躍しています。
そのナッシュが本書の冒頭に「編者序文」を書いていますが、これだけでもなんとA5版ぎしっしりの130頁もあり、一冊の本になります。
タイトルは「ハーバート・フーバーのミステリアスな「大事業」」。
これだけでも読む価値があります。

そこに私がとても気にいった言葉が出てきました。
それが今回のタイトルの「釣りにでも出かけるとするか」。
フーバーは対抗馬の妨害にあい、共和党予備選大会に敗れて、大統領への復活はなくなったのですが、大会を終えたフーバーは、「釣りにでも出かけるとするか。政治のことは忘れたい」と、記者に語ったそうです。
時代を憂いて誠実に活動してきた結果の言葉として、とても共感できます。
しかし、フーバーは、釣りには行けませんでした。
ヒトラーが、西ヨーロッパへの侵攻を開始したからです。

フーバーは、日米開戦に関しても、スターリンの戦略に関しても、いまから考えると時代が見えていたと思います。
だからこそ、釣りには行けなかったのです。

もしフーバーが大統領に戻ってきたら、世界の歴史は全く変わってきていたように思います。
そして今、私たちは、そういう大きな転換点に立ってる。
フーバーのような全体を見ている人がいないのが残念です。
政治への無関心の代償の大きさを忘れてはいけません。

1月にキックオフした「茶色の朝」サロンのを3月からスタートさせたいと思います。
周りで起こっている気になる動きを、気楽に話し合うサロンです。
日程が決まったらまた案内します。

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2018/02/13

■カフェサロン「日常生活の巡礼化」のお誘い

久しぶりに、巡礼者鈴木章弘さんに、サロンをやってもらうことにしました。
鈴木さんの最近の巡礼体験を書いてみます。
2002-04年 サンティアゴ巡礼(フランス人の道)
2015年 サンティアゴ巡礼(ル・ピュイの道)
2016年 四国遍路(一周)
2017年 サンティアゴ巡礼(北の道)、四国遍路(徳島県のみ)

毎年、2~3か月は巡礼生活なのです。
巡礼が終わるたびに、私は鈴木さんのお話を聞かせてもらっています。
いつも鈴木さんは、よどみなく一気呵成といえるほどにいろんな話をしてくれます。
巡礼で得るものが、いかに大きいかを、いつも実感させられます。
その感動のおすそわけを私はいただいているわけです。
春にはまたサンティアゴに出かけるそうです。
そこで、出発する前にサロンをしてもらうことにしました。

今回のテーマは「日常の巡礼化」。
鈴木さんからのメッセージを紹介します。

「この世で巡礼のように生きよ」(トマス・ア・ケンピス)
「人生即遍路」(種田山頭火)
というように、巡礼・遍路はしばしば人生そのものにたとえられます。
そのとおりだと歩いていて感じました。

巡礼と遍路でどんなことが起こり、そこでなにを感じ、どんなことを学んだのか。
それは現代を生きる上でどのような意味や価値を持つのか、生かせるのか。
巡礼も遍路も素晴らしい体験でしたが、その体験を実際に生かすことが残りの人生の課題だと思っています。
それを「日常の巡礼化」と名づけました。

今回は、そんなわけで、改めて日常の生き方に、静かに思いをはせ、心おだやかになれるサロンです。
巡礼に出かける暇がない人は、鈴木さんの巡礼気分のおすそわけで、ぜひ心をほっこりさせてください。

〇日時:2018年3月2日(金曜日)午後6時半~9時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「サンティアゴ巡礼・四国遍路からたどりついた日常生活の巡礼化」
〇会費:500円(机の上の缶にいれてください)
○申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

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■節子への挽歌3773:できることは待つことだけのこともあります

節子
一度、人生を外れてしまうとなかなか元に戻れないように、この挽歌もなかなか追いつけません。
節子がいなくなってからの日数を表す挽歌の番号3772は、昨年の大晦日に書いておくべき番号です。
そんなわけで、書ける時には、日記ならぬ挽歌を書いておくことにします。
春には追い付きたいものですから。

しばらく連絡のなかった人から連絡が来ました。
毎週週末に介護していた老親が、お誘いしていたサロンの日に亡くなったのだそうです。
そのサロンは、その人にぜひ聞いてほしくて、お誘いをだし、報告を送り、資料まで送っていました。
ところが彼女はそれどころではなかったわけです。
さぞや迷惑だったことでしょう。
私自身は、そんな事情はまったく知らずに、親切心のつもりで、その人を少し意識しながら、その分野のテーマを設定し、お誘いし、その人の世界を広げるお役にたとうと考えていたわけです。
その人は数年前に、友人の伝手で私のところにその分野の人の紹介を頼みに来たことから、何か役立てないかと思っていたのです。
でも全く反応がなく、いささか気を悪くしていましたが、
そんな時に、もう連絡はいらないともとれるようなメールが届いたのです。
そのメールも、ちょっとイラッとする文面でした。

短い返信をしました。
それには、すぐ返事が来ました。
今度は、表情のある言葉でした。
心が救われる感じでした。

たぶん精神的に苦しい時間を過ごしていたのでしょう。
そんな事情も知らずに、勝手に解釈して、心を乱していました。
自分も同じことをやっていたのではないかと、10年前を思い出しました。
そしてこんな行き違いがいろんなところで起こっているのだろうなと思いました。

実はちょうど、昨夜、ちょっとイラッとするメールが届いていました。
その人からも、補足する内容のメールが届いていました。
前のメールと重ねてみると、やはりその人も苦しい状況にあることがわかります。

メールのやり取りは簡単ではありますが、それだけに注意しないといけません。
やはり人とのコミュニケーションは、直接がいいですね。

最初の方からの最後のメールにはこう書かれていました。

きちんとお話していなくてすみませんでした。 また落ち着きましたら、お話させてください。

いま私にできることは、待つことだけかもしれません。

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■節子への挽歌3772:なぐさみに花を摘む

節子
アメリカのネブラスカ州に住む、オマハ・インディアンは野生の花は摘みません。
正確に言えば、なぐさみには摘まないという意味ですが、そもそも「摘む」という発想がなかったのでしょう。
これは、レヴィ=ストロースの「野生の思考」に出てくる話です。
もう40年以上前に読んだ本ですが、最近、読んでいた本にこの本のことが書かれていたので、思い出していまゆっくり再読しているところです。
オマハ族も、いまはもう変わっているかもしれませんが、花を摘まない理由は、「植物には、それぞれのかくれた主人にしかわからぬ神聖な用途がある」からだと、レヴィ=ストロースは書いています。
薬用や呪術などには、感謝しながら花の助けは受けています。
同書から引用します。

歯痛や耳の病、リューマチの治療のために誰もがスチームバスで使っているサボンユリの根さえ、神聖なものであるかのようにして採取されていた。 東カナダの呪術医は、医薬として用いる草木の根や葉や皮を採取するとき、必ずその根元に少量の煙草を供え、植物の魂を味方にする。 それは、植物の「体」だけで魂の協力がなければ、なんら効力がないと信じているからである。

私たちの両親の時代には、まだ日本でもこんな文化が残っていました。
特に、節子の母親には、そういう思いが強くありました。
それが、節子にも少し伝わっていました。
私もそうした文化には共感があります。
節子の闘病に際しても、いろんな花木のお世話にもなりました。
いまから思えば、植物の「体」だけを使って、その魂への感謝の念がなかったのかもしれません。
頭で理解するのと世界を共にするのとは違うことに気づいたのは、節子を見送ってからかなりたってからです。

しかし、最近ちょっと思いが変わってきました。
「なぐさみに花を摘む」という行為にこそ、大きな意味があるのではないかと思えてきたのです。
花は、なぐさみに摘まれることにこそ、存在の、つまり「生きる意味」があるのではないか。
そう考えると、また生き方が変わります。

無性に哀しく、やりきれない時、羽目を外す人がいます。
まさにその時、その人は「なぐさめに花を摘んでいる」のかもしれません。
その時、その花は、きっと輝くように生きている。
自らを解き放せば、自然につながっていきます。
その時、花を摘みたくなったら、花の魂も許してくれるでしょう。
まだまだ私自身、自分を解き放せません。
最近、人に当たることが多くなっている自分に、また嫌悪感を強めています。
世界は、所詮は自分の思いの世界の鏡だとはわかっていうのですが。

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■節子への挽歌3771:気力がないと挽歌が書けない

節子
先週、生きる意味をテーマにしたサロンを開きました。
体験を語り合うというようなスタイルの呼びかけをしたせいか、事前の申し込みはなかったのですが、当日8人の方が参加しました。
テーマを間違ったのではないかというような人も来たのですが、話し出したら、それぞれに「重い」体験を話しだしました。
その報告は時評編に書きましたので、ここでは繰り返しませんが、まだまだ私の世界は狭いものだと痛感しました。
まだ笑顔の向こうに、心を届けられないのですから。

人は見たいものしか見えない、と時々思います。
あるいは、見たいようにしか見ない。
そうやって、私は人への対応をよく間違います。
しかし、それが、人が大好きな理由でもありました。
どんな人にも、魅力的なところがある。
人はまた、たとえなくとも、見たいものを見てしまうものです。
だから、実に幸せでした。

それが変わりだしたのは、いつごろからでしょうか。
節子がいた頃はそんなことはありませんでした。
私が受けたダメージを、節子がシェアしてくれたからです。
どんなダメージも、誰かとシェアすれば、軽くなる。
軽くなると、相手のいいところが輝きだすものです。

しかし、ダメージを開けずに自らで抱え込んでしまうと、自分がどんどん萎えていく。
そして、人への不信感を強めてしまうこともある。
どうも最近、そうなっているのではないか。
サロンを終えた翌日あたりは、なんとなくモヤモヤしただけで、こんな思いは出てきませんでした。
むしろ誰かの役に立った、これからもつづけようという気分でした。
しかし、時間がたって、何人の参加者からメールなどをもらって読んでいるうちに、そんな気がしてきて、また心が重くなってしまいました。
そして思ったのです。
なんでこんなサロンをやったのだろうか。
テーマを軽く考えすぎていたのではないか。
封印した心を解き放すことの意味を考えていたのか。
心の問題に取り組むのなら、もっと覚悟して取り組むべきではないか。
20年前と同じことをまたやっているのではないか。
そういう気がしてきました。
そんなわけでまた、挽歌が書けなくなっていました。

10年前は、元気を出すために挽歌を書いていました。
いまは、元気がないと挽歌が書けなくなった。
10年たって、ようやく私もまた、現世に戻ってきたのかもしれません。

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2018/02/11

■カフェサロン「モノづくり企業の経営を支えるカイゼン」報告

残念ながら、最近の調査では、日本の企業の労働生産性は世界で20位、主要先進国7か国では最下位だそうです。
企業の現場を飛び回り、日本企業の「現場」の改善力の強さとそれが戦略につながる可能性を実感している柿内幸夫さん(柿内幸夫技術士事務所所長)は、その状況を変えていくことを自らの使命にしているように思います。
そして、難しい手法や理論よりも、誰でもできる「カイゼン活動」が、企業を変え、社会も変えていくと確信されているようです。
私は、その柿内さんの考え方と実践にとても共感しています。
なによりも、自ら汗をかいて実践している。
今回の企業サロンは、その柿内さんにお願いしました。
15人が参加しました。

柿内さんは、日本と欧米では仕事の進め方、従業員の位置づけに大きな違いがある、と言います。
日本のいいところもあれば、悪いところもある。
それをしっかりと踏まえて、企業に関わるみんなが、知恵と汗を出せば、日本の製造業が再び世界をリードできる時代を呼び寄せることができるはずだ。
どうしたらそれが実現できるか。
長年の活動から得た答は、みんなが自らの現場で、日々、改善に取り組むことです。
そのために、柿内さんは「チョコ案」制度を考え出しました。
ちょこっとした改善アイデアをみんなで実行して、それを簡単に用紙に書いて報告する仕組みが「チョコ案制度」です。
ポイントは、提案して採用されたら実行するのではなく、「実行して報告する」こと。そして、それを通して、みんなの「改善の心に火をつける」ことです。
興味のある方は、柿内さんの「ちょこっと改善」(経団連出版)をお読みください。
簡単な紹介は次のところにしています。
http://cws.c.ooco.jp/books.htm#160306

そういう柿内さんの実践とそこから得たメッセージを柿内さんは話してくれました。
私は、柿内さんの「ちょっとしたカイゼンが大きな変化を起こす」という発想に共感していますが、それは企業に限ったことではないことを改めて確信しました。
行政でもNPOでも、あるいは家庭でもグループでも、さらには個人としての生き方にだって、効果を発揮する考えです。
しかも、たぶんそれを実践すると、人生が楽しく豊かになる。
いささか大げさに聞こえるかもしれませんが、たぶん長年実践してきている柿内さんには賛成してもらえるような気がします。
今回も、福祉に関わっている人が自分の活動につなげて発言してくれましたし、自分の生き方につなげて考えていた人もいると思います。
自分の生き方が社会を変えていくと思っている私も、柿内さんの話からたくさんの気づきをもらいました。

話し合いで出た話題も紹介したいものがたくさんあるのですが、書きだすときりがありません。
しかし、聞いていて、感じたのは、みんなの発言に通底しているのは「人間が主役」ということです。
みんなそれにきづいているのに、なぜなかなかそれができない。
義務とか制度とか、そんなことに縛られてしまう。

ひとつだけ、いささか刺激的な問題提起があったので紹介します。
それは「現場」という言葉です。
私の生活信条は「解決の鍵は現場」ですので、今回のサロンでもかなり現場という言葉を使ったような気がします。
ところが、私から見ると、とても現場を大切にしている方が、現場という言葉は、現場を一段下に見た差別用語のような気がすると発言されました。
思ってもいなかったことですが、たしかにそういわれるとそんな気もします。
その人は、「現場」よりも「第一線」という言葉を使っているそうです。
考えは同じなのですが、人によって、言葉の持つ意味は多様です。
こんなことに気づかされるのも、サロンの魅力です。

時間もだいぶ延ばしましたが、やはり話し合いすることができないテーマも多かったです。
湯島のサロンは、みんなよく話すので、2時間ではいつも足りません。
これをどう解決するかも、サロンの課題の一つです。

ところで、参加者のお一人から、後でメールをもらいました。

柿内さんの語り方や「それは考えていなかった。とても嬉しい」というような話なされ方は人の心を穏やかにし、素直にさせる素晴らしいスキルで、私も学びたいと思います。

私も、そう感じていました。
自分の考えを相対化し、他者の意見に新鮮な思いで学ぶという柿内さんの姿勢に、サロンの運営者としても大きく学ぶことがありました。
今年の私の課題にします。

今回のサロンは近藤さんが録画してくれました。
公開するかどうかはまだ決めていませんが、もしご覧になりたい方がいればご連絡ください。
公開したらご案内します。

柿内幸夫さんのホームページもぜひ見てください。
http://www.kakiuchikaizen.com/


Kaizen20180210


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2018/02/09

■節子への挽歌3770:おせったい

節子
昨日は「おせったい」をうける1日でした。

最初に来たのは最近巡礼ばかりしている、節子も知っている鈴木さんです。
春を過ぎたら、またサンティアゴに出かけるのですが、そのまえに巡礼話を湯島でしてもらおうと思っています。
鈴木さんは、週に2~3回、ツイッタ―はがきをくれます。
そのはがきに書かれている短いメッセージや感想が面白いのです。
その鈴木さんが、なぜか私に昼食を「おせったい」してくれたのです。
私は、おせったいはすなおに受け取ります。
おせったいすることも、おせったいされることも、同じだと思っているからです。
ツイッタ―はがきから伝わってくる鈴木さんの生き方も、おなじでしょう。

おせったいいただいた昼食には、鈴木さんのツイッタ―はがき友だちのHさんもご一緒しました。
Hさんが編集者をつとめる雑誌が完成したと言って、持ってきてくれたのです。
これもまた私には「おせったい」です。
3人での会話は、実に面白く、世界がまた少し広がった気がしました。
食事や本だけではなく、人と会えば、必ずなんらかの「おせったい」が行われます。

つづいてやってきたのが、いま、ちょっといろんな意味で大変な状況にあるKさんです。
昨夜彼女から連絡があり、東京に来ているので相談したいことがあるというので、前後の約束時間から、それぞれ30分ずつ分けてもらい、1時間時間をつくりました。
Kさんは経済的にも今とても厳しいはずです。
でも座るやいなや、黒にんにくを食べますかと出してくれました。
どんな人からも、私はおせったいは受けるのですから、遠慮なく一緒に食べました。
おせったいを受けることこそが、相談には一番役立つからでもあります。
黒にんにくの皮も捨てずにお湯で煎じて飲むのがいいと言われたので、2人で飲みました。
実はこの黒にんにくは、Kさんが相談に乗った人からのお礼のようです。

そいえば、鈴木さんも大福と「はるみ」みかんを持ってきてくれました。
大福はKさんにさし上げ、みかんは最後に会った人と一緒に食べました。
ところで、そのみかんは鈴木さんが四国のお遍路で会った人が送ってきてくれたものの「おすそ分け」でした。
なにかとてもあったかな話です。

夕食もおせったいされました。
節子もよく知っている武田さんです。
最近、私がよほど貧しく見えるのか、夕食をご馳走したがってばかりいるのです。
今日も、夕食の「おせったい」でした。
私が心穏やかに食べられる食事ではない、高価な食事を勧めるので、困っていますが、今日は何とか説得して、庶民的な美味しい魚のおせったいにしてもらいました。
話をしながら、そういえば、昔は私もいささか「バブル時代」もあったなと思い出しました。
まあ高が知れているバブルライフではありますが、その頃もそういえば、いろんな人がいろんなものを「おせった」してくれました。
私はもしかしたら、おせったいするよりも、おせったいされる定めにあるのかもしれません。

来世ではきちんと恩送りさせてもらおうと思います。

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2018/02/08

■コムケアサロン「なぜ生きるのか」の報告

「なぜ生きるのか」
このテーマでのサロンは、事前の申し込みはほとんどなかったのですが、私を含めて9人の参加がありました。
案内に書いた、モモさんからのメッセージを再掲します。

生きているのが辛いことは皆さんあると思いますが、 それでも生きていようと思う理由というか、 (嫌でも)生きていかなきゃいけない理由みたいなことを、 話し合うようなサロンを開いていただけたらな~。

できれば、もともと生きていたいと思える方より、
生きていくのが辛い、死んだ方が楽だと思いつつ、
それでも生きている方のお話、
そのモチベーションみたいなものをお聞かせいただけたらと。

または、昔は死にたかったけど今は死にたくなくなった方に、
どのような流れでそう変わったのかをお尋ねしてみたいと思います。

このメッセージを受けて参加してくださった方も多かったと思います。
実は、お恥ずかしいのですが、呼びかけておきながら、私はこの「なぜ生きるのか」というテーマがあまり理解できていません。
なぜなら「生きる」ことに理由などあるわけがなく、もし理由をあげろと言われたら、いくつでもあげられると思っているからです。
ですから、私はあまり参加資格はないのですが、湯島のサロンは、どんな人でも参加できるのがルールなので、私も話し合いに参加させてもらいました。

最初は静かにスタートしましたが、それぞれの体験談が語られだし、それへの問いかけや意見が出されはじめ、次第に話し合いが深まって、終わる気配がないほどでした。

生きることがつらかったことの、さまざまな「物語」が語られました。
死ぬ勇気がないので、アルコール中毒になりたくて、飲みたくもないお酒を飲んで入院。
幼児体験の記憶から抜け出るための闘い。
喪失体験が引き金になった「うつ状況」の再発への不安。
2週間の断食で、生きかえった話。
学校生活が苦痛で抜け出た話が、生徒と先生からありました。
約束した時間にどうしてもたどりつけないので病院にも行けない。
その一方で、遅刻人生をつらぬいた人の話もありました。
成長段階で社会を生きていく「ルーティン」を身につけることの大切さ。
愛されることと愛することの人生における意味。
社会には太陽もあれば闇もある。
などなど、いろんな話が出て、誠実な話し合いが展開しました。
交流分析やアドラー、ロゴセラピーなどといった話も、少しだけ出ました。
いずれも自分の体験を踏まえた生々しい話なので、聞く人もまた自分の体験を踏まえて受け止めたでしょう。
ですから、ここに書いたことは私の狭い世界からの理解に過ぎません。
参加者は、私が書いた言葉とは別の、それぞれの受け止めをしているはずです。

私もたくさんの気づきをもらうとともに、自分の物語を安心して話せる場の大切さを改めて感じました。
私も体験したことですが、心の奥を話すことで、力をもらえることもあります。
そこで、このサロンをこれからも開催することにしました。
実は、今年は、「縁紡ぎカフェ」を毎月最初の水曜日の午後に開店することにしているのですが、その日の夜は、「生きる」をテーマにした「心を開くサロン」を開催することにしようと思います。
これに関しては、また案内させてもらいます。

ところで、いろんな人の物語を聞きながら、おそれや不安のない人など、いるのだろうか、そして、おそれや不安のない人生は豊かなのだろうか、と私は思いました。
その私の問いに、参加者のみなさんは、ないほうがいいと答えました。
モモさんから見ると、私はおそれや不安のない元気な人に見えているようですが、そんなことはありません。
たくさんの悩ましい問題も抱えていますし、不安で夜、目が覚めることもあります。
しかし、私のような年齢になると、不安も希望も所詮は同じもののような気さえします。
太陽も闇も、同じように見えてくる。
そういう視点から考えると、ただただ思うのは、みんなそれぞれ思うように生きればいいのにということです。
悩みも不安も、すべてをそのまま受け入れればいい。
なぜそれが難しいのか。
そこに私の一番大きな関心があります。

ところで、今回のサロンは単に悩みや不安を開示しただけの集まりではありません。
そこから何か少しでも、社会を変えていくということも企図していましたが、それも今回少しだけ果たせたように思います。
人が集まれば、必ず動きが起こりだす。
そんなことも実感したサロンでした。

今回は報告用の写真は撮りませんでした。
それで少しばかり詳しく紹介させてもらいました。

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2018/02/06

■節子への挽歌3769:春がはじまりました

節子
真っ赤な日の出でした。
日の出の時間も少しずつ早くなってきました。
この季節は、いのちの復活を感じて、元気が出てくるような気がします。
しかし、それがどうにも心身に入ってこない数年ですが、今日はなんとなく久しぶりにそれを感じました。
不思議な話ですが、節子の闘病中は、いつもそう感じていたのですが。

昨日は、久しぶりによく眠れ、朝6時頃まで目が覚めませんでした。
もっともしかし、頭がすっきりしているわけではありません。
寝ざめのさわやかさは、昔のことになりました。
目覚めると、いろんな問題が浮かんできます。
昨日書いた、「向こうからやってきたこと」も、含めて。

身体もそう調子がいいわけではありません。
昨年の健康診断は結局行きませんでした。
いろんなところに違和感があるのですが、我慢できないほどではありません。
むしろ違和感は生きていることを感じさせてもくれます。
それに昨日お墓に行ったら、一緒に行った娘が、両親の享年を墓碑から気づかせてくれました。
父は81歳、母は87歳でした。
ということは、私は少なくとも80歳までは元気でしょう。
10年ルールによって、残された残余の7年が問題ではありますが、あと3年はある。
高齢者に残された時間としては、十分な時間です。

太陽が上がりだしてきたようです。
窓の外は赤から白に変わりました。
私の心象風景ですが。
しかし、室内はともかく(古いヒーターしかないので寒いです)、外はとても暖かそうです。
もちろん外に出れば寒いのですが、雰囲気はあったかそうです。
陽光は、素晴らしいといつも思います。
今日はきっと「いい日」になるでしょう。
机の上にある「to do list」に取り組もうと思います。

でもまあ、その前に陽光が届いているリビングに行って、コーヒーを飲もうと思います。
昨日冷蔵庫の奥に残っていたのが見つかった、Nさんからもらったトラジャコーヒーです。
なぜか少しだけ残っていました。

Nさんと連絡がとれなくなってからもう1年近く経ちます。
年末、彼女が使っていた携帯電話から無言の電話がありましたが、元気だといいのですが。
必ず湯島にもう一度来ると言っていたのですが、この寒さのなかで、どうしているのか心配です。
もし、このブログを読んだら、連絡してもらえるとうれしいです。

私でも生きているのですから、がんばってほしいです。
それに、春がまた始まったのですから。

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2018/02/05

■節子への挽歌3768:魔界との通路

節子
節子の誕生日に行けなかったので、1日遅れですが、お墓に行ってきました。
墓地にはいつ行っても、一種独特の雰囲気があります。
若いころは、私はあまり好きではありませんでした。
たぶん墓地に抵抗なく行けるようになったのは、節子が彼岸に行ってからです。

人を魔界から守る役割を持った人の話があります。
あるいは、「耳なし芳一」の話のように、魔界から守るものも、いろいろと語られています。
私も一時期、各地の魔除けにちょっとだけ興味を持って、いくつか集めたこともあります。
いまは割れてしまいましたが、以前はわが家の玄関にも、トルコから買ってきた「魔除・ナザールボンジュ」がかかっていました。
魔除けを集めるのをやめた理由は、魔除けは魔招きでもあるような気がしてきたからです。
なぜなら、魔除けであるためには、「魔」との接点がなければいけないわけで、詰まるところ、そこは「魔界」との通路になるわけですから。

もっとも、「魔」そして「魔界」とは何かという問題もあります。
私自身は、最近は、悪魔も天使も同じものだと思えるようになってきていますので、そこに正邪の思いはありません。
ですから正確には、生身の世界が存在できる世界と、できない世界といったほうがいいでしょう。
さらに言いかえれば、「生身と切り離せない人の世界」と「生身から自由な人の世界」と言うことになります。
私は前者に住み、節子は後者に住んでいるわけです。
残念ながら最近では、2つの世界は普通は行き来できません。

しかし、この数年ですが、私自身は、もしかしたらそのいずれにも住んでいるのではないかという気が時々します。
時々、思いが「向こう」に跳んでしまっているような気がするのです。
そこでは、時間感覚も空間感覚も違います。
ですから、私の時間感覚は時々おかしくなるのです。
まあ、これは彼岸への旅立ちの練習かもしれません。
たぶん歳をとると、みんなこうなっていくのでしょう。

問題は、そういうことが、心を平安にすることもあるのですが、「向こうの世界」から、なにか人知を超えたものを呼び込んでしまうことがあるということです。
節子が残してくれた、私の老後の生活費は、そうした状況の中ですべて失ってしまいました。
まさに「魔が差した」というしかないことが起こってしまったのです。
世間的に見れば、それは「詐欺」とも言えますが、「魔が差した」としかいえないような状況でした。
それも1回ならず、2回もです。

それはもう終わったことなのでいいのですが、最近、少し思うのは、相変わらずいまも「向こうの世界」の、現世的には「邪なもの」や「魔のもの」が、やってくるのではないかという気がします。
最近は、お金がないので、別のものを呼び込んで、生命の輝きが吸い込まれてしまっているかもしれません。
そう思うと、たくさんの悩ましい相談やトラブルがやってくることが納得できます。
それ引き受けるのは、私の役割なんでしょう。

しかし、身心が極度の疲労感と精神的な不安にさいなまれることもあります。
少し離れてきましたが、それでも時に眠れない夜がある。
といっても、まあ最近は1~2時間、目が覚めてしまう程度ですが、その時間は結構つらいのです。
どんな悪夢も、寝ている時の悪夢よりも、起きてみる悪夢のほうが辛いものです。
昨夜も、実はあまり眠れませんでした。
今日はお墓に行ってきたので、たぶんよく眠れるでしょう。

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2018/02/04

■コインチェック事件とフィンテックの陰謀

コインチェック騒動で、仮想通貨(奇妙な名前ですが)への関心が高まっています。
フィンテック関係者はきっとほくそえんでいるでしょう。
金融業者たちの貧しい夢は実現に近づいているようです。

しかしどうしてみんな投機の意味しかない「仮想通貨」に取り込まれるのでしょうか。
不思議でなりません。
みんなが欲しがっているのは、お金ではなく(お金は単なる手段ですかありません)、生活の安定や豊かさのはずです。
勘違いしてはいけません。
そもそもお金に利子がつくことさえ理解できない私には、通貨を投機手段に使うことの意味がまったくわかりません。
投機や蓄財に使う通貨は、交換手段としての通貨とは、全く違うものだろうと思います。

私は、価値は労働が生み出すという、古典派経済学の労働価値説にも違和感はありますが、少なくとも通貨は本来、価値を生み出すものではないと思っています。
もし生み出すとしたら、それは価値の移動でしかありません。
つまり通貨への投機で利益をあげたとしたら、それは誰かの持っている「価値」を奪っただけの話です。
ゼロサムゲームからは価値は生まれてきません。
そうかたくなに信じています。

もちろん価値の移動が、価値を生み出すことはあります。
お金がなくて困っている人にお金を提供することで、困っている人が助かることはあります。
しかし、それを投機につなげることには賛同できません。

価値を生み出さないところから、価値を得ようとすることが投機です。
それはマネーゲームであっても、生活につながる本来的な意味(経世済民)での経済活動ではありません。
今朝のテレビで、FPでもある生島さんが、少額のお金を運用するには仮想通貨は面白いと話していましたが、みんなの生活を支え、社会の秩序を維持するための社会的インフラ制度である通貨を、ゲームに使うこと自体に問題があります。
最初はゲームで、遊んでいたとしても、それがいつか枠を超えて、私財を投入していかないとは限りません。
そこにマネーが絡んだゲームの恐ろしさがあります。
しかし、まもなく仮想通貨で億万長者になった中学生、などというニュースが話題になりそうで、心配です。
きっと藤井さんより話題になるでしょう。

仮想通貨が、お金に支配された資本主義の社会を変えていくかもしれないという話もよく聞きます。
今朝のテレビ「新報道2001」でもそういう話が語られていました。
たとえば、冷蔵庫を無償で各家庭に配布し、実際の冷蔵庫使用のための扉の開閉ごとに僅かの費用(たとえば0.7円)を徴収すれば、メーカーは採算がとれると、出演していた関係者が話していました。
時代はまさに今そういう方向に向かっていますが、これこそがフィンテックの目指すところでしょう。
いまの携帯電話にも象徴されますが、一見、無料でもらえたと思っていたら、長い期間(冷蔵庫の場合は13年だそうです)、なにかに隷従しなければいけなくなりかねないのです。
お金を見えなくして、生活を縛っていく。
なにやら江戸時代の農民支配制度のような気がしてきます。
そこで変わるのは資本主義という経済システムではなく、人間の意味であることに、気がつかねばいけません。

そもそも投機からは何も価値は生まれません。
投機と強盗と詐欺は同じだとは言いませんが、私にはみんな同じように思えてなりません、

私もかなり時代から脱落してしまっているようですが、注意しないと時代の流れに吸い込まれそうで心配です。
なにしろ目の前にあるものに、ふらふらと引き寄せられるタイプですので。
困ったものです。

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■節子への挽歌3767:庭がまだ荒れ放題です

節子
今日は立春、そして節子の誕生日。
寒いですが、いい天気です。
しかし、立春らしい雰囲気はありません。
庭の花木も芽吹いてきません。
鉢植えしていた桜は、あまり手入れがよくなかったせいか、枯れてしまったかもしれません。
もう一本の河津桜は大丈夫ですが、つぼみか芽吹きか、よくわかりません。

花木は、本当に正直に反応します。
きちんと手入れをして呼びかけていないと、そっぽを向いてしまうのです。
節子がいなくなってから、庭の花木は半分以上が、いなくなってしまいました。
いま庭に咲いているのは、水仙くらいでしょうか。
いささかさびしいです。

庭の池も枯葉で埋まっています。
魚たちは元気でしょうか。
様子を見ようかと思いますが、あまりにもひどい状況なので、いつもやめてしまいます。
自然との付き合いは、人間とはまた違った煩わしさがあります。
節子と違って、私のような無精者には、結構難しいのです。
庭は荒れ放題です。
困ったものです。
彼岸から節子が手入れにやってきてほしいものです。

この寒さだと、私自身、急に倒れることもあるでしょうが、そうなったら娘たちは大変でしょう。
そう思いながらも、なかなか身辺整理をする気にはなりません。
節子がいなくなってから、私は生きるとか死ぬとかいうことに、あんまり現実感が持てなくなってきています。
いささか大仰に言えば、いま生きている実感がないのです。
ですからとんでもない行動で、節子が残してくれた貯金もほぼ全部失ってしまいましたし、逆に借金もあまり負担に感じなくなってしまいました。
これまた大いに困ったことで、そのおかげで、活動もなかなかやれなくなってきています。
もう少しお金があれば、以前のように各地に出かけて行って、自分のしたい仕事ができるのでしょうが。
お金がないのであんまり仕事ができません。
でもまあ、仕事をあまりしないおかげで、いまも元気なのかもしれません。
人生、何が福で何が禍なのかは、だれにもわかりません。

節子の誕生日なので、家屋で会食しようと思っていましたが、忘れてしまっていました。
最近は、こういうことが多くなりました。
これは、困ったことというよりも、喜ばしいことかもしれません。
だんだん記憶が弱くなっていくことは、ある意味では、とても生きやすくなるということでもありますから。
それに、荒れた庭もまたいいものです。
はい。

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2018/02/03

■「鬼は外、福は内」の意味がやっとわかりました

ほとんど挽歌編と同じですが、私にはとても大きな発見でしたので、時評編にも書きました。

節分ですが、今年は豆まきをやめようかと思っていました。
大人だけだと、ちょっと気恥ずかしさがありますので。
それを見透かされたように、近くに住んでいる娘母娘が、出張豆まきにやってきました。
おかげで、わが家の豆まき文化は断絶せずにすみました。

ただし、「福は内、鬼は外」の豆まきです。
私にはいささか不満ですが、これには異をとらえられませんでした。
ちなみに、わが家の豆まきは、ずっと「鬼は内、福も内」でした。
とりわけ今日のように寒い日には、追いだすような掛け声はわが家向きではありません。
しかし、孫はそんなややこしいことなど分かるはずもなく、豆を外にそっと投げていました。
それから室内にいる3人の鬼たち(お面ですが)に、豆を分配していました。

それを見ていて、ハッと気づいたのですが、豆を外にばらまくのは、もしかしたら「私財を困った人に、恩着せがましくではなく、わざとぞんざいに「もらってもらう」という行為」だったのではないかという気がしました。
外にいる社会から疎外されている人たちに豆や米を提供するので、住む場所もあって暮らしに困っていない人たちは、家に入って、提供された豆や米には手を出さないようにしてください、という呼びかけのわけです。
いわゆるポトラッチの一種です。
そう考えるとすっきりします。
私にとっては、とても大きな発見です。
孫から教えられました。
私も、ホームレス支援のグループにささやかな豆を送ることにしました。


伝統行事には、まだまだいろんな知恵が含まれているのでしょう。

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■節子への挽歌3766:孫との豆まき

節子
今日は節分です。
ユカと2人での豆まきも、いささか気恥ずかしいので、今年は豆まきはやめようかと思っていたのですが、それを見透かされたように、じゅん母娘が、出張豆まきにやってきました。
おかげで、わが家の豆まき文化は断絶せずにすみました。
ただし、「福は内、鬼は外」の豆まきです。
私にはいささか不満ですが、これには異をとらえられませんでした。

ちなみに、わが家の豆まきは、ずっと「鬼は内、福も内」でした。
とりわけ今日のように寒い日には、追いだすような掛け声はわが家向きではありません。
しかし、孫はそんなややこしいことなど分かるはずもなく、豆を外にそっと投げていました。
それから室内にいる3人の鬼たち(お面ですが)に、豆を分配していました。

それを見ていて、ハッと気づいたのですが、豆を外にばらまくのは、もしかしたら「私財を困った人に、恩着せがましくではなく、わざとぞんざいに「もらってもらう」という行為」だったのではないかという気がしました。
いわゆるポトラッチの一種です。
そう考えるとすっきりします。
孫から教えられました。
私も、ホームレス支援のグループにささやかな豆を送ることにしました。

伝統行事には、まだまだいろんな知恵が含まれているのでしょう。

Mamemaki3


20181

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2018/02/02

■節子への挽歌3765:寒いので挽歌が書けません

節子
今回の雪はうっすらと積もっただけでしたが、寒さはかなり厳しく、エアコンのない私の部屋では耐えられずに、床暖房のあるリビングで1日過ごしてしまいました。
床暖房があるとはいえ、リビングは広いので寒くて動けません。
最近、やめていた炬燵を出してこようかと思いましたが、それも面倒なので、床暖房の上に布団をかけて縮こまっていました。
昨年はノートパソコンを持っていって、やっていましたが、それも面倒なのでやめました。
こうしてだんだんと何もしなくなり、現世での役割を終えるのでしょう。
それも悪い話ではありません。

パソコンを使って、やらなければいけないことのリストが机の上にあります。
それが一向に減りません。
寒いと思考力も落ちてきます。

いや寒さのせいだけではありません。
老化のせいもかなりあります。

実は最近、自分でもわかるのですが、うまく話せない時があります。
いや、「時がある」ではなく、以前のように早口で話せなくなってきています。
たぶん聞いている人はわかるでしょう。
でもだれも指摘してくれません。
たぶん節子がいたら、ちょっとおかしいから病院にいったらというかもしれません。
もちろん言われたからと言っていくことはないと思いますが、少なくとも、伴侶がいると、老化や異常には気が付いてくれるでしょう。
自分で気づくようになるということは、かなりの段階に来ているとも言えるかもしれません。

そういう状況になってきている時の寒さはこたえます。
注意しないとコロッといくかもしれません。
まあ、それに関しては、それなりに気を付けているのです。

だから寒い仕事場では、こういう日には挽歌は書けないのです。
暖房機を買いに行こうかと思ったりもしますが、まあ使えるのもあと数年かと思うと、無駄遣いになるかなと思って我慢しています。
かなりの貧乏性というか、ケチというか、ですが、私の経済状況からすれば、まあ分相応な考えなのです。

寒くて、手がかじかんできました。
リビングに行って、床暖で手をあたためないと、凍傷になりそうです。

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2018/02/01

■節子への挽歌3764:幼なじみの集まりをすることになりました

節子
また雪が降るようで、今日も寒い日になりました。
昨夜は皆既月食を見るために寒い中にいたので、心配していましたが、今日は何とか正常に戻りました。

小学校の時の同窓生が癌になってしまい、昨年からささやかな相談に乗っていました。
節子との体験から少しばかりの知識はあるとはいえ、そんなものは何の役にも立たないことはわかっています。
年に数人の友人知人が癌になりますが、まさに千差万別で、わかったようなアドバイスはできません。
できるのは、ただ気にしているということだけです。

その友人は幸いに手術も成功し、とても元気になりました。
冗談で、私の葬儀委員長をやるまでは元気でいてよと言っています。
彼から口止めされていたのですが、最近ようやく、情報が解禁されました。
それで、交流のある小学時代の仲間たちとミニパーティでもやって、彼を元気づけようと思い、何人かに声をかけました。
そうしたら、なんとあっという間に10人を超える人が集まってしまいました。
しかも男女半々の組み合わせです。
みんな時間を持て余しているのでしょうか。
いや、元気づけられたいと思っているのは、どうも彼だけではないようです。
久しぶりに昔話をしたいと思っているのかもしれません。

私は昔話が好きではないので、こういう集まりはあまり気乗りがしません。
しかし、なぜか私に声掛け役が回ってきてしまいます。
誰かが企画したら、私はたいていにおいて欠席することをみんな知っているのかもしれません。
ともかくこういう集まりは、あんまり気乗りしないのです。
でも今回は、彼を元気づけなくてはなりません。

それに、癌になった彼は、実に気のいい人物なのです。
結婚もせずに、小さな靴屋さんをやっていた職人風の人です。
その靴のお店が最近、隣家の火事の延焼で燃えてしまいました。
そして今度は癌。
しかし彼はいつでも明るいのです。
心配して電話しても、いつも逆に私の方が心配されてしまう。
まあそんな人です。

人にはいろんな生き方があります。
彼から、集まりにもう2人増やしてよと連絡がありました。
さてさてこれ以上集まると場所が心配です。
でもまあ久しぶりのミニ同窓会。
数十年ぶりの人にも会えるでしょう。

ちなみに、その彼は節子の葬儀にも来てくれました。
葬儀には人柄が顕れます。
節子もきっと見ていたと思います。

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■第2回リンカーンクラブ学習型サロンのご案内

武田さんの『無党派市民の究極的民主主義宣言』をテキストにした、学習型話し合いサロンの第2回目です。
今回は、前回の概論を受けて、究極的民主主義を実現するための選挙制度を中心に、『無党派市民の究極的民主主義宣言』(ビジネス社)第3部を話し合う予定です。
最初に前回の簡単な復習をしてから、武田さんから究極的民主主義型の選挙制度(国民主権の行使システム)を説明してもらい、それを受けて議論を深めたいと思います。
参加申し込みを受けた方で本をお持ちでない方には、事前に、該当部分のPDFをお届けするようにしますので、あらかじめ読んだうえでご参加ください。

学習型ではありますが、みんなで学び合うというスタイルですので、気楽にご参加ください。

みなさんの参加をお待ちします。

●日時:2018年2月17日(土曜日)午後2時~4時
●場所:湯島コンセプトワークショップ(リンカーンクラブ事務局)
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
●会費:500円
●テーマ:「国民主権を実現する選挙制度」
『無党派市民の究極的民主主義宣言』第3部
●申込先:リンカーンクラブ事務局(info@lincolnclub.net)

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