■節子への挽歌3783:「生きる」と「生きている」は違うなという思い
節子
またいろいろと考えました。
最近は考えることが多くなりました。
いままでほんとうになにも考えずに生きてきたような気がします。
結局は、仏様の手のひらから出られなかった孫悟空を思い出します。
考えなくても生きてこられたのは、たぶん幸運に恵まれたからでしょう。
感謝しなければいけません。
しかし、もしかしたら、それは幸運ではなかったかもしれません。
ただ与えられた人生を疑うこともなく生きて来ただけなのかもしれません。
「生きる」と「生きている」とは違うことに、改めて気づきました。
私は、どちらかといえば、「生きる」に価値を置いていました。
しかし、よくよく考えてみると、節子がいなくなってからは、ただただ「生きている」だけだったのではないか。
そんな気がしてきています。
思いきり、前か上に向かって進んでいる人に会うと、いろいろと考えさせられてしまいます。
私も、節子に最初に出会ったころは、生きることにワクワクしていました。
でも、いまはなんとなく「生きていること」に従っているだけのような気もします。
「生きていること」にワクワクしていた節子のことを思い出すと、少し生き方を変えないといけないかと思い出しています。
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