■節子への挽歌3776:みんなそれぞれの中に生きている
節子
昨日は何とか持ちこたえました。
昨日は半農生活を提唱している増山さんにサロンをしてもらいました。
増山さんとの接点は何から始まったか思い出せませんが、話の中で何人かの友人の名前が出てきました。
久しく会っていない人の名前も出てきました。
人の過去は、いろんな人の中にささやかであろうと、いろいろと刻まれているようです。
でもみんな最近は交流がありません。
人の交流は、なぜ途絶えてしまうのか。
何かとてもさびしいです。
私は、過去のことを振り向くことの少ない生き方をしています。
その生き方にあっては、人を思い出すのは、決して思い出のためではありません。
いま、どうしているかが気になるからです。
昨日も、サロンの前に会っていた人から出た名前の人を思い出して、メールしました。
30年以上前に会った人ですが、その時の若者は、今や社会的にも大きな仕事をする要職についています。
この数年は会っていませんし、交流もありません。
いまも大きな課題に直面しているはずなので、迷惑だろうなと思いながらも、なにか声をかけたくなったのです。
驚くことにすぐに返信が来ました。
あと2年半は「ひどい生活」を送りそうだと、書かれていました。
その後も解放されることはないでしょうが、3年後には湯島にまた来てくれるでしょう。
彼に会うために、あと3年は湯島を維持しなければいけません。
3年半であれば、まあ大丈夫でしょう。
サロンでは、もっとなつかしい名前も、お2人、出ました。
アクセスするにはちょっと遠くに行ってしまった人たちです。
いずれも私の生き方に影響を与えてくれました。
ひとりは雨の日は出かけないことを教えてくれ、ひとりは友だちを選ばないことを教えてくれました。
私の生き方は、そういうさまざまな人たちの一言で創られてきています。
私の中にたくさんの人が生きているように、私もまたたくさんの人の中にささやかに住んでいる。
節子もまた、いろんな人の中にささやかに住んでいるのでしょう。
もちろん私の中には、とても大きく。
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