■節子への挽歌3765:寒いので挽歌が書けません
節子
今回の雪はうっすらと積もっただけでしたが、寒さはかなり厳しく、エアコンのない私の部屋では耐えられずに、床暖房のあるリビングで1日過ごしてしまいました。
床暖房があるとはいえ、リビングは広いので寒くて動けません。
最近、やめていた炬燵を出してこようかと思いましたが、それも面倒なので、床暖房の上に布団をかけて縮こまっていました。
昨年はノートパソコンを持っていって、やっていましたが、それも面倒なのでやめました。
こうしてだんだんと何もしなくなり、現世での役割を終えるのでしょう。
それも悪い話ではありません。
パソコンを使って、やらなければいけないことのリストが机の上にあります。
それが一向に減りません。
寒いと思考力も落ちてきます。
いや寒さのせいだけではありません。
老化のせいもかなりあります。
実は最近、自分でもわかるのですが、うまく話せない時があります。
いや、「時がある」ではなく、以前のように早口で話せなくなってきています。
たぶん聞いている人はわかるでしょう。
でもだれも指摘してくれません。
たぶん節子がいたら、ちょっとおかしいから病院にいったらというかもしれません。
もちろん言われたからと言っていくことはないと思いますが、少なくとも、伴侶がいると、老化や異常には気が付いてくれるでしょう。
自分で気づくようになるということは、かなりの段階に来ているとも言えるかもしれません。
そういう状況になってきている時の寒さはこたえます。
注意しないとコロッといくかもしれません。
まあ、それに関しては、それなりに気を付けているのです。
だから寒い仕事場では、こういう日には挽歌は書けないのです。
暖房機を買いに行こうかと思ったりもしますが、まあ使えるのもあと数年かと思うと、無駄遣いになるかなと思って我慢しています。
かなりの貧乏性というか、ケチというか、ですが、私の経済状況からすれば、まあ分相応な考えなのです。
寒くて、手がかじかんできました。
リビングに行って、床暖で手をあたためないと、凍傷になりそうです。
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