■節子への挽歌3771:気力がないと挽歌が書けない
節子
先週、生きる意味をテーマにしたサロンを開きました。
体験を語り合うというようなスタイルの呼びかけをしたせいか、事前の申し込みはなかったのですが、当日8人の方が参加しました。
テーマを間違ったのではないかというような人も来たのですが、話し出したら、それぞれに「重い」体験を話しだしました。
その報告は時評編に書きましたので、ここでは繰り返しませんが、まだまだ私の世界は狭いものだと痛感しました。
まだ笑顔の向こうに、心を届けられないのですから。
人は見たいものしか見えない、と時々思います。
あるいは、見たいようにしか見ない。
そうやって、私は人への対応をよく間違います。
しかし、それが、人が大好きな理由でもありました。
どんな人にも、魅力的なところがある。
人はまた、たとえなくとも、見たいものを見てしまうものです。
だから、実に幸せでした。
それが変わりだしたのは、いつごろからでしょうか。
節子がいた頃はそんなことはありませんでした。
私が受けたダメージを、節子がシェアしてくれたからです。
どんなダメージも、誰かとシェアすれば、軽くなる。
軽くなると、相手のいいところが輝きだすものです。
しかし、ダメージを開けずに自らで抱え込んでしまうと、自分がどんどん萎えていく。
そして、人への不信感を強めてしまうこともある。
どうも最近、そうなっているのではないか。
サロンを終えた翌日あたりは、なんとなくモヤモヤしただけで、こんな思いは出てきませんでした。
むしろ誰かの役に立った、これからもつづけようという気分でした。
しかし、時間がたって、何人の参加者からメールなどをもらって読んでいるうちに、そんな気がしてきて、また心が重くなってしまいました。
そして思ったのです。
なんでこんなサロンをやったのだろうか。
テーマを軽く考えすぎていたのではないか。
封印した心を解き放すことの意味を考えていたのか。
心の問題に取り組むのなら、もっと覚悟して取り組むべきではないか。
20年前と同じことをまたやっているのではないか。
そういう気がしてきました。
そんなわけでまた、挽歌が書けなくなっていました。
10年前は、元気を出すために挽歌を書いていました。
いまは、元気がないと挽歌が書けなくなった。
10年たって、ようやく私もまた、現世に戻ってきたのかもしれません。
| 固定リンク
「妻への挽歌18」カテゴリの記事
- ■節子への挽歌4500:東尋坊からのお餅(2019.12.28)
- ■節子への挽歌4499:歯医者さんと節子(2019.12.27)
- ■節子への挽歌4498:年末のお接待(2019.12.26)
- ■節子への挽歌4496:年末の相談つづき(2019.12.24)
- ■節子への挽歌4495:孫へのクリスマスプレゼント(2019.12.23)
コメント