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2018/02/13

■節子への挽歌3770:気力がないと挽歌が書けない

節子
先週、生きる意味をテーマにしたサロンを開きました。
体験を語り合うというようなスタイルの呼びかけをしたせいか、事前の申し込みはなかったのですが、当日8人の方が参加しました。
テーマを間違ったのではないかというような人も来たのですが、話し出したら、それぞれに「重い」体験を話しだしました。
その報告は時評編に書きましたので、ここでは繰り返しませんが、まだまだ私の世界は狭いものだと痛感しました。
まだ笑顔の向こうに、心を届けられないのですから。

人は見たいものしか見えない、と時々思います。
あるいは、見たいようにしか見ない。
そうやって、私は人への対応をよく間違います。
しかし、それが、人が大好きな理由でもありました。
どんな人にも、魅力的なところがある。
人はまた、たとえなくとも、見たいものを見てしまうものです。
だから、実に幸せでした。

それが変わりだしたのは、いつごろからでしょうか。
節子がいた頃はそんなことはありませんでした。
私が受けたダメージを、節子がシェアしてくれたからです。
どんなダメージも、誰かとシェアすれば、軽くなる。
軽くなると、相手のいいところが輝きだすものです。

しかし、ダメージを開けずに自らで抱え込んでしまうと、自分がどんどん萎えていく。
そして、人への不信感を強めてしまうこともある。
どうも最近、そうなっているのではないか。
サロンを終えた翌日あたりは、なんとなくモヤモヤしただけで、こんな思いは出てきませんでした。
むしろ誰かの役に立った、これからもつづけようという気分でした。
しかし、時間がたって、何人の参加者からメールなどをもらって読んでいるうちに、そんな気がしてきて、また心が重くなってしまいました。
そして思ったのです。
なんでこんなサロンをやったのだろうか。
テーマを軽く考えすぎていたのではないか。
封印した心を解き放すことの意味を考えていたのか。
心の問題に取り組むのなら、もっと覚悟して取り組むべきではないか。
20年前と同じことをまたやっているのではないか。
そういう気がしてきました。
そんなわけでまた、挽歌が書けなくなっていました。

10年前は、元気を出すために挽歌を書いていました。
いまは、元気がないと挽歌が書けなくなった。
10年たって、ようやく私もまた、現世に戻ってきたのかもしれません。

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