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2018/02/06

■節子への挽歌3769:春がはじまりました

節子
真っ赤な日の出でした。
日の出の時間も少しずつ早くなってきました。
この季節は、いのちの復活を感じて、元気が出てくるような気がします。
しかし、それがどうにも心身に入ってこない数年ですが、今日はなんとなく久しぶりにそれを感じました。
不思議な話ですが、節子の闘病中は、いつもそう感じていたのですが。

昨日は、久しぶりによく眠れ、朝6時頃まで目が覚めませんでした。
もっともしかし、頭がすっきりしているわけではありません。
寝ざめのさわやかさは、昔のことになりました。
目覚めると、いろんな問題が浮かんできます。
昨日書いた、「向こうからやってきたこと」も、含めて。

身体もそう調子がいいわけではありません。
昨年の健康診断は結局行きませんでした。
いろんなところに違和感があるのですが、我慢できないほどではありません。
むしろ違和感は生きていることを感じさせてもくれます。
それに昨日お墓に行ったら、一緒に行った娘が、両親の享年を墓碑から気づかせてくれました。
父は81歳、母は87歳でした。
ということは、私は少なくとも80歳までは元気でしょう。
10年ルールによって、残された残余の7年が問題ではありますが、あと3年はある。
高齢者に残された時間としては、十分な時間です。

太陽が上がりだしてきたようです。
窓の外は赤から白に変わりました。
私の心象風景ですが。
しかし、室内はともかく(古いヒーターしかないので寒いです)、外はとても暖かそうです。
もちろん外に出れば寒いのですが、雰囲気はあったかそうです。
陽光は、素晴らしいといつも思います。
今日はきっと「いい日」になるでしょう。
机の上にある「to do list」に取り組もうと思います。

でもまあ、その前に陽光が届いているリビングに行って、コーヒーを飲もうと思います。
昨日冷蔵庫の奥に残っていたのが見つかった、Nさんからもらったトラジャコーヒーです。
なぜか少しだけ残っていました。

Nさんと連絡がとれなくなってからもう1年近く経ちます。
年末、彼女が使っていた携帯電話から無言の電話がありましたが、元気だといいのですが。
必ず湯島にもう一度来ると言っていたのですが、この寒さのなかで、どうしているのか心配です。
もし、このブログを読んだら、連絡してもらえるとうれしいです。

私でも生きているのですから、がんばってほしいです。
それに、春がまた始まったのですから。

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