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2018/02/05

■節子への挽歌3768:魔界との通路

節子
節子の誕生日に行けなかったので、1日遅れですが、お墓に行ってきました。
墓地にはいつ行っても、一種独特の雰囲気があります。
若いころは、私はあまり好きではありませんでした。
たぶん墓地に抵抗なく行けるようになったのは、節子が彼岸に行ってからです。

人を魔界から守る役割を持った人の話があります。
あるいは、「耳なし芳一」の話のように、魔界から守るものも、いろいろと語られています。
私も一時期、各地の魔除けにちょっとだけ興味を持って、いくつか集めたこともあります。
いまは割れてしまいましたが、以前はわが家の玄関にも、トルコから買ってきた「魔除・ナザールボンジュ」がかかっていました。
魔除けを集めるのをやめた理由は、魔除けは魔招きでもあるような気がしてきたからです。
なぜなら、魔除けであるためには、「魔」との接点がなければいけないわけで、詰まるところ、そこは「魔界」との通路になるわけですから。

もっとも、「魔」そして「魔界」とは何かという問題もあります。
私自身は、最近は、悪魔も天使も同じものだと思えるようになってきていますので、そこに正邪の思いはありません。
ですから正確には、生身の世界が存在できる世界と、できない世界といったほうがいいでしょう。
さらに言いかえれば、「生身と切り離せない人の世界」と「生身から自由な人の世界」と言うことになります。
私は前者に住み、節子は後者に住んでいるわけです。
残念ながら最近では、2つの世界は普通は行き来できません。

しかし、この数年ですが、私自身は、もしかしたらそのいずれにも住んでいるのではないかという気が時々します。
時々、思いが「向こう」に跳んでしまっているような気がするのです。
そこでは、時間感覚も空間感覚も違います。
ですから、私の時間感覚は時々おかしくなるのです。
まあ、これは彼岸への旅立ちの練習かもしれません。
たぶん歳をとると、みんなこうなっていくのでしょう。

問題は、そういうことが、心を平安にすることもあるのですが、「向こうの世界」から、なにか人知を超えたものを呼び込んでしまうことがあるということです。
節子が残してくれた、私の老後の生活費は、そうした状況の中ですべて失ってしまいました。
まさに「魔が差した」というしかないことが起こってしまったのです。
世間的に見れば、それは「詐欺」とも言えますが、「魔が差した」としかいえないような状況でした。
それも1回ならず、2回もです。

それはもう終わったことなのでいいのですが、最近、少し思うのは、相変わらずいまも「向こうの世界」の、現世的には「邪なもの」や「魔のもの」が、やってくるのではないかという気がします。
最近は、お金がないので、別のものを呼び込んで、生命の輝きが吸い込まれてしまっているかもしれません。
そう思うと、たくさんの悩ましい相談やトラブルがやってくることが納得できます。
それ引き受けるのは、私の役割なんでしょう。

しかし、身心が極度の疲労感と精神的な不安にさいなまれることもあります。
少し離れてきましたが、それでも時に眠れない夜がある。
といっても、まあ最近は1~2時間、目が覚めてしまう程度ですが、その時間は結構つらいのです。
どんな悪夢も、寝ている時の悪夢よりも、起きてみる悪夢のほうが辛いものです。
昨夜も、実はあまり眠れませんでした。
今日はお墓に行ってきたので、たぶんよく眠れるでしょう。

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