■「それがどうしたのか」
前の時評編の記事で、「それがどうした」という言葉を使いました。
それで思い出したのが、前に読んだ、ヴォルフガング・シュトレークの「時間かせぎの資本主義」の序章に出てきた文章です。
問題を問題として記述している人に対して、分析するなら同時に解決策も示せと迫るのは間違いだと考えている。(中略)その解決策が見つからない、あるいは少なくとも、今ここで実現できるような解決策が見あたらないということは十分に起こりうる。では、いったい『前向きなもの』はどこにあるのかと、非難をこめて問う声があるかもしれない。その時こそ、アドルノならば、こんな意味のことを言ったにちがいない。前向きなものがまったくないからといって、それがどうかしたのか、と。
日本の政治に関して、野党は批判ばかりして代案がないという人がいます。
私は、誠実な批判は、それこそが代案だと思っていますので、この種の意見こそが「前向きでない非難」だと思っています。
しかし、「それがどうかしたのか」というのは、私にはとても気にいっている言葉です。
そう言い切れる生き方をしたいと、常々思っています。
念のために言えば、私は「批判」(私自身への批判ももちろん含めて)は好みますが、「非難」は好きではありません。
批判は前向き、非難は後ろ向きだからです。
私のブログも、時に「批判」でない「非難」になっていることが少なくありません。
最近は減っていると思っていますが、まだまだ文章力がありません。
もし誰かを「非難」しているような表現があれば、それは私の未熟さの故です。
まあ、時に意識的に、「非難」してしまうこともないわけではないのですが。
まだまだ未熟さは克服できません。
たぶん最後までそうでしょう。
困ったものです。
はい。
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