■節子への挽歌3781:電話疲れ
節子
なにやら今日は電話やメールがにぎやかです。
というのも、東京新聞に湯島のサロンのことが掲載されたのです。
東京新聞の「ひと ゆめ みらい」です。
しばらくは次のサイトから読めると思います。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201802/CK2018021902000103.html
その記事に、湯島でサロンをやっていると紹介されているのです。
それを見た人が問合せをくれるのですが、電話をくれる人はネットをやっていない人が多いので、いちいち説明しなければいけません。
それに私と同じ世代の高齢者も多く、なかには、自己紹介を電話でしてくれる人もいます。
自らの住んでいる場所くらいならいいのですが、なかには生まれたところまで話し出します。
子ども時代の妹さんのことまで話される方もいます。
たぶん見ず知らずの人への突然の電話なので、自分のことをていねいに話さなければと思われているのでしょう。
こうした反響で、話し相手を欲しがっている人がいかに多いかもわかります。
話し相手が欲しければいくらでもいるはずなのに、あるいは見つけられるはずなのに、それが出合わないのです。
そうしたことを「市場化」して「なんとかサロン」をビジネス化したり制度化したりする動きもありますが、たぶんそういうものは見透かされてしまいます。
サロンを続けていて、それがよくわかります。
人のつながりは「市場化」できるはずはありません。
言うまでもなく「福祉」のそうですが。
それはそれとして、今日は長い電話ばかりで疲れました。
まだこれからもあるかもしれません。
私が一番やりたいサロンは、居場所サロンではなく、市民性を深めて社会を住みよくしていくサロンなのですが、そういうサロンへの関心はなかなか広がりません。
勉強会だと勘違いしている人も少なくありません。
人は勉強すればするほど、私の定義では知的でなくなります。
世間的な表現をすれば、バカになるということです。
また「道を踏み外しそうです」ので、やめましょう。
いまのままだとどうも私の現世時代には間に合わないので、宝くじを買うことにしました。
私の信条には反しますが、お金があれば思いの実現を加速できるかもしれないと、ついついさきほど思ってしまいました。
当たるといいのですが。
いつもは「ついでに借金も返せますように」と、いささかの邪念が入っていましたが、今回は自分のためには使わずに、しっかりと「思いの実現」のために使いますと約束して買いますので、当たるかもしれません。
でも、宝くじを買いに行くのを忘れないといいのですが。
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