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2018/02/13

■節子への挽歌3773:できることは待つことだけのこともあります

節子
一度、人生を外れてしまうとなかなか元に戻れないように、この挽歌もなかなか追いつけません。
節子がいなくなってからの日数を表す挽歌の番号3772は、昨年の大晦日に書いておくべき番号です。
そんなわけで、書ける時には、日記ならぬ挽歌を書いておくことにします。
春には追い付きたいものですから。

しばらく連絡のなかった人から連絡が来ました。
毎週週末に介護していた老親が、お誘いしていたサロンの日に亡くなったのだそうです。
そのサロンは、その人にぜひ聞いてほしくて、お誘いをだし、報告を送り、資料まで送っていました。
ところが彼女はそれどころではなかったわけです。
さぞや迷惑だったことでしょう。
私自身は、そんな事情はまったく知らずに、親切心のつもりで、その人を少し意識しながら、その分野のテーマを設定し、お誘いし、その人の世界を広げるお役にたとうと考えていたわけです。
その人は数年前に、友人の伝手で私のところにその分野の人の紹介を頼みに来たことから、何か役立てないかと思っていたのです。
でも全く反応がなく、いささか気を悪くしていましたが、
そんな時に、もう連絡はいらないともとれるようなメールが届いたのです。
そのメールも、ちょっとイラッとする文面でした。

短い返信をしました。
それには、すぐ返事が来ました。
今度は、表情のある言葉でした。
心が救われる感じでした。

たぶん精神的に苦しい時間を過ごしていたのでしょう。
そんな事情も知らずに、勝手に解釈して、心を乱していました。
自分も同じことをやっていたのではないかと、10年前を思い出しました。
そしてこんな行き違いがいろんなところで起こっているのだろうなと思いました。

実はちょうど、昨夜、ちょっとイラッとするメールが届いていました。
その人からも、補足する内容のメールが届いていました。
前のメールと重ねてみると、やはりその人も苦しい状況にあることがわかります。

メールのやり取りは簡単ではありますが、それだけに注意しないといけません。
やはり人とのコミュニケーションは、直接がいいですね。

最初の方からの最後のメールにはこう書かれていました。

きちんとお話していなくてすみませんでした。 また落ち着きましたら、お話させてください。

いま私にできることは、待つことだけかもしれません。

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