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2018/02/15

■「与えられた権威」よりも自分の権威を大切にしたい

テレビはオリンピックで占拠されてしまいました。
私はオリンピックには大きな違和感を持っているので、興味は全くありません。
どうしてもそこに、ローマ時代のサーカスを感ずるのです。
もちろん東京オリンピックにも反対ですし、自分の税金がそれに使われることもあまり気分がよくありません。
福島の被災者たちのためにであれば、喜んで税金も収めたいですが、最近は納税のモチベーションはあがりません。

そんな中で、先日、ミシュランの認定を辞退するお寿司屋さんの報道に接しました。
フランスではそういう動きがあるのは前に聞いたことがありますが、日本でもあることを知って、ちょっとうれしくなりました。
そういう動きに対する、ミシュラン側のコメントには、驚くものがありますが、ミシュランは完全にお金の亡者になっているとしか思えません。
ミシュランの星を信仰するお店も、きっと味よりもお金なのではないかと思ってしまいます。

そもそも「評価」するなどと言う発想が、私には違和感がありますが。
評価するのであれば、利用者が中心になって多様な評価をするのがいいでしょう。
星いくつなどという評価は単一尺度での方向付けでしかありません。
よほど想像力のない人の発想だとしか思えません。
それにまたそれを大事にしているお店や施設、さらには利用者がいるというのも、実に情けない。
彼らもよほど、味音痴なのでしょう。
同情するしかありません。

それにしてもどうしてみんな「与えられた権威」をほしがるのでしょうか。
権威は与えられるものではなく、自然に生まれるものではないかと思いますが、いかにも安直な「権威」がはやっています。
私はどちらかといえば、「つくられた権威」には反発するタイプで、ミシュランの5つ星などと言われても、「それがどうした」と思うのですが、多くの人はそれでおしく感じられるのでしょうか。
幸せといえば、幸せなことです。

もっとも、こう言っているものの、私自身も、ついふらふらと権威に吸い寄せられることがあります。
困ったものです。
もっと自分をしっかりと生きたいと、改めてそのお寿司屋さんの話を聞いて思いました。
そのお店に行ってみたい気もしますが、私の経済力ではちょっと無理そうなのでやめました。

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