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2018/03/21

■節子への挽歌3793:寒いお彼岸です

節子
お彼岸なのにまだお墓にも行っていません。
花は用意されているのですが、雨のために今日も行くのを止めました。
それに冬に戻ったような寒さです。

最近、挽歌はあまり書けていませんが、サロンの報告などをメーリングリストなどで発信しています。
何しろ先週は、4回も湯島の集まりをやってしまいましたし、これから週2回ほど予定されてしまったサロンの案内も出しています。
実にいろんな反応があって、うれしいのですが、ちょっと引っかかる一言が多いのです。
「お元気で」とか「健康でお過ごしください」「またお会いしたいです」などという言葉が最後に書かれているのです。
これって、私が間もなく人生を終わることを含意していないでしょうか。
それは考え過ぎだろうと言われるかもしれませんが、人は考えるものなのです。

ちなみに、だからと言って、不快だとかということではないのです。
それはまさに事実だからです。
私もそう思われる歳になったのだということです。
自分ではそんな意識は無いのですが、人にはそう見えているわけです。
自重しなければいけません。

しかし、自分を相対化するのは実に難しい。
特に私のように、あんまり自省的でない人間は、自分の置かれている状況に気付きにくいのです。
注意しないと、死んだことにも気づかずに、このままの生活を続けてしまいかねません。
困ったものです。

この2日間、ちょっとダラダラしています。
先週までは無性に本が読みたくて、読みあさっていましたが、今週はどうも読む気が起きません。
今日は床暖のある1階のリビングでうずくまって過ごしていますが、テレビを見る気も本を読む気も、パソコンをやる気も、何故か起きません。
まさにうずくまって、寒空の外を見ています。
こうやって節子と2人で、無為に過ごすのが理想でしたが、独りだと無為と言うよりも無策という感じで心が落ち着きません。
それでノートパソコンをリビングに持ち込んで、挽歌を書いています。
かと言って、内容の或る挽歌を書く気も起きず、こんな無意味の文章を書くのが精いっぱいです。

最近、どこかで、心がちょっと折れてしまったのではないかと思うことがあります。
疲れすぎたのかもしれません。
それが見透かされてしまって、「お元気で」とか「健康に留意」とか言う人が増えているのかもしれません。
でもまあ、無理して「元気」になることもありませんし、「健康:に気を付けるってどういうことかもわかりません。
今日はまあ、こうやって無策に過ごしましょう。
それにしても退屈です。
人に会うのは嫌いですが、人に会わないのはもっと嫌いです。
困ったもので。
はい。

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