■「隠れ病む身」を支えることの大切さ
日曜日に放映されたEテレ「こころの時代」を今日、改めて見ました。
小浜市明通寺の中嶌哲演住職の「隠れ病む人々と歩む」です。
明通寺には2度ほど行ったことがありますが、そこのご住職が長年托鉢をしながら『鈴音』という手作り通信で、社会に呼びかけていたことは知りませんでした。
「隠れ病む人々」とは、広島や長崎で被爆した後、自らを「隠れ病む身」と呼び、世間の目から逃れるように故郷に帰って戦後を生きて来た人々を指しますが、原発銀座とも言われる福井では、原発で事故に合い、同じように「隠れ病む身」の人がいることも知りました。
原発の事故(3・11の福島の事故ではありません)で亡くなった人の話はこれまでも聞いていましたが(公開はされていませんが)、「隠れ病む身」の人がいることを初めてテレビで知りました。
とても心に響くお話でした。
次に簡単な番組紹介があります。
http://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2018-03-11/31/4430/2008300/
中嶌さんの話を聞きながら、私は最近の財務省や文科省の事件を思い出しました。
「隠れ病む身」の人たちを生み出しているのは、原発だけではないのでしょう。
最近の官庁や企業には、「病」が蔓延しているのかもしれません。
政治の世界もそうかもしれません。
いや、社会そのものに「病」が蔓延している。
にもかかわらず、多くの人は「隠れ病んで」いる。
前川さんのように、しっかりしたご自分をお持ちの方は「隠れる必要」も無いのでしょうが、多くの人にはそんな強さはありません。
しかし、前川さんには及びもしませんが、私も自らをしっかり生きていこうと改めて思います。
「病」は、それがどんなものであれば、隠すことはありません。
病は隠すものではなく支え合うものではないかと思います。
そして、人をつないでいく力も持っています。
官僚の皆さんには、ぜひカミングアウトしてほしいです。
それが社会の「病」をただす出発点になるでしょうから。
「病」に負けてはいけません。
「隠れ病む身」の人たちに、石を投げるのは止めたいです。
支えることこそが、社会を健やかにすることではないかと思います。
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