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2018/03/27

■節子への挽歌3793:「もう時間がないのです」

節子
近くの桜が咲きました。
手賀沼沿いも液に行く途中の桜も、ほぼ満開です。
あまり出歩いていないのですが、近くの菜の花畑も咲いているかもしれません。
フェイスブックでも桜の写真が満載です。

お花見に行かなくなってから10年たちます。
節子がいた頃は、お花見は年中行事でしたし、いろんなところに桜を見に行きました。
とりわけ節子が病気になってからは、よく行きました。
節子は桜が好きでしたから。
最後に家族全員で見た、あけぼの山公園の駐車場の桜は、その後、家族も含めてだれも行かなくなりました。
桜を見ると思い出すことが多すぎます。

相変わらず周辺ではいろんなことが起こっています。
友人が突然、「もう時間がないのです」とメールしてきました。
彼とあることを約束していたのですが、それをやめたいという連絡です。
その理由が「もう時間がないのです」。
病気を抱えている人なので、なにかがあったのかもしれません。
いつものように、気まぐれで考えが変わっただけかもしれません。
まあいずれにしろ、思うように生きたらいい。
彼の意向には従おうと思います。

最近、私自身、時間がうまく使えずに、挽歌もあまり書けないし、仕事もあまりできていません。
しかし、人生においては、「もう時間がないのです」という状況は私にはありません。
時間があって、その時間を生きているわけではありません。
生きている時が、私にとっての時間なのです。
時間がないので、それはできませんとか、その会に参加できませんというような、発想は私にはありません。
その集まりに参加する時間を、私は生きていないだけの話なのです。
時間は誰かにもらって使っているわけではありません。
だから「時間がない」などと思うことは、私にはありません。

にもかかわらず、時間とうまく付き合えなくなっているのかもしれません。
昔からよく「時間破産」と言っていましたが、実のところは、その「時間破産」を楽しんできていました。
しかしいまはもう「破産」すべき時間、つまり「生き生きとしている時間」の生命力が弱まっているのかもしれません。

本来なら今ごろは、節子と一緒に、時間を超えて、桜を眺めていたはずです。
それができないがゆえに、桜とどう付き合っていいのかもわからなくなっているのかもしれません。
思い切ってお花見にも出かけてみようかとも思います。
幸い、今日はたぶん在宅でゆっくりできそうな1日です。

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