■節子への挽歌3791:孤独感
節子
相変わらずサロンをつづけていますが、いろんな人に会います。
昨日のサロンには15人の人がやってきました。
話し合いを聴いていて、自分自身の世界がいかに特殊なのかにだんだん気づいてきました。
まあそれがサロンをやる意味ではあるのですが、時に孤独感を味あわせられます。
あまりにもみんなの常識と私の常識が違うのです。
かなり「寛容」にはなってきているとは自負していますが、まだまだです。
こういう私と生活を共にしていた節子は、大変だったかもしれません。
しかし、節子は私にかなり合わせてくれていたので、私自身はそれに気づかなかったのかもしれません。
生き方が変わっていても、伴侶がそれに共感してくれていると、その異質さに気づきません。
なんとなくそれがすべてだと思ってしまうからです。
でも伴侶がいなくなると、その異質さがはっきりと見えてきます。
そういう意味で、夫婦とは、自らの世界を守るものなのです。
残念ながら、親子ではそういう関係はつくりにくい気がします。
同じ家族でも、夫婦と親子は、やはり違います。
夫婦には溝がないのに、親子にはやはり溝を感じてしまう。
これは父親だからかもしれません。
母親だったら逆なのかもしれません。
ちなみに昨夜も節子の夢を見ました。
挽歌も書き、般若心経も挙げているのですが、まだなにかかけているのでしょうか。
そういえば、最近またお墓に行っていません。
さてさて彼岸にいる人との付き合いはそれなりに難しいです。
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