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2018/04/17

■節子への挽歌3815:祈りを上げる人がいることの幸せ

節子
先日、湯島で「神さまのいる暮らし」をテーマにしたサロンをやりました。
なんと17人という集まりのいいサロンになったのですが、そこでまたかんがえさせられることがありました。
生きるのがつらくて、神様に頼もうと思って、教会やお寺に行くのだが、そこで神様に会えない。どうしたら会えるのか、と悩める人が投げかけたのです。
いろんなやりとりがあったのですが、その時、私は改めて実感しました。
神さまは、自らの内にいるのだから会えるはずはない、と。
私たちは、まさに神さまと共にあるのです。
その神さまが一神教の神であろうと、多神教の神であろうと関係ありません。
そんな区別は、教団や宗教産業界の人の発想です。
生きるものにとっては、些末な違いでしかない。
そのことにはっきりと気づいたのです。

その人が、生きやすくなるのは簡単なことです。
いまの暮らしを、素直に受け入れればいいだけです。
でも人はみな強欲ですから(欲を植え付けられている)、救いを求めたくなる。
そうではなく、祈ればいいのです。
誰かのために、です。
誰かのために役に立つことを考える。
人とは本来そういう存在なのです。
そのことにサロンでのみなさんのやり取りを聞いていて、気が付いたのです。

私は毎朝、祈りを上げます。
それこそが私を支えているのです。
祈りを上げる人がいることの幸せが、また少しわかった気がします。

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