■節子への挽歌3834:独り住まいは精神的にはよくない
節子
かなり挽歌を書いていなかった期間が長いので、もう一つ書いておきましょう。
挽歌の番号と節子が逝ってからの日数を合わせておきたいものですから。
いまは60日くらいのずれがあるのです。
今朝、畑にいる時のことです。
携帯電話が鳴りました。
小学校時代の友人からの電話です。
それによると、今朝の6時過ぎに、同じく小学校時代の友人から電話があったそうです。
電話に出るのが遅れたら切れてしまったので、折り返したのですが、相手は電話に出ません。
その電話してきた友人は、数日前から別荘に独りで出かけると聞いていいたので、心配になって、彼の自宅にいる奥さんに電話したそうです。
しかし、その後、いずれからも電話はなく、どうしようかと私に電話が来たのです。
その相手のことも知っている私としては、間違って電話したのではないか、心配することはないよと話しましたが、彼は気になっているようでした。
実は、私に電話してきた彼は独り暮らしです。
実際に、この年齢になると何が起こるかわかりません。
特に独りの時に何かが起こったら、連絡の取りようがないかもしれません。
私も、湯島で数時間独りになった時に、体調がおかしくなって心配になったことが過去2回あります。
まあこの件は、やはり間違って電話したというのが事実だったそうですが、それから少しして、今度はメールが届きました。
これも小学校時代の友人からですが、いま息子さんの件でちょっとしたトラブルを抱えているとのこと、その報告です。
私に報告してもらっても何もできないのですが、内容がちょっと気になったので、ちょっと長いコメントをメールしました。
役に立ったかどうかは不明ですが、いずれにしろみんなちょっとしたことを気楽に相談する人が必要なのです。
ちなみにメールをくれた友人は、夫を数年前に見送り、いまは独り住まいです。
独り住まいは、精神的にはよくないのかもしれません。
私は幸いに娘と同居しています。
娘は結婚していないので、それが悩みのたねですが、しかし娘のおかげで、節子ほどではないですが、気楽に相談することができます。
私の相談事は、いつもいささか常識はずれなので、娘は辟易していますが。
もちろんこういう場合の相談は、別に答が欲しいわけではないのです。
ただなんとなく訊いてみる、あるいは話してみる。
それで自分の考えがまとまり、安心できるだけの話です。
人は「話す」ことで「考える」ことが多いのです。
相談するでもなく、相談しないでもなく、ただ何となく話せる存在が、人には必要です。
私の場合は、娘がいますが、そういう人がいない人もいます。
そのために、いま、湯島に集まる人たちの、緩やかなつながりを育てられないかと考えているのですが、これがなかなか難しいです。
具体的に呼びかけるのも失礼ですし、人によって状況も違えば、価値観も違う。
でも、だれもがそういう人がいれば、きっと精神的には安心できるでしょう。
私自身、誰かにとってのそういう存在になれればうれしいですが、なかなかそうはなれません。
私自身にたぶん、「覚悟」が足りないからだとは思いますが、誰かの役に立てることほどうれしいことはありません。
しかし、このころ痛感しているのですが、「役に立つ」とは双方向の関係のようです。
依存や寄生とは全く別の話です。
それを混同してしまうと、途端に関係はおかしくなります。
最近そんなこともよく体験しています。
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