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2018/04/01

■カフェサロン「霜里農場の金子友子さんの生き方」報告

有機農業に取り組む霜里農場の金子友子さんの「お金に縛られない生き方」をテーマにしたサロンには、20人を超す人が参加してくれたため、時間を1時間延長したにもかかわらず、発言できない人がいたほどの盛況でした。
最初は申し込みがあまりなかったので、テーマを有機農業にすればよかったなと思ったほどでしたが、やはりお金に呪縛されない生き方への関心は高いようで、サロン企画者としては、それだけでもうれしい結果になりました。
ただしサロンそのものは、人数が多くて、話の交通整理で大変で、疲れました。

金子さんの話は、なぜアナウンサーから農家に嫁いだのか、ということからはじまりました。
金子さんがアナウンサーとして社会で活躍しだしたのは1960年代の半ばです。
私も同年齢ですが、その頃から少しずつ高度経済成長の矛盾の予兆が出始め、1970年代になると、日本の社会は大きく変わりだしました。
有吉佐和子さんが朝日新聞に『複合汚染』を連載しだしたのが1974年。
水俣病などが大きな話題になり、環境問題や食の安全への関心が高まっていた時期です。

アナウンサーとして、時代の先端の情報に触れる中で、彼女の世界も変わりだしていったようです。
いろいろなドラマティックなエピソードもありますが、そこで出会ったのが、埼玉県の小川町で、化学肥料や農薬を使わずに、自然の有機的な循環を活かした農業に取り組んでいた、「変わり者」の霜里農場の金子美登さんだったのです。
そこで結婚。生活は一変しました。
その後、時代の大きな流れの中で、有機農業への関心は高まり、霜里農場もテレビや新聞などでも取り上げられ、全国(海外も含めて)から実習研修生も集まるようになってきました。
「変わり者」は「時代の先駆者」へと変わり、霜里農場は有機農場のメッカになっていったわけです。

しかし、そこからが、やはり「変わり者夫婦」なのでしょう。
時流が変わったからといっても、金子夫妻の生き方は変わることはありませんでした。
2014年には天皇・皇后が霜里農場に行幸され、翌年金子美登さんは黄綬褒章を受けられましたが、2人の生き方は全く変わっていないのだろうと思います。
有機農業ブームのおかげで、経済的にも成功した人も少なくないでしょうが、金子夫妻にはたぶん「縁のない話」で、有機農業ビジネスやアグリビジネスという発想はないのです。
これまで通り、共感してくれている消費者に丹精込めた野菜を直接届けながら、地産地消で自給型地域生活を目指した活動に地に足つけて取り組んでいます。
金子夫妻にとっては、農業と生活はしっかりとつながっているように思います。

いろんなエピソードも紹介されました。
アレルギーで長年薬を飲み続けていた人が、農場に実習に来て薬を飲み忘れているうちに、気がついたらアレルギーが治ってしまった話、火事で自宅が全焼した時には、全国から70~80人の仲間が来てくれて、2日間で片づけが終わった話、お金を介さない物々交換や事々交換の話など、いろいろとありました。
お金の話も何回か出ましたが、誰かに役立つためのお金の話だったように思います。
老後のためにお金をためていますかと私は不躾な質問をしましたが、どうもその意味さえ伝わらなかったようでした。
たぶん彼女にとっての老後の蓄えは、お金ではないのでしょう。

話し合いの中から出てきた、「お金に縛られないためのヒント」を2つだけ紹介します。
まずは、「人のつながり」の大切さです。
お金を介さずとも、人の支え合いで解決する問題は少なくないばかりでなく、人とのつながりが生活の安心感の拠り所になるということです。
もう一つは、人にあげられるものはあげまくるという、友子流の生き方です。
彼女がつくっているのが野菜だということもありますが、余った野菜はみんなに挙げてしまうのが、彼女のやり方です。
たとえば、道の駅に野菜を売りに出していますが、売れ残ったものは持ち帰らずに、店舗のスタッフの人などに挙げてしまうのが彼女のやり方です。
いや余ったものだけではありません。
彼女が関わっている加工品もあるのですが、それを買いに来た人にまで、たとえば子育て中の若い人だと、どうもあげてしまっているようです。
それがいろんな形でまた返ってくるので物々交換だと彼女は言いますが、私が思うには、彼女にはそもそも「交換」という発想さえないのだろうと思います。
ともかく、あげられるものはあげてしまうわけです。
あげるものがなければ、笑顔だけでもいいわけです。

3時間にわたる長いサロンでしたので、いろんな話が出ましたが、たぶん参加されたみなさんは、彼女のさりげない話や表情から、いろんなことを考える刺激をもらったように思います。
少なくとも私はそうです。
小学校時代の同級生なのですが、これまで気づかなかったこともありました。
金子さんが持参してくれたイチゴやケーキなども美味しかったです。

有機農業に関した話もありましたが、これに関してはまた改めて企画したいと思います。
湯島ではなく、むしろ小川町の霜里農場でサロンをやるのがいいかもしれません。
どなたか実行委員になってくれませんか。

今回は、湯島のサロンが初めての方も数名参加してくれました。
はじめてだったのに、ちょっと窮屈だったうえに、発言の時間があまりなくてすみませんでした。
これに懲りずに、またぜひ遊びに来てください。
頭は疲れましたが、たくさん元気をもらいました。

Tomoko201803312


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