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2018/04/23

■節子への挽歌3823:人にあるのは、「いつか」ではなく、「いま」だけ

節子
ある本を読もうと思って、書庫を少し探していたら、デュルケムの「社会分業論」が出てきました。
最近、読みたくなったのですが、高価なので図書館で借りようと思っていたのです。
それが自宅の書庫の中に埋もれていました。
しかも読んだ気配がありません。
買った記憶さえないのです。
価格を見たら7500円でした。
30年ほど前に購入したようです。

会社時代もそうですが、会社を辞めてから10年ほどは、私が使うお金は、仕事のための費用以外は、書籍代だけでした。
会社時代は、毎年数百冊の本は読んでいましたし、これはと思う本は、読まなくても購入していました。
近くの本屋さんが毎週のように届けてくれていた頃もありました。
お酒も飲まず、お金をほとんど使わないので、節子も書籍代だけはいくら使っても(どんなに多くても月に10万円を超えることなどありませんし)何も言いませんでした。
ちなみに、私は会社時代も自分で仕事をやるようになっても、自分の財布はありませんでした。
収入はすべて節子に行き、支払いもすべて節子でした。
だから今も、お金を使うという感覚がよわく、時々、食事をして支払わずにお店を出ようとすることさえあるのです。
困ったものです。

最近は、友人と食事に行くと、多くの場合、友人が食事代を出してくれるので、いまもあんまりお金を使わないのです。
ある友人が「ただ飯は食べてはいけない」と言っていましたが、それに共感しながらも、せっかくご馳走してくれるというのに、断るのも失礼だと勝手に解釈しています。
ご馳走されて喜ぶ人もいるし、ご馳走して喜ぶ人がいる。
私は、できることなら、ご馳走する側に回りたいのですが、なかなかそうはならないのです。
これもまあ、いまはそういう時期だと思っているのです。

書こうと思っていたことではないことを書いてしまいました。
デュルケムの「社会分業論」の話でした。
この本に限らず、書庫を探したら、読み忘れている本がいろいろと出てきそうです。
いつか読もうと思って購入していた講座シリーズもいろいろとあります。
しかし、「いつか」と思っている「いつか」は、結局来ないものなのだということを、節子との別れで私は知りました。

人にあるのは、「いつか」ではなく、「いま」しかないのです。
もっと「いま」を大事にしなければいけません。

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