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2018/04/30

■節子への挽歌3835:出会い直し

節子
昨夜、とても心に響く文章に出合いました。
中島岳志さんの「保守と立憲」を読みだしたのですが、そこに思わぬ言葉があったのです。
「出会い直し」です。
中島さんが、3.11の直後に体験した「小さな体験」が書かれていました。
新聞社から頼まれた寄稿文を送ろうとした、その時に、それは起こったそうです。
突然、1年前に亡くなった編集者の友人が現れたというのです。
その「厳しいまなざし」を感じた中島さんは、結局、原稿を書き直しました。
中島さんが書きなおしたのが、新聞に載った「被災地に向けて 死者と共に生きる」という文章だそうです。

中島さんはこう書いています。
ちょっと長いですが、引用させてもらいます。


私は死者となったSさんと、この時、出会い直したのだ。同じ人間同士でも、生者-生者の関係と、生者-死者との関係は異なる。死者となった彼は、生者の時とは異なる存在として、私に規範的な問いを投げかけてくるようになったのだ。
私は、死者となった彼と共に生きて行こうと思った。彼との新たな関係性を大切にしながら、不意に彼からのまなざしを感じながら、よく生きて行くことを目指せばいいではないかと思えた。
すると、それまで喪失感に苦しんでいた心が和らぎ、大きな障壁が取り払われたような心地になった。それ以来、私は時折、思いもよらないタイミングで現れる彼と言葉にならないコトバで会話し、時に自分の言動をいさめながら生きるようになった。

節子との関係で、なんとなく私が感じていたことが、この文章でとても納得できました。
生者としての節子と死者としての節子は、たしかに違いがあります。
死者の節子には、私をたしなめたり、なぐさめたり、ゆるしたり、あらゆる意味で、包み込んでくれます。
私もまた、節子と「出会い直し」したのです。

中島さんは、つづけてこう書いています。

2人称の死はたしかに大きな「喪失」だけれども、しかし、その後に必ず「出会い直し」がやってくる。「その人」は死者となって生きている。だから、私たちは死者と共に生きて行けばいい。

節子もまた、いま、死者として、私と共に生きている。
私がいまなお生きているのは、そのおかげだと気づきました。
今日もまた、一緒に過ごそうと思います。

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